第5話 夜の日課

「チェストォォォ!」


 裂帛の気合とともに、翔太は荒縄を巻いた鉄骨に掌底しょうていを打ち込む。

 ゴォォォン! と鈍い金属音が夜の帳に響き渡る。

 場所は学生寮から離れた林の中にポッカリと出来た空き地だったため、その音に気づく寮生は殆んどいなかった。

 翔太は一撃を打ち込んだ残心を解きながら、肺に溜まっていた空気を深く、ゆっくり吐き出す。


「くっそ……。物理攻撃が有効なら、今ので一撃で霊実のバケモノも粉砕なんだけどな」


 忌々しそうに呟きながら、翔太は廃線のトンネルで遭遇したバケモノ――偶発的精神転写体を思い出す。そして、生理的嫌悪を受ける光景をありありと脳裏に再生してしまい、気持ち悪くなって口元を手で押さえる。

 しばらく、無心を心掛け、気持ちを押しつかせると翔太は肩越しに薄暗い林に視線を向ける。


「隠れてみる必要はないだろ。いい加減、そろそろ出てこい」

「……いけず。せっかくの気遣い。私の乙女心を無駄にするなんて酷い」


 一呼吸おいてから、闇の中から人影――梓の姿が現れる。彼女は足音一つさせることなく、翔太のそばに歩み寄る。

 学園指定のジャージ姿の梓。自室でくつろいでいたところを飛び出してきたような恰好だった。

 梓の表情はいつも通りの無表情。しかし、翔太は彼女が若干不機嫌なことを悟る。


「気遣いをする間柄じゃないだろ。だいたい空き地ここで普段から修行したり、組手したりしてるだろ……」

「それとこれは違う。木の陰から、見守るのは大事。お約束。特訓する主人公に必要で常識」

「どこの常識だよ……。勝手な常識つくんなよ」

「翔太がそんなこと言っちゃうの。示現流どころか、薩摩隼人でもないのに、掛け声で『ちぇすと』とか吼えているのに」

「ッ! いいだろ、声に出しやすいんだよ」

「フフフ、そういうことにしておいてあげる」


 慌てる翔太の姿に、意味ありげな表情で応じる梓。彼女の機嫌がよくなったことに、翔太は内心安堵する。


「乱取りでもするか? 霊実では、走り回って終わったからな。ゲームでいうと経験値ゼロだ」

「翔太がやったことって、インチキ護符をドヤ顔で偶発的精神転写体に突きつけた後、走り回っただけだったね」

「……そーだよ。で、やるのか?」

「ボッコボコにしちゃうよ?」

「出来るものならやってみろよ。だいたい梓はいつも手を抜くだろ」

「それは翔太の気のせい。私はいつも本気」


 両手で拳を作り、口をへの字に曲げながら、柳眉を寄せる梓。

 演技にしか見えない彼女の仕草に、翔太はため息をこぼしながら「はいはい」と軽くあしらう。

 翔太が空き地の中央に移動すると、梓は手足をプラプラと揺らして、ストレッチをしながら翔太の正面に移動する。


「時間はいつも通り。異能力は禁止だ」

「待って。翔太のいつも通りの時間はアバウト。早いときは数分。長いときは軽く一時間をオーバーしてる」

「いいだろ。実戦は、試合みたいに時間制限がないから、満足できた時に終わって正解だろ。質は大事だろ」

「……わかった。やっぱり翔太を説得するのは私には無理。いざ尋常に始める」


 そう梓が呟いた瞬間、周囲の空気が張り詰める。

 ふらりと倒れるような動きで、梓は翔太との距離を詰める。

 間髪入れずに繰り出された右正拳が翔太の顔面を的確に射貫く。


「チッ! いきなりかよ」

「実戦に開始の合図はないから」


 かろうじて梓の一撃を回避した翔太が悪態をつく。

 正拳がかすめた翔太の右頬は血が滲み、鋭い痛みに、彼は顔をしかめる。

 同時に梓と共有する時間が心地よく、翔太は口の端をわずかに持ち上げる。


「まったくその通りだな!」


 打点など気にせず、翔太は回し蹴りを繰り出す。

 迫る翔太の脚に、梓は手を添える。そして蹴りの勢いを利用して、ふわりと宙を舞う。

 翔太は梓の姿を目で追いながら、重心を落として、素早く手で土をすくい、小石をニ、三個拾う。そして、彼は梓の着地予想地点まで跳ぶように駆ける。

 梓が着地するタイミングと翔太が迎撃するタイミング。

 わずかながら翔太の方が遅い。


「そらよ!」


 翔太は声を出して、梓の意識を引き寄せながら、彼女に向けて指弾で小石を撃ちだす。タイミングの遅れを埋めるための牽制。


「指弾、ズルい」


 梓は非難しながらも、飛来する小石を両手で軽々と弾く。

 指弾をはじいたことで、梓の着地姿勢がわずかながら乱れる。

 クラスメイトが相手ならば、なんの問題にもならない、わずかな乱れ。

 しかし、翔太にとっては十分な隙。彼は着地した梓を蹴り上げる。


「もらった!」

「ちっちっち、想定内」


 会心のタイミングだったにもかかわらず、蹴り上げた翔太の足には何の手ごたえもない。

 翔太の視界には好戦的な笑みを浮かべながらバク宙する梓の姿があった。彼女は翔太の鋭い蹴りに合わせて、着地と同時にバク宙するという離れ業やってのけていた。

 まずい、と翔太は本能的に察する。

 着地と同時に仕掛けてくる梓。が、翔太は蹴り上げた足を戻しきれず、迎撃態勢に移れない。


「翔太、もらった」

「やられるかよ」


 とっさに軸足で地面を蹴り、翔太は二撃目を繰り出す。

 体勢が悪いため、威力は期待できない蹴りだったが、梓の攻撃が逸れる。

 翔太は体をひねり、地面にうつ伏せになる。

 身体中が土埃で汚れてしまうが、翔太はそのまま地面を転がり、梓との距離を稼ぐ。次の瞬間、突き刺さるような殺気を感じ、翔太は地面を両手で叩くようにして立ち上がる。

 先ほどまで翔太の頭があった位置を、梓が躊躇なく踏みつける。


「――ちょ! あぶね!」

「……おしい」


 今のは、かなりヤバかった。と内心冷や汗を流しながら、翔太はバックステップで梓から確実に距離をとる。


「梓、俺を殺す気か?」

「私、加減は苦手。だから、本気。あ、もちろん翔太を殺すつもりはない。殺さない程度の本気。まだ必殺技は使ってない。……もしかして、必ず殺す技、使っていいの?」

「良いわけないだろ」


 互いに申し合わせたように、俺と梓の口元に笑みが滲む。

 それから立ち代わり、入れ替わり、交差する二人。

 軽快な動きは、端から見ると踊っているように見えなくもない。

 互いに決定打を打ち込めず、時間は過ぎていく。何十回目の交差の後、二人は弾かれたように距離をとり、構える。


「次を仕舞いにするか?」

「もう少し翔太と踊っていたいけど、それでもいいよ」


 梓がスッ、と目を細める。同時に周囲の気温が下がっていく。

 次の一手をどう攻めるか? 手数か、一発か。翔太は眼前に拳を持ち上げながら、低く構える。


 パキン、と小枝が折れるような音が、翔太と梓の耳に届く。

 二人は瞬時に、音のした方に視線を向けて身構える。


「あー、訓練しているところを邪魔して申し訳ないわ」


 二人の視線の先には、神咲学園の制服に身を包んだ小柄な少女が立っていた。

 大きな瞳と形の良い柳眉から意志の強さを感じさせる顔立ち。しかし、小柄な体躯との相乗効果で、マスコットのような可愛らしい印象が先行する。

 彼女はバツが悪そうな顔で立っていたが、翔太と梓が構えを解いたところを見て、二人に歩み寄る。


須藤すどう佳奈かな……、何の用? ここは学園の敷地の外だし、授業どころか放課後もとっくの昔に終わっている」


 心底不機嫌そうな声で、梓は女子生徒――須藤佳奈を睨む。

 梓より頭二つ分ほど、小さな佳奈の体がビクリと反応する。彼女は深呼吸をすると左袖を指さす。そこには『風紀委員』と書かれた腕章がある。

 佳奈は大きな瞳で翔太と梓を見つめながら、口を開く。


「玄谷先生に、鬼灯と神代がここにいると聞いたから、足を運んだのよ。用件は放課後のことについての事情聴取よ」

「放課後? なにかあった、翔太」


 佳奈の言葉に怪訝そうな顔をする梓。チラリと彼女は、翔太に視線を向けて反応を待つ。

 思い当たることは一つしかなく、翔太はため息をつきながら肩を落とす。


「あっただろ。『SSS好き好き芹香様』に絡まれて、ひと悶着あっただろ」

「あー、あー、あー、そんなこと、あった」


 ハッとした表情で、ポンと柏手を打つ梓。

 梓の本気で覚えていなかった反応に、翔太は再度ため息をつく。


「翔太に仇をなす連中を、記憶の片隅に留めておくほど、私は暇じゃない」

「あれだけ大規模な魔術を行使して、覚えていないとかありえないわ。とにかく『SSS』関連のトラブルが起きた場合は、風紀委員で調書をとることになっているの」

「ふへっ、あいつら多いときは一日数回は問題起こしているだろ。須藤も大変だな」

「……可能なら、連中を一人残らずボコって海の底に沈めてやりたいわ」


 拳を握りしめながら、低く笑い始める佳奈。小柄な彼女の体からは、怒りのオーラが放たれていた。

 心底苦労していることを察し、翔太は苦笑するしかなかった。


「落ち着け、須藤。とりあえず、ここで調書をとるわけにもいかないだろ。学生寮の学食にでも行くか?」

「ハッ、あたしとしたことが。元々、そのつもりよ。あ、玄谷先生から『例のケーキを手に入れたから、お裾分けしてやる。三人で貪り食え』と預かっ――」

「須藤佳奈! 早く! 翔太も!」


 そう言って、佳奈の腕を掴んで、学生寮へ駆け出す梓。

 翔太は、ため息をつく。木々の隙間を縫って遠ざかる二人の姿を横目に、服の土埃を叩き落とす。


「さて、早く追いかけないと梓が暴れだすな」


 翔太は空き地に忘れ物がないか軽く確認してから学生寮へ向かうのだった。

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