第18話 兄と弟
魔塔でジェダイドとある程度の打ち合わせを行ったフェルナンドは、ダイルと共に王宮に向かった。
王宮の通用門で検問を受けたフェルナンドを宰相補佐官が迎えに来ていた。今日はアルフォンソとアナトーリアの最後の茶席で、婚約は解消となるのだ。
王太子宮の廻廊近くの噴水から反対側にいるアナトーリアを久々に見たフェルナンドは、
ああ、想像していたよりずっと美しくなったのだな。
アナトーリアが護衛騎士と話をしているのを遠目に見ながら、フェルナンドは王宮のある場所に案内された。それはかつて自分が母と住んでいた離れ。
先王であった父は地方の貴族の屋敷で歓待を受けた際、そこで宴に花を添えた舞姫に心を奪われた。父は自分を普段出さない理想の君主であったにも拘らず、親子程の年の差の娘を王宮に連れ帰り、寵愛したのだ。それまで誰一人として特別扱いしなかった父が生まれて初めて、年若い愛妾に溺れる様な愛を注いだ。誰の目にもこの女は危険だと思ったに違いない。
しかし、女は自分の立場をよく理解していた。生涯を離れで過ごし、公の場には顔を見せず、生まれた王子も人の目に晒さぬように育てていた。だから、生まれた王子に関心を寄せなかったのである。それが、19年前にレアンドルが起こした婚約解消の騒動で、フェルナンドの人生を大きく変える事になったのだ。
それまで父と母は年の離れた普通の夫婦として生活をしていた。だが、それを気にくわぬ者達は大勢いた。母が来るまでは、父は王妃を始め、側妃達にも平等に接していた。誰かを優遇したりしなかった。夜伽も順番通りに毎日の日課の様に義務行為だったものが、母が来て一転したのだ。公務が終われば直ぐに離れに待つ母の元に帰り、自室に戻る事をしなかった。それまで、定期的に訪れていた妃達の元に通わなくなり、後宮は何時しか王の訪れを知らせる侍従すら存在しなくなる程の溺愛ぶりに、流石の王妃も苦言した。
父はそんな王妃を疎ましく思うほど母に溺れたのだ。流浪の民であった母から聞く寝物語は父の好奇心を煽り、貴族令嬢にはない魅力に父は見せられ続けたのだろう。
父が死んだとき、母を殉死させる様に示唆したのは、王太后だったと後でコンラット・バンガリー前公爵から聞いたのだ。俺も一緒に死ぬ事を望んだが、正気に還っていた異母兄レアンドルが母にだけ命じたのだ。
俺は国王に謁見するために国王の執務室に案内された。アルフォンソの処分を言い渡した異母兄である国王は、執務室で待っている俺19年ぶりに対峙したのだ。
久しぶりに見る国王は少し老け込んで、疲れた顔を見せていた。
「お久しぶりですね。こんな俺を呼び戻さなければならない程の事態なんですか?
「お前の言いたいことは分かっている。しかし、これもコンラット・バンガリー前公爵との約束だ。お前にはアナトーリア・バンガリー公爵令嬢と婚約してもらう」
「そうですか。この件は了承しました。では」
俺が執務室を後にしようとした時、異母兄の指にあの指輪が光っていた。
「その指輪。まだ填めているのですね?」
「これは自分への戒めだ」
「それで何か変わりましたか?そんな物で何かを救えたのでしょうか」
俺の言葉に異母兄は無言で答えたが、答えられない事が答えでもあった。
あんな効力の失った指輪を戒めにしていた所で、結局はアルフォンソを失いアナトーリアに怪我を負わせた。そして、若者の未来までも曇らせ、奪ったのに、何が戒め何だと思いながら、俺は不敬だと思っても異母兄に冷めた視線を送り続けた。それは死んだ母の恨みをぶつける為だったのかもしれない。
だが、俺にはそうする事しかできなかった。
俺は何も言わない異母兄に貴族としての礼をして、その場を去った。こんな所に一秒だって居たくない。そんな気持ちを押しとどめながら、王宮を抜け出し、街をぶらりと歩いていた。
雑貨屋の前まで来ると馬車を降りて、店に入るアナトーリアの姿を見つけた。彼女は微笑みながら、店員から品物を受け取っていた。
俺はただ茫然とその様子を外から眺めていた。誰かへの贈り物の様で、ラッピングをした品物を大切そうに抱えて、また馬車で屋敷の帰っていった。
彼女の馬車を見送りながら、あの贈り物は一体誰に渡すのだろう。
俺の心を何かがチリチリと焦がすのを感じながら、又、王宮の離れに戻ったのだ。明日、会う彼女の為にアマーリエから借りた本を見ながら、基礎知識を詰め込んでいた。
翌日、この本を読まなければ良かったと後悔する羽目になる事も知らずに、真剣に暗記していた俺は全くの大馬鹿者である。
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