第5話 影

 王都の歓楽街に生まれた私の行きつく先は、母と同じ高級娼婦になる運命だった。娼館で生まれた子供は男なら男娼、女なら娼婦になるのが決まりだった。だから私もそうなる様に幼い頃から見習いとして教育を受けていた。


 貴族専用の高級娼館では、それなりにマナーや教養が必要なので、その知識を詰め込まされながら、娼館の雑用を熟していたある日、後3年もすれば立派な娼婦に育つと女将さんが言っている。


 父と名乗るガストン伯爵がやって来たのはそんな時だった。その伯爵は太っていて頭も少し禿げあがっていた。見た目は残念な男なのに、母は彼が来ると嬉しそうに笑っていた。外見の整った貴族に指名されても父が来た日は、父だけの相手をしていたのだ。


 母曰く、男の外見よりも中身の方が大切なのよ。そう言って私に優しく口付けてくれた母はもういない。伯爵に身揚げされた母は、その年急な心臓発作で亡くなった。でも最後の時に父の腕の中で死ねる喜びを感じながらあの世に旅立ったのは母にとって幸せな一瞬だったのだろう。その死に顔は満足そうだったから……。


 私は、ガストン伯爵家に引き取られ正式に養女となったのは16才だった。貴族や裕福な商家の子供が通う学校に通う事になった私は初日から大失敗をやらかした。


 入学式の行われる講堂に向かう途中、道に迷った私は、立ち入り禁止区域の王族の控室に足を踏み入れてしまったのだ。


 そこには王太子殿下がいた様で、護衛騎士らに不審者扱いをされ強制連行されそうになった時、助けてくれたのがイーサン・ゲイン侯爵令息だった。道に迷った事を打ち明けると親切に講堂まで案内してくれた。


 その日からイーサンの事が気になり始めた。彼にお礼の品物を届けに騎士達の練習場に行った。騎士を目指しているイーサンは無愛想で寡黙な男性だった。まだ婚約者もいないと言うので、安堵していた。まだ彼の傍に居られると……。


 自分の出自を考えても侯爵家の嫡男であるイーサンに相手にしてもらえるとは思っていない。だから、親しい友人として傍にいられるだけでいいのだと、心にある淡い恋心に蓋をしていた。


 そんな私にイーサンは「俺達付き合わないか」と言ってくれたのだ。直ぐに返事をしたかったのだが、自分の生い立ちにコンプレックスのあった私は躊躇った。


 イーサンは根気よく渋る私との距離を詰めていってくれたのだ。次第に私もイーサンとなら温かい家庭を築けるのではと承諾した。


 晴れて恋人同士になると何だか照れくさくて、二人でぎこちないやり取りを繰り返している。そして、初めてのデートは春先の祭りに二人で出かけた時だった。


 珍しい品物の露店が立ち並ぶ通りを二人で歩いていくと、フードを被った異国の男に声を掛けられた。


 「お嬢さん、君に似合う物があるよ」


 不意にその男が見せた物は古い指輪だった。何気なくその指輪を手にした事がそもそもの間違い。手にした瞬間に何だか分からない記憶が映像となって頭を駆け巡る。吐き気と頭痛で青くなる私をイーサンは支える様に


 「大丈夫か?


 「ええ、ちょっと気分が悪くなっただけよ。人混みに酔ったのかしら……」


 ズキリッ


 痛んだ頭を手で抑え込んだ瞬間、別の何かの声が聞こえてくる。


 ──この体はわたしが使うわ


 私は意識を奪われた。いや体を乗っ取られたのだ。別のに。


 イーサンも私の様子がおかしくなったことに気付いていたが、疲れただけだと言う別の私の声に納得していた。


 結局、あの指輪を買って私はそれを身に付けていた。


 段々、私の中に別の誰かの思いが強くなっていく。そして、私が私でいられる時間が減っていき、誰かが眠っている時だけ私は自分の身体を取り戻す事が出来る様になってしまった。


 誰かにこの事を知らせたくても出来ない。この誰かは私達の棲んでいる世界を『ゲームの中』といい、イーサンの事を『攻略対象キャラ』といっている。


 しかも『イベント』や『隠しキャラ』等と訳の分からない事を口走る様になっていた。止めようとしても私には何も出来ない存在になり、自分のやっている事を影から見ているしかなかった。


 イーサンとの大切な想いも踏みにじられ、段々壊れていく彼を見ているのは辛かった。


 だから、愛する彼に囁く。


 「アルフォンソ様が今度のお茶会でアナトーリア様との婚約を解消して、と婚約してくれると発表するんですって」


 イーサンの顔が微かに歪んだ。きっと彼は私の願いを叶えてくれる。私を殺してこの体に棲んでいるを追い出して欲しい。


 そして、彼は英雄になる。王太子殿下を惑わした悪女を成敗した忠臣として……。


 私が私として出来る最期の想いをイーサンに伝えたはずだった。


 なのに、どうして、アナトーリア様が私を庇うの?私は貴女の大切な人を奪う悪女なのよ。


 私の中のわたしは「こんなのおかしい。わたしがヒロインなのよ」と叫びながら衛兵に連れられて行った。その後、私の身体は処刑されなくなったのに、私はまだ存在している。


 イーサンも後を追う様に死んでしまった。


 一人になった私は、アナトーリア様の眠る部屋に幽鬼となって彷徨っている。


 私の身体を庇ってイーサンに斬られたアナトーリア様を助けたい一心で私は祈った。


 ──どうか彼女の心の傷が癒えるまで、嫌な事は


 そう祈って、最後の光の魔法をアナトーリア様に使った。


 段々、光が強くなった時、誰かに呼ばれてその光の元に駆けていった。私、セシリア・ガストンが消える時、アナトーリア様は目覚めたのだった。記憶の一部を失って……。


 良かった。恩返しが出来た。私の様な者を庇って傷ついたアナトーリア様が幸せになれますように。


 私の魂はそう願いながら、光の中に消えていったのだった。

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