第6話:彼女達の想い

 しばらくすると、彼女は「行かないで」と呟いた。夢を見ているのだろう。きっと、水元さん達の夢。


「大丈夫……大丈夫だよ。海」


 声をかけながら頭を撫でてやると、しがみついてきた。邪な感情と戦いながら彼女をあやしていると、ふと、顔を上げた。目が合う。


「おはよう。落ち着いた?」


「……事故で死ぬ夢を見た」


「……そうか」


「けど、帆波に送り返された。まだやることがあるだろって」


「……昨日、二人と何話したの?」


 彼女は俺の質問には応えず、ベッドから起き上がり、テレビをつける。昨日の事件の続報が流れた。水元さんの家から遺書が見つかったらしい。そこにはこの世界に対する恨みつらみが綴られていた。11月22日。あらかじめ、その日に死ぬと決めていたと遺書には書いてあった。


『哀れみなんて要らない。どうしたら救えたのかなんて無駄な議論をする暇があるのなら、どうか私が描いた悲劇を、呪いを、希望満ち溢れる物語に繋げてほしい。それでも踏みにじりたいのなら、呪い殺される覚悟くらいはしておいてほしい』


 ニュースキャスターが、震える声で遺書の一部を読み上げる。痛いほど伝わってくるこの世に対する恨みつらみが、俺の中で燻っていた海の殺人容疑をあっさりと晴らした。


「……水元さん、こんな遺書残してたんだね」


「……遺書というか、呪いだよ」


「『それでも踏みにじりたいのなら、呪い殺される覚悟くらいはしておいてほしい』って書いてあるしね」


 彼女がチャンネルを変える。どこもかしこも二人の話ばかりだ。


「……都合の悪い部分は切り取られて抜粋されると思ったけど、そうでもないんだな」


 彼女が呟く。まるで水元さんの遺書の存在を前から知っていたような口ぶりだ。実際、知っていたのだろう。水元さんの計画は分かった。この呪いの文書を日本中に放送して、差別に対する怒りを訴える。そのために死ぬ必要があったということだろう。ニュースになるくらいの事件にするために。だけど、遺書から察する限り、計画はまだ終わっていない。むしろこれからだ。それを引き継いだのが海なのだろう。


「……海、あのさ……もしかして海はずっと前から……」


「知ってたよ」


「……」


「二人が死ぬこと、僕はずっと前から知ってた。知ってて送り出した」


 一滴も涙を流さず、テレビを見つめたまま淡々と彼女は答える。


「……そっか」


「……なんで止めなかったのって思ってる?」


「いや、君を責める気はないよ。……こんな遺書見せられたら、止められなかったことくらい分かる」


「……そう」


「……ねぇ、海。俺に出来ること、何かある?」


 彼女の隣に座り、問いかける。すると彼女は俺の肩に頭を乗せてこう言った。


「……僕を甘やかして。側にいて。恋人なんて作らないで、一生僕の側にいて」


「……えっ。な、なに?プロポーズ?」


「……うん。そうだよ。麗音、僕と結婚してよ。どうせ僕は結婚出来ないし、君が誰かと結婚するのも癪に触る。一生僕を好きでいて。僕以外に恋をしないで。僕以外を愛さないで。死ぬまで一生、僕に片想いしててよ」


 そして、いつか耐えられなくなって、嫉妬に狂って、僕を殺して。

 彼女はそう締め括った。そのプロポーズは決して愛のあるものではなく、憎悪や嫉妬、嫌悪による八つ当たりだった。婚約という名の奴隷契約だった。


「……最後の物騒なお願い以外は聞いてあげる」


「最後が一番叶えてほしい願いなんだけど」


「……そう言われても無理だよ。俺は君に生きてほしい」


「僕は君に殺されたい」


「なんで俺なんだよ」


「自分じゃ死ねないから。……帆波との約束が絡みついて、僕をこの世界から逃してくれない。助けて。僕を解放して」


「殺してくれるなら俺じゃなくても良いってこと?」


「……ううん。君が良い」


「なんで?」


「君の心が綺麗すぎるから。眩しすぎるくらいに。だから、真っ黒にしてやりたいの。嫉妬と、愛する女を殺した罪悪感で、真っ黒になってほしい。不幸になってほしい。幸せになるなんて許さない。その真っ黒な心のまま、君は死ぬまで一生罪を抱えながらこの世を彷徨ってほしい。追いかけてきたら地獄に落とす」


 彼女はそう、淡々と語る。憎しみに満ちた言葉。だけど、声は震えていた。隠しきれていない根っこの優しさが俺には見えた。これ以上自分に関わらない方が身のためだと言っているように聞こえた。


「君にそんな権限があるのかなぁ」


「……そうだね。そもそも、地獄に行くのは僕の方かもしれないね」


「……そんなことないよ。海に助けられた人はたくさんいるよ。俺もそうだし、水元さんと天龍さんもきっと」


「傷つけた人の方が圧倒的に多いよ」


「……どうだろうね。それは分からないけど、もし神様がいて、天国と地獄があったとして、君を地獄に落とすって神様が言うなら、俺は神様を全力で説得するよ」


「……やだ。優しくしないでよ……」


「何言ってんの。甘やかしてって言ったのは君だろ。どっちなんだよ」


「嫌だ……怖い。君の優しさが怖いよ。なんでそんなに優しいの? 何が欲しいの?」


「……何も要らない」


「嘘だ」


「……海、俺はこの世界が嫌いなんだ。水元さん達を殺して、君を歪ませた異性愛主義の世界が許せない。君もそうだろう? 海」


「……いいじゃない。君は。世界が変わらなくても幸せになれるんだから」


「なれないよ。海が笑える世界じゃないと俺は幸せになれない」


「なんだよそれ……重すぎんだろ……君はどれだけ僕に執着してんだよ……気持ち悪い奴だな君は……」


 分かっている。もはやこれは愛でも恋でも無い。ただの執着だ。分かっている。だけど、放っておけない。手を離したら彼女は死んでしまう。


「死なせないよ。海。君が死んだら水元さん達の死が無駄になる。水元さん達が起こした悲劇の先にある希望の物語の主人公は君なんだろう?」


 水元さん達の計画を水の泡にしたくはない。二人の死を無駄にしたくはない。あんな遺書を見せられたら、そう思うに決まっている。きっとこれも、水元さんの計算のうちなのだろう。


「……」


「理不尽な世界に負けないで。俺が支えるから。ずっと、ずっと支えるから。俺の人生の全てを捧げても、支え続けるから」


「なんで……そこまで……」


「……水元さんに頼まれたんだ。『海をよろしくね』って」


「……それは嘘」


「……ううん。嘘じゃないよ」


 水元さんは言っていた。『海を愛し続けていて』と。俺目気づかないうちに彼女の計画に加担させられていたのだろう。だけど、上等だ。海だけにこんな重い使命を背負わせたりしない。


「さっきも言ったけど、俺はこの世界が大嫌い。君を歪ませて、君から大好きな人を奪って、傷つけて、幸せを奪って、水元さん達を殺したこの世界が憎い。変えたい。変えないと……例えば俺に子供が出来て、その子が異性愛模範から外れてしまったら、また苦しむことになってしまう。だから海、お願い。逃げないで。俺も一緒に戦うから。どうせ死ぬなら、このクソみたいな世界に一矢報いてから死のうよ。俺も手伝うから。寿命が来るまで、出来る限りのことはするから」


「……っ……」


 幼馴染としてずっと一緒に育ってきた俺でさえ、こんなにも大きな声を上げて泣いた彼女を見るのは初めてだった。昔から、転んでも全然泣かない子だったから。強い人だと思っていた彼女が酷く小さく見えた。

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