第10話 暗闇に差す一筋の光

 王都が近づくにつれ、次第に悪夢は強くなっていく。忘れる事を赦さない様に迫ってくる。そこは寒くて暗くて寂しい世界だった。


 どんなに泣いても誰も声を掛けてくれない。そこに自分が存在しないかの様に扱われていた。


 あれは丁度19年前の冬が終わりを告げる頃だった。


 父であるカイゼル国王が末っ子の自分を異母兄の代わりに王太子に据えると画策していた。それには訳があった。異母兄レアンドルは、学園で恋人を持ち、妊娠させてしまったのだ。当時、婚約者だったレジーナ・エイバン侯爵令嬢との婚約を解消せざる負えない事態になり、元老院や貴族院から抗議や批判が多く寄せられていた。


 結果、廃太子を望む声も上がったのだ。


 エイバン侯爵家は特殊な一族で、魔力が多い者が家督を継いでいた。そして、それは王家にも云える事だった。王族は魔法を使い、結界を張り他国からの脅威や災害から国民を守る役割を持っている。だから、魔力量が多いエイバン侯爵家の令嬢が王妃に選ばれてきたのだ。次代に魔力を受け継がす為に、その仕来たりは必要な事だった。


 それの約定を異母兄は破り、「真実の愛」とやらで婚約を解消した。当然、エイバン侯爵家からすれば国と王家を見限れば済む事なのかもしれないが、他の貴族から別の案が出された。


 エイバン侯爵家の次女エレイナを嫁がせてはどうか


 そんな事を王に進言する者まで現れた。しかし、エレイナはドレイク・ベンガリーと婚約しており、そんな事は理不尽過ぎると反対した者が、ならば王太子に末子のフェルナンドを擁立しようとし始めた。


 まだ3才だった俺は、何も知らずに周りに担ぎ上げられたが、父が急死した事により急に熱が冷めた様に、勝手に皆が俺から離れていった。


 それは異母兄レアンドルが玉座に治まったからだ。誰も彼もが新国王の顔色を窺い出し、俺を視界に入れない様にした。


 宮中の使用人らも新しい主の機嫌を取るのに必死で、俺はその存在をなかったものにされたのだ。


 たった3才の幼児に何が出来ると言うのだ。一人で生きる事さえ難しいのに…。


 父が死んで、異母兄が最初に出した王命は「冥府に共に旅立て」と母に殉死を命じる事だった。


 俺は、最後、母に微笑みながら抱きしめられた記憶だけが今も鮮明に残っている。


 「何があっても、諦めないで強く生きなさい。」


 それが母の最期の言葉だった。


 その後は、思い出したくもない記憶だ。父と母の葬儀にも出れず、暗い物置部屋に押し込まれた。春先の寒さと飢えに耐えながら、何度差し込む僅かな光に手を伸ばした事だろう。


 何日、その部屋に閉じ込められていたのか分からない。最初は扉を叩いて開けてくれるよう縋ったが、次第に扉を叩く力も無くなった。


 その内、段々眠っている時間が多くなり、体を起こす事も言葉を発する事も出来なくなっていった。


 ああ、もうすぐ母に会えるのだ


 そんな考えがふと過ぎった時、扉が開かれた。


 朦朧とした俺がうっすらと目を開けると、二人の男が俺を抱いて何処かに連れて行った。


 汚物まみれで汚れた俺を毛布でくるんで、侍女達に命じて体を拭かせ、医師の診断を受けさせたのは、ベンガリー公爵家当主コンラット・ベンガリーだった。その隣にはヨハネス・エイバンがいた。


 二人は医師から静かな所で静養させた方がいいと言われ、俺をベンガリー公爵領に密かに連れて行った。


 後からヨハネス・エイバン侯爵に聞いた話では、俺の命と引き換えにコンラット・ベンガリーは爵位を息子のドレイクに譲り、隠居したのだ。二度と王都の土を踏ませないという約束で……。国王である異母兄レアンドルと取引したのだ。


 俺はコンラット・ベンガリーには恩がある。なんの後ろ盾もない俺を生かし、助けてくれた事に感謝している。


 領地に着くと、痩せて体力を失った体を健康にする為にあらゆる手を尽してくれた。


 2年が過ぎる頃、公爵家に女の子が生まれた。それがアナトーリアだ。


 彼女は生まれた頃は体が弱かった。王都より温暖な領地の方が良いだろうと、母エレイナと共に領地にやって来たのだ。当時、俺は8才になっていた。アナトーリアは3才になる手前だった。


 領地に来たときは弱弱しかったのに、段々とおしゃまになっていき、よく俺の後を雛が親鳥について歩くように付いてきた。


 最初は鬱陶しいと思っていたが、いつしかそれが当たり前の様な感覚なっていった。


 「おおきくなったら、おひめさまになるの」


 幼い彼女は、童話に出てくる主人公に憧れているどこにでもいる普通の女の子だった。


 蜂蜜色の髪と青い瞳を輝かせて、俺の後をどこまでも追ってくる愛らしい彼女。


 俺にとって、彼女アナトーリアはあの暗闇に差す一筋の光の様な少女だった。


 だから、今は感謝しているよ。俺のに、婚約を解消してくれてありがとう。やっと念願の夢が叶うよ。決して手に入らない夢だと諦めていたが、今まさに現実になった。


 もうすぐ、彼女に会える。夢にまで見た彼女に……。俺に夢や希望を与えてくれた彼女は今、どんな姿をしているのか楽しみだ。


 これからは俺が守る。この権利は誰にも奪わせない。例えそれが兄レアンドルであってもだ。


 二度と愛する者を失う苦しみを味わないように、俺は強くなったんだ。


 夢の中の君は逆行で顔は見えないが、蜂蜜色の髪を靡かせながら、俺に手を差し伸べていた。俺は遂にその手を掴んだのだ。

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