第20話 新たな出会い

 この日のアナトーリアは大忙しだった。


 朝早くから侍女達によって全身を磨かれ、頭のてっぺんから爪先まで何処を見ても美しい少女の姿に仕上げられている。


 特に拘られたのがドレスだった。新しい婚約者のフェルナンドに合わせて母のエレイナが選んだドレスは──既に貴方の色に染まっています──と云わんばかりの色合いだった。


 アナトーリアは何も知らずにそのドレスを着せられた。侍女達がニマニマ笑みを浮かべている姿に嫌な予感はするもののアナトーリアは、自分の仕上がり具合に満足そうな母の方を見て気にするのを止めた。


 でも、こんなドレスいつ作ったのかしら?採寸を図った覚えもないし……。


 アナトーリアが不思議そうに首を傾げていると、支度が整ったのかドレイクが確認しに来たのだ。扉を開いたドレイクはアナトーリアを見て


 「どこの国のお姫様かと思ったよ。いつも以上に美しい」


 「ありがとう。お父様。でもそれは大げさだわ」


 「いやいや、アナトーリア。誰が見ても今日のお前の美しさは誰にも敵わないよ」


 「あら、私にもかしら」


 エレイナが揶揄うように口を挟んできた。


 「それは、君の娘だから、君と同様に美しいよ」


 ドレイクはこの妻に弱い。もう19年一緒に過ごしていてもまるで新婚の様なやり取りをしている。こんな日でも通常運転の二人のやり取りを羨ましく思っているアナトーリアは、新しい婚約者と両親のような関係になれたらいいのにと思っていた。


 朝食を家族で済ませた後、フェルナンドを待っていると昂揚している自分に気付いた。アルフォンソとの定期的なお茶会は憂鬱なもので、その日は朝から気分が悪かった。起きた時から激しい頭痛がするのだ。これも記憶の一部が欠落した所為なのかと思ったが、王族との約束事をすっぽかすわけにもいかず、薬を飲みながら行っていたのだが、今日は気分がすこぶるいいばかりではなく。何かが違っていた。庭先の木蓮が咲き始めた所為かも知れない。


 アナトーリアは東の国から取り寄せられた木蓮が一番好きだったのだが、一年前のあの事件から木蓮は咲かなかった。樹齢の所為だと思っていたのに、今日は蕾がふっくらと綻び始めている。よく見ると所々、その白い花が開いているのが見えている。


 この様子を見るだけで、アナトーリアの気分は晴れ晴れとなっていた。


 ──ああ、やっと春が来たと思える光景だわ。


 公爵家には東の国から贈られた花が他にもいくつかあった。桜もその一つで、もう少ししないと咲かない。アナトーリアは四季があるこの国で一番春が好きなのだ。命が芽吹く春が──


 エントランスホールから出て、玄関で待っているとフェルナンドの訪れを門番が告げて来た。馬車で来るのかと思ったら、彼は騎乗してやって来た。彼の愛馬の黒い馬は普通の馬より大きいし、貫録があった。


 馬を降りたフェルナンドは真っ直ぐにアナトーリアの方に近付いて、


 「久しぶりだね、アナトーリア。俺を覚えているか?」


 「いえ、私には記憶が……」


 記憶がないと言おうとしたら、フェルナンドに指で唇を塞がれた。その慣れた仕種に噂が頭をかすめると心の何処かが不安になっている。


 アナトーリアの顔色が次第に青くなるのを見たフェルナンドは、彼女を抱き上げて中に入ろうとした。


 「殿下、それは不作法です。いくら幼馴染とはいえ、貴族としての礼儀は弁えて頂かないと……」


 「分かっているが、トーリアの顔色が悪い。具合が悪いなら彼女の私室で会ってもいいのだが」


 その言葉にドレイクは


 「まだ、婚約が整ったばかりの未婚の二人を私室に入れるなど言語道断です。全く貴方は何を考えているのです」


 ドレイクが怒鳴り散らしている横で、フェルナンドはアナトーリアの頬に「可愛い」と囁いて口付けした。使用人らも大勢見ている前で、仮にも王族に名を連ねる者が、マナーをすっ飛ばし色々とやらかしている。


 挨拶もなし。許可なくアナトーリアの愛称を勝手に呼び、尚且つ頬に口付けた。一緒に同行しているダイルも目を見開いて驚いている。主のイカレっぷりに──


 ダイルがフェルナンドの上着のポケットに無理やり収めているある物を引っ張り出した。


 「フェル様、これはなんですか?まさかと思いますが昨夜熱心に読書していたのはこれですか?」


 ダイルの持っていた本はアマーリエが貸し出した本だった。しかし、その場のドレイク、エレイナ、アナトーリア、ダイルはその本のタイトルを見て絶句した。


 ──田舎令嬢は侯爵令息に溺愛される──


 そう、これは今流行の恋愛小説で、その内容は所謂18禁ものが多い大人の女性の聖書バイブルなのだ。その本をドレイクは取り上げて顔が青くなり、黄色に変わり赤くなった。まるで信号機の様にくるくる顔色が変わり、


 「殿下は、娘にこんな事をしようとしたのですか──っ!!」


 ドレイクがアナトーリアを奪い、自室に寝かせた後、執務室でフェルナンドに長い説教をし出した。だが、当の本人は何故こんな事になったのか分からない。若干脳筋なフェルナンドは男女の道とやらは、魔物を倒すより難しいのかもしれないと反省していた。


 その日から、1ヶ月間、フェルナンドはアナトーリアに半径1メートル以内の接近禁止令がドレイクによって発動された。うっかり近付こうとすれば、護衛騎士達が問答無用で引き剥がしにかかる程。お蔭で、静かだったアナトーリアの周りは賑やかな物に変化していくのである。この常識はずれな婚約者の





 一方、その頃エイバン侯爵家ではアマーリエが


 「ジェイ、ジェイ、大変なの」


 「アマリ-何が大変なの?私が解決してあげるよ」


 「そ……それが…わ…私、間違って、フェルナンド殿下に愛読書を渡してしまって…本当に貸そうと思ったのはこれだったんだけど……」


 「ん?これは貴族の令息が読むマナーの本だよね。それと何を間違えたの?」


 アマーリエは言いたくなかった。自分の愛読書がちょっとエッチな部分が多い恋愛小説だなんて、夫のジェダイドに知られたくなかったのだ。アマーリエはその場を笑ってやり過ごし、後日本物をレイナードに回収させたのである。


 事情を説明され、レイナードは「やっぱりやらかしたのか」と内心思いながら、「絶対に読んではダメよ!」と念を押されたのにも拘らず、持ち帰った時にうっかり読んでしまい。


 まさか、兄貴達、野外でこんな事やあんな事してないよな…


 と不安と疑惑の芽が芽吹いたのは、後日談なのだが、それはさておき只今絶賛お説教タイムのフェルナンドは今後、アマーリエの物を借りる時は十分に注意を払うべしと固く心に誓ったのだった。

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