第5話:11月22日

 11月22日。語呂合わせから、良い夫婦の日と言われるこの日だけれど、その年からその日は、同級生二人の命日に塗り替えられた。


『遺体はこの辺りに住む水元みずもと帆波ほなみさんと天龍てんりゅう月子つきこさんのものと思われます』


 何気なくつけたテレビから、知り合いの名前が聞こえた。二人の女性の変死体が発見されたというニュースだった。同姓同名だなんて言い訳をする隙も与えずに、二人の顔写真がテレビに映る。信じたくなくてテレビを消すと、電話がかかってきた。実家からだった。母の声ではっきりと現実を突きつけられた。


「っ……海!」


 こんな時でも、真っ先に顔が浮かぶのは彼女だった。考えるより先に足が動いた。彼女の家のインターフォンを何度押しても彼女は出ない。通りかかった近所の人が朝早くから出て行ったと教えてくれた。


「どこに!?」


「さ、さぁ……知らないけど……何かあったんですか?」


「分かんないです……俺にも何が起きてるのかさっぱり……」


 パトカーがアパートの前で止まる。二人の事件絡みだとすぐに察した。警察から海の行方を聞かれたが、そんなの俺が知りたかった。

 食事も取らずに、俺は彼女を待ち続けた。帰ってきたのは夕方だった。任意同行に応じてパトカーに乗った彼女を車で追いかけて、署の近くの駐車場に車を停めて彼女が出てくるのを待った。


「……家まで送るよ。海」


「……いい。一人で帰る」


「心配だから送らせて」


「……良いってば」


「駄目。乗って」


「……ありがと」


「ん。どういたしまして」


 少々強引に彼女を車に乗せて、家まで送った。その間、会話は一切無かった。


「じゃあ海、俺は帰るね。おやすみ。ゆっくり休んでね」


 一人になりたいだろうと思い、彼女を家に送り届けると俺はすぐに帰ろうとした。すると彼女は俺の服の袖を掴んで止めた。


「……行かないで。今日は一緒に居て。一人になりたくないの」


 堪らず、抱きしめてしまう。彼女は突き放すどころから俺の背中に腕を回した。


「……麗音」


「ん。何」


「……まだ僕のこと好き?」


「……好きだよ」


「……セックスしたい?」


「……海が嫌なことはしたくない」


「良いよ。しても」


 心臓が飛び跳ねた。一瞬、何を言われたのか理解出来なかったが、色々あって自暴自棄になっているのだとすぐに察した。


「しないよ。何もしない。何も要らない。見返りが欲しくて優しくしてるわけじゃない。ただ、君が幸せで居てくれたら俺はそれで良い。君の幸せのためならなんだってするよ」


「じゃあセックスしよ」


「それは無理だな」


「何でもするって言った」


って言ったろ。今の君はただ、自暴自棄になってるだけだろ。もっと自分を大事にしてあげてよ」


「エゴだよ。それは」と、彼女は絞り出すような、悲痛な声で呟く。その悲痛な声が心に突き刺さる。


「……そうか。ごめん。じゃあ海、俺に何してほしい?」


「セッ「それ以外」……じゃあ、一緒に寝て」


「……えっちなことしないなら」


「……それ、普通こっちの台詞だと思うんだけど」


「そうね。俺もそう思う」


 正直、そういう欲がないわけでは無い。けど、こんな状況でそんな気なんて起きない。


「……なんでうちの前にいたの」


「二人のニュースが目に入った時、気付いたら家を飛び出してたんだ。ただただ、君が心配で、考えるより先に足が動いた。だから——」


 そこで俺はふと気づいた。家の鍵を閉めた記憶がないと。思わず叫んでしまうと、腕の中の彼女がびくりと飛び跳ねた。


「な、なに?」


「今思い出したんだけど、俺、家の鍵かけてない! ごめん、一旦帰っていい? 海から預かった箱、盗まれたら大変だから! ごめんね!」


 彼女を離して急いで家に帰る。案の定、鍵はかかって居なかった。幸いにも荒らされた形跡はなく、彼女から預かった箱も無事だった。


『海のこと、いつまでも愛してあげてね。例え結ばれなくても。ずっと。ずっとだよ。彼女が死んじゃったら私の計画が狂っちゃうから』


 水元さんの計画とはなんだったのだろう。この箱も彼女の計画に関係があるのだろうか。海はどうして俺にこれを託したのだろう。中身はなんなのだろう。少し考えて、彼女の家の前に警察が来ていたことを思い出す。この箱はやはり二人の死に関係のあるものなのだろうか。真相に迫る何かが入っているのだろうか。警察に応酬されたら困るものなのだろうか。


「まさか海……」


 二人は本当に自殺だったのかと疑いかけてやめる。海が二人を殺すはずはない。動機も何もないはずだ。


「動機……」


 海は高校を辞める前に彼女に振られたと水元さんから聞いた。そのせいで病んでいたと。対して水元さんは、恋人と上手くいっているように見えた。嫉妬が憎しみに変わったという可能性を考えて、首を振ってかき消す。


『タイムカプセルみたいなものだよ』と彼女は言っていた。開ける日が来たら話すと。その日はいつくるのかは分からないけれど、今は

 開けたい気持ちを抑えて彼女を信じてその日を待つと決めて、箱を閉まって彼女の家に急ぐ。あまり長いこと一人にしてしまったら水元さん達が彼女を連れて行ってしまうかもしれないから。


 彼女の家に着き、玄関の扉に手をかける。鍵はかかっていなかった。中から嗚咽が聞こえてきた。彼女が玄関前で蹲っていた。


「ごめんね。海。ただいま」


「……どうして?」


「ん?」


「どうして君は……そんなに僕のことばかり心配してるの? あんな得体の知れない箱なんかより盗まれたら困る物いっぱいあるでしょ」


 膝に頭を埋めたまま、彼女は言う。


「あぁ……うん。そうだね……けど……あれも盗まれたら困るよ。中身の価値は知らないけど、海が俺を信じて託してくれた大事な物だから。君の信頼を裏切ることは出来ない」


「……馬鹿じゃないの。良い人ぶったって僕は振り向かないよ。いい加減諦めろよ」


「諦めてるよ。とっくに。君の恋人になりたいなんて願わない。恋人にならなくても君の幸せを手伝うことは出来るから。俺はただ、親友として君の幸せを願ってる」


 嘘だともう一人の俺が言う。本当は期待しているんだろう。弱っている今なら落ちるのではないかと。

 そんなことないなんてはっきり言い返すことは出来なかった。

 だけど、幸せを願っていることは嘘じゃない。それだけははっきりと言える。


「……なんだよそれ。どれだけお人好しなんだよ」


「誰にでも優しいわけじゃない。海だからだよ。さぁ、今日はもう休みなよ。疲れてるだろ?」


 彼女を寝室に連れて行き、ベッドに寝かせる。そして自分は床に転がる。予備の布団なんてないから硬い床にそのまま。


「……こっち来て。狭いけど、床よりは良いだろ」


 とんとんと彼女がベッドの布団を叩く。


「……えっちなことするからやだ」


「しねぇよ。馬鹿。僕は君に欲情しない」


「……うん。分かってる」


 分かっている。欲情するのは俺の方だ。


「なんだよ。期待した?」


「……正直、俺が女だったらって思わない日は無かったよ。けど、俺は男で、君はレズビアンだ。それはもうどうしようもないことだから」


 自分に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。彼女はレズビアンで、俺は男。この恋が叶うことはない。だから捨てろ。捨てるしかない。期待はするな。そう何度も、自分に言い聞かせる。だけど想いは、日々増していくばかり。


「……ごめん。本当はね、恋人になりたいなんて望まないって口ではそう言えても、どれだけ言い聞かせても、君に対する想いを消すことはできないんだ。だから……床で寝ても良い?」


「……やだ。隣来て。何もしないんでしょ」


「何もしないよ。けど、何も思わないわけじゃない。ドキドキして眠れない」


「僕は一人じゃ寂しくて眠れない。だから隣来て。抱きしめてよ。慰めて。君が眠れないのは知らん。どうでも良い。君が来ないなら僕がそっち行く」


「……酷いやつだな君は」


「そうだよ。だから言ってるじゃん。クズだって。文句あるなら帰れば」


「いて欲しいって言ったのは君の方じゃないか」


「言った。けど、それを聞く聞かないは君の好きにすれば良い」


 言っていることが支離滅裂だ。遠ざけたいのか遠ざけたくないのか一体どっちなんだろう。多分、両方なのだろう。

 立ち上がり、彼女の隣に寝転がり、彼女を抱きしめる。


「うるさっ。黙らせてよ。この心臓」


「死ねと?」


「死んだら冷たくなるからやだ。生きたままで居て。でもドキドキはしないで」


「それは無理だ。ごめん。嫌なら俺は床で寝る」


「……分かったよ。うるさいのは我慢してあげる。冷たいのよりはマシだから」


「……」


「……手出して良いよ」


「出さないよ。君を傷つけたくないから」


「……じゃあ、殺して良いよ」


「話聞いてた? 傷つけたくないって言ったんだけど」


「……好きな女を抱けるうえに殺せる権利をあげるって言ってるのに。こんな機会なかなかないよ」


「どっちもいらない。俺が欲しいのは君の幸せだけ。生きて、幸せになってほしい。天龍さんと水元さんの後を追うのはまだ早いよ」


「……追わないよ。追えない。一人じゃ死ねない呪いをかけられてるから」


 死ねない呪い。それを聞いて水元さんの言葉が蘇る。『彼女が死んじゃったら私の計画が狂っちゃうから』と彼女は言っていた。彼女は一体海に何をさせていたのか。確かめたくても、もう彼女はこの世には居ない。


「だから、君に殺してほしいの」


「お断りします」


 すると彼女は俺の手を掴み、自分の首へ導いた。


「締めていいよ」


「締めるわけないだろ」


「締めて」


「無理」


「じゃあ刺して。包丁持ってくるから」


 そう言って彼女はベッドから抜け出そうとした。咄嗟にきつく抱きしめて止める。


「……酷い人だね。君は」


「……どっちがだよ……早く寝な。ほら、目閉じて。ゆっくり呼吸して」


「……うん」


 彼女は俺の方を向き直して目を閉じた。しばらくすると彼女は寝息を立て始めたけれど、俺は全く眠れなかった。寝て起きたら彼女がこの世から居なくなってしまう気がしたから。

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