番外編

7.1話

王子と騎士

 綺麗な音と書いて麗音れおん。それが俺の名前。白百合歌劇団という、女性だけで構成される歌劇団出身の俳優の名前が由来らしい。

 平成に生まれた子ならまだしも、昭和生まれの俺には少々キラキラすぎる名前で、周りからは変な名前だとよく揶揄われていた。

 だけど、ただ一人、俺の名前を好きだと言ってくれた女の子が居た。それが後に恋人となる安藤あんどうかいちゃん。俺は彼女の名前が羨ましかった。カイという名前の響きがかっこいいから。そんな俺に、彼女は言った。『変って言う方が変だよ。僕は好きだよ。君の名前。僕の好きなアニメに出てくるの騎士と同じ名前なんだ』と。


「きし?」


「おうじさまをまもるひとだよ」


 彼女は語った。そのアニメの王子様に憧れているのだと。だけど彼女は女の子で、女の子は王子様にはなれないのだと親に言われて落ち込んでいた。

 だけど俺は知っていた。女性でも王子様になれることを。麗音という名前の由来となった俳優——音咲おとさき麗音れおんさんは男役だった。俺は母に頼んで、彼女に音咲さんが演じた舞台の映像を見せた。彼女は目を輝かせて見ていた。

 その年の学芸会で、彼女は王子役に立候補した。周りからは女なのにと揶揄われたが、彼女は『音咲さんは女の子なのに王子様やってたもん』と譲らなかったが、担任の先生からも反対され、結局彼女は村娘の役をやることになった。代わりに俺は王子役に立候補した。引っ込み思案だった俺が自分から主役に立候補したことに母は驚いていたが、俺が王子役に立候補したのには理由があった。


「いいよね。きみはおとこのこで」


 学芸会が終わって、拗ねる彼女に、俺は小道具で使った王冠被せてやった。


「……なに」


「かいちゃんにあげる。もらってよ。きみのほうがにあうから」


 学芸会が終わったら小道具を貰えることを俺は知っていた。だから王子役に立候補した。彼女に王冠をあげるために。

 本当は、騎士役をやりたかった。だけど、俺がやりたかったのはただの騎士ではなくて、海が演じる王子の騎士だった。それを伝えると、彼女はふっと笑って言った。「王族である僕は民を守る責務がある。その僕を守るのは騎士である君の仕事だ。だから、背中は任せるよ。レオン」と。それは、彼女が好きだと言っていたアニメの王子様のセリフだった。民を守るために無謀な戦い方をする王子に説教する騎士レオンに対して言った台詞だ。

 そんな王子にレオンは呆れながらこう返す。

「全く、貴方という人は」と。

 台詞を続けると、彼女は満足そうに笑ってお礼を言った。

 その時俺は思った。彼女のその笑顔を守りたいと。




「とまぁ、これが、俺の初恋の話」


 黙ってしまう彼女。きっと「そんな昔のことよく覚えてるな」とか「キモいな」と呆れられるんだろうなと苦笑いしていると、意外にも彼女は「あったなそんなこと」と懐かしむように笑いながらワイングラスに口をつける。


「……今も昔も、僕はずっと君に守られてきたんだな。ありがとう。麗音」


 珍しく素直な彼女に戸惑ってしまうと、彼女はくすくすと笑う。


「んだよ。その顔は」


「いや……なんか今日、やけに素直だなって」


「悪い?」


「いや。……可愛い」


 揶揄ってやると、彼女はちっと舌打ちをして俺を睨む。


「ごめんごめん。けど……嬉しいよ。君があの時のことを覚えていてくれて」


「……忘れてたけど、君の話を聞いて思い出した」


「本当は?」


「覚えてたよ。ずっと。忘れるわけないだろ。……あの日のことは、僕にとっても大切な思い出なんだ」


「……そっか」


「そう。……だから、ありがとう。君には感謝してもしきれないくらい感謝してる。……生まれてきて良かったと思わせてくれて、ありがとう」


 生まれてきてよかった。その言葉を聞いた瞬間、思わず涙が溢れる。


「なんで泣くんだよ」


「だってぇ……」


 ずっと昔から、俺は彼女に恋をしていた。だけど彼女は同性愛者で、男である俺では彼女を幸せに出来ないと思っていた。彼女がこの想いに応えてくれてからもずっと思っていた。本当に俺で良いのかと。それを打ち明けると、彼女は席を立ち、腕を伸ばして俺の涙を拭いながら言った。


「何度も言ってるだろ。僕は女性が好きだけど、君だけは例外だと。それに……こんなクソみたいな女をここまで一途に愛する馬鹿は君くらいだ」


「ふふ……俺は君の騎士だからね。だから……君が君の責務を全うできるように、これからも支え続けるよ」


「……うん。これからもよろしく頼むよ」


「死ぬまでお付き合いさせていただきますよ」


「来世は?」


「この間遠慮したじゃん」


「拒否されても付き合うのが君じゃないのか?」


「付き合ってほしいのかほしくないのかどっちなんだよ」


「言わなくても汲み取れるだろ君なら」


「あのねぇ……」


 なんて冗談を言いながら笑い合う。そんな日が来るなんて、あの頃は想像も出来なかった。


「愛してるよ。海」


「知ってる」


「……」


「なに」


「……海は? 俺のこと愛してる?」


「言わなくても分かるだろ」


「分かるけど言葉にしてほしい」


「騎士の分際で王子に命令するな」


「いくら俺がベタ惚れだからってそういう冷たい態度ばかり取ってると——」


 彼女は急に立ち上がったかと思えば、近づいてきて俺の顔を上げさせて唇を奪った。そして、何事もなかったかのようにまた俺の正面に座り、頬杖をつき、悪戯っぽく笑いながら問う。


「嫌いなっちゃう?」


 言葉とは裏腹に「ならないでしょ?」と言わんばかりの自信に満ち溢れた顔。悔しいが、ムカつくくらい輝いて見える。


「なるわけないでしょ! 好き!」


「はははっ。ちょっろ」


「ぐぅ……! 惚れた弱みに漬け込みおってぇ……!」


 恋愛は先に惚れた方が負けとはよく言ったもので、俺はきっとこの先も一生彼女には勝てないのだろう。悔しいけれど、俺を揶揄って笑う彼女の笑顔は、昔俺が守りたかった笑顔そのものだった。恋人を傷つけられ、恋人に裏切られ、親友を失い、絶望に呑まれてずっと無くしていた心からの笑顔。もう二度と、誰にも奪わせないようにキツく抱きしめる。


「……愛してるよ。海」


「知ってるってば」


「うん。知ってて。俺は君を愛してる。今までも、これからもずっと。何があっても愛し続けるよ」


「……はは。君に言われると説得力が違うな」


 そう言って、彼女は俺を抱きしめ返す。そして耳元で囁いた。「僕も、愛してる」と。そして、ちゅっとリップ音を残して、俺から離れる。


「……ほんとずるい」


「クズだからね。僕は。『愛してる』って言葉はいざという時にしか使わないんだ。君と違ってね」


 そう悪戯っぽく笑って、彼女は俺に手を差し伸べる。


「おいで。麗音。抱いてあげる」


 こうやって、色々な女の子を弄んできたのだろうなと呆れながらも彼女の手を取る。すると彼女は俺の手を引いて、寝室の方へ向かう。


「……君って、本当ずるいね」


「嫌いになった?」


「ならないよ。……なれない」


 彼女は俺の初恋だった。それから何十年、ずっと彼女だけを想い続けていた。諦めたくて他の人と付き合った時期もあったけれど、結局俺は、彼女以外の女性を恋愛的な意味では愛せなかった。彼女に出会わなかったらきっと、恋を知らないままだっただろう。そう言っても大袈裟ではないくらいに俺は、彼女に恋をしている。それはもはや、執着と言った方が正しいかもしれない。それくらい、彼女に対する想いは重いのだ。少し意地悪されたくらいで嫌いになんてなれるわけがない。

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君だけが特別 三郎 @sabu_saburou

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