この心底くだらなくてふざけている素晴らしい世界へ

沖田ねてる

僕が贈る言葉


 夢を見た。その夢は、いつもと全く違っていて。

 すっかり目が覚めてしまった僕は、ゆっくりと身体を起こす。


 それは酷く現実味のない、幸せな夢だった。今まで味わったことのないような、とても心地よい夢。現実じゃ、そんなことある訳がないのに……ま、いっか。

 上半身だけ身体を起こしている僕は、隣で眠っている彼女に目をやる。美しい君。寝ていても、それは全然変わらないね。そんな彼女の側には、昨日持ってきた自分のカバンもあった。


 なんだかんだあったけど、昨日は彼女との初めての夜だったのだ。僕も緊張したし、彼女もたくさんはしゃいでたからね。夢見がいつもと違っても、不思議じゃない、か。そんなもんだよなと、僕は首を振った。

 横になっている彼女の長い黒髪は、円状に広がっていた。まつ毛がよく分かるぱっちりとしたつり目は、静かに閉じられている。赤い模様が散りばめられた白いワンピースから覗くスラリとした足が目に入って、僕は思わず息を呑んだ。本当に綺麗、だよな。


 彼女と僕の出会いは、街中の交差点だった。一人で買い物に来ていたらしい彼女。僕はひと目見た時に、彼女の虜になった。ふわりと舞った黒く長い髪。少しきつい人という印象を受ける、つり上がった目。身体つきはスレンダーで、高い背丈を支えているスラリとした足。

 彼女の全てが、僕の心を射抜いてみせた。街中で、信号が変わって人通りが激しくなった交差点で、思わず立ち尽くしてしまった。それくらい衝撃的だったから。


 僕はなり振り構わず彼女を追った。ビックリする彼女に、遠慮なくアプローチした。こんなに頑張ったのは久しぶりで、色々と苦労はしたけど。その甲斐あって、ようやく昨夜、僕は彼女と結ばれたんだ。自分より大きな彼女を、僕は強く抱きしめた。彼女はビックリしてたね。あの顔は、当分忘れられないかもしれない。

 抱きしめた時の彼女の温もりは、今でも僕の両腕に残っている。ビックリした彼女に不意打ちでぶつけた唇の柔らかさも、まだ覚えている。彼女の身体の感触は、早々忘れられないだろうな。我ながら、変態チックだとは思うけどね。


 それもこれも、彼女が魅力的なのがいけないんだ。細身に見える癖に、抱き締めると柔らかくて。すべすべの肌は、いつまで撫でてても飽きなくて。漏らした吐息が少し湿ってて、とても……い、いけないいけない。朝から何を興奮しているんだ、僕は。生理現象とはいえ、流石に節操がなさ過ぎるだろう。昨日あれだけしたというのに……僕の中にこんな獣が宿っていたなんて驚きだ。

 とにかく、一度起きようか。そろそろ朝ご飯にしたいしね。立ち上がった僕は再度、眠っている彼女に目をやって微笑む。その後はトイレにいって用を済ませ、台所を目指した。さて、朝は何にしようかな。


 確か昨日炊いてたご飯が冷凍してあった筈だから、炊飯器は動かさなくても良いな。ご飯があるなら朝は和食にしよう。頭の中で軽く献立を考える。ご飯、味噌汁、目玉焼き、ウインナー、レタスのサラダ。ドレッシングは先週買った胡麻のやつがあった筈だ。野菜が少なめだけど、ま、今日はこれでいこう。

 戸棚に入っている出汁パックを取り出し、僕は小鍋に入れて水を加え、火をかける。この隙に味噌汁用の野菜を切っておこう。しかし、この出汁パックで作ると美味しいんだよなぁ。沸騰してから五分だっけ。彼女が買っているのを見て、僕も試しに買ってみたのだが、見事にハマってしまった。今では自分の家にも常備するようになってしまい、お味噌汁はこの出汁パックじゃないと駄目だ。これも彼女のお陰だね。


 出汁を取り終わったらパックを、三角コーナーに捨てる。立ち上る湯気から良い香りが広がる中、小鍋に切った小松菜と白菜、もやしを入れて再度煮立たせた。小松菜は茎の部分だけを入れて、沸騰直前に葉っぱを入れるのが良いらしい。最初に葉っぱも一緒に煮た時は、ベチャベチャになっちゃったからね。

 小鍋に入った野菜たちを弱火でゆっくりと煮ている間に、隣のコンロにフライパンを置いて油を薄く広げ、こちらにも火を点ける。フライパンが熱くなってきたら、そこに生卵とウインナーを入れて焼き始めた。本当は別々で焼いた方が良いのかもしれないけど、ここで僕の面倒臭いが発動した。少しくらい、大丈夫でしょ。


 しかし、ウインナーに白身が付いて焦げ始めてしまった。ああ、やっちゃった。やっぱり大丈夫じゃなかったか。ったく、ふざけてやがる……ま、いっか。これくらいなら許容の範囲内だ。

 塩胡椒をまぶし、ウインナーの焦げた面をひっくり返して火を弱め、蓋をする。目玉焼きは黄身の部分に白い膜が張っているのが好きだからね、蓋は必須だ。あとはウインナーが焼けてくれれば、それで終わりかな。


 おっと、味噌汁が沸騰を始めてるじゃないか。完全に煮立たせないのがコツだからね。ここで火を切って、味噌を溶かしながら入れる。そして先ほど取っておいた小松菜の葉っぱを入れて、また軽く煮立つくらいまで弱火で煮る。うんうん、良い感じだ。

 その間にレタスの葉を一枚取ってきて水道水で洗い、水を切って一口サイズに千切り、大きめの皿の片側に盛り付ける。緑色をした水々しいレタスは、見てるだけで美味しそうだ。ここに胡麻ドレッシングをかけてっと……あっ、ウインナーと卵が焼けてる焼けてる。お皿のもう片側に、焼けていた目玉焼きとウインナーを盛り付けて。良し、お菜は完成だ。


 お味噌汁もいい感じだし、器によそってお箸を用意して。これで朝ご飯の完せ……あっ、しまった。冷凍ご飯を電子レンジでチンするのを忘れてた。せっかく出来立てで食べられると思ったのに……チッ。自分の不甲斐なさに舌を打ちながら、電子レンジに冷凍ご飯を入れて、スイッチを入れる。あと、いい加減寝たままの彼女も連れてこようか。全く、世話のやける人だね。

 味噌汁とお菜が少しぬるくなってきた頃。ようやく電子レンジから、チン、っというカン高い音が聞こえてきた。待ちくたびれちゃったよ、全く。机の上に並べて、コップを出してきて麦茶も淹れて、やっと朝ご飯の完成だ。椅子に座り、彼女と対面した僕は両手を合わせる。


「いただきます」


 そうして、僕はお箸を取って、もう片方の手で味噌汁椀を持った。




 同時に、彼女が体勢を崩して椅子から転げ落ちた。




 僕はそれを見つつ、味噌汁をすする。あーあ、倒れちゃった。


「……うん、美味しい。君も昨日素直になってくれてたら、一緒に朝ご飯食べられたんだけどなぁ」


 少し冷めちゃってたけど、お味噌汁は美味しかった。目玉焼きも良い感じに一部が半熟になってたし、ウインナーの塩加減も絶妙。レタスはシャキシャキしており、胡麻ドレッシングと相まって、それだけでご飯が進む。

 でもそれは僕だけの分しかない。だって彼女はもう、朝ご飯も食べられなくなってしまったのだから。


「……昨日楽しむだけ楽しんだし、もういっか。また腐る前に処分しないとなぁ……バラバラにするの手間なんだよなぁ、全く……」


 美味しい朝ご飯に舌鼓を打ちつつ、僕は今後の段取りを頭の中で考える。いくら美しい君でも、放っておくとウジが湧いちゃうからね。キチンと後処理しておかないと。

 ってか、何でまたこんなことになっちゃうんだろ。街で見かけた君に恋して、君のこと知りたくなったからゴミを漁って、手紙とか無言電話でたくさんアプローチして……やっと踏ん切りがついたから告白したってのに……いっつもいっつも、僕のことを受け入れてくれない人ばっかりだ。


 彼女はいつまで経っても通報しなかったから、ワンチャン行けると思ったんだけどなぁ……昨日もあんなに抵抗されるとは思わなかったから、結局は手が出ちゃったよ。ったく手間取らせやがって……最近、生きてる女の子とシてないなぁ……。

 ま、いっか。君に会えたお陰でだいぶ満足できたし、何よりも美味しい出汁パックを知れたんだ。これ以上は贅沢ってもんだろう。こう見えて、僕は謙虚だからね。


 そんなことを考えながら、僕はウインナーを齧った。このちょっとお高めで貰い物の、シャウエッセンのウインナー。親戚のおばさんから受け取った時は楽しみにしてたのに、結局君は食べられなかったね。可哀そうに。

 彼女はずっと、床に倒れ伏している。部屋に広がるフローリングと一緒で、冷たくなっている彼女が。最初の方は、まだあったかかったんだけどな。


「ご馳走様でした」


 食べ終えた僕は、空になったお皿に向かって。そして倒れてる彼女に向かって、両手を合わせた。美味しかったです、ご飯も貴女も。

 僕は食べ終わった食器を台所で洗い、食器乾燥機の中に入れる。これも確か買ったばかりだっけ。こっそり仕掛けた監視カメラと盗聴器のお陰で、初めて来た彼女の家の中のことも、良く知っているよ。君の事は、世界中の誰よりも知ってるんだ。あっ、でもカメラと盗聴器はバレる前に回収しとかないと。


 さて、と。後は痕跡を消して彼女を運んで、また処分するだけだな。この前は山に埋めたから、順番的に海に沈めようか。今度はちゃんと沈むように、良い重りを買ってこなきゃなあ……あっ。天気はどうだろ? 今日は午後から雨とか言ってなかったっけ?

 気になった僕はテレビを点けてみた。ちょうどニュースがやってるところだった。


『……続いて。最近発生しております、連続婦女失踪事件についてです。被害者は全員、以前からストーカー被害に遭っていたことが解っており、先日海から上がった行方不明者の一人の女性が死体であったことから、警察では殺人事件としてストーカーの身元の特定を……』

「……あー、怖い怖い」


 神妙な顔でそう捲し立てているニュースキャスターを見ながら、僕はそう呟いた。そんな事件なんてどうでも良いね。早く天気予報にならないかなぁ……しかし願いは届かず、特集でやっているらしい連続婦女失踪事件のニュースは続いた。チャンネルを変えてみたけど、他のテレビ局もその事件の話題ばっかり。僕の恋心と同じく、世の中はなかなか自分の思い通りにならないらしい。

 だからだろうか。今日見たのが全て自分の思い通りになっている、思うままに振舞えた、そんな夢だったのは。現実じゃ上手くいかないから、夢で帳尻でも合わせてきたんだろうか。っておいおい、現実の帳尻は現実で合わせてくれよ。


「ったく……ふふふふっ」


 自分で入れたツッコミだったけど、何だか無性に笑えてきてしまい、一人ぼっちの部屋の中で、僕は笑った。それはもう、楽しくて楽しくて、笑った。

 笑いながら、僕の中には一つの言葉が思い浮かんでいた。この心底くだらなくてふざけている素晴らしい世界へ贈る、そんな言葉。何一つ自分の思い通りにならない、そんなクソの塊みたいな世界に、僕からの精一杯の気持ち。受け取ってくれよ。全力で敬意を込めた、このたった一言を。


「死ね」


 努めて明るい声のまま、僕はそう言った。言い換えるなら、くたばれ、が良いかな。ま、どっちでも良いや。

 さて、と。そろそろ始めようか。僕は彼女だったものを見下ろしながら、持参したカバンから取り出したノコギリを手に持った。今から、一仕事だ。

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