第4話:謎の箱

 高校を卒業すると、俺は適当な企業に就職して家を出た。あの家は彼女に近すぎるから。

 だけど、離れても相変わらず俺は彼女の心配ばかりしていた。何人かの女性と付き合ったけれど、結局みんな彼女に重ねていただけで、誰一人として愛せなかった。恋愛するのはやめた。だけど遊ぶこともしなかった。性欲を満たすためだけの行為なんて虚しさしかないから。


 卒業して二年が経ち、二十歳になった。その年の11月の中頃、突然彼女が俺の家を訪ねてきた。預かってほしいものがあると言って、中身のわからない謎の箱を渡してきた。箱には鍵かかっていた。


「えっ。なにこれ。鍵かかってるけど」


「鍵は僕が持っておく。君は箱を預かってくれ」


 箱を振ると、ガタガタと中のものがぶつかり合う音がする。中身を訪ねるが、彼女は言えないと首を振った。


「い、言えないくらいやべぇもん入ってんの? 俺、やばい犯罪に加担させられそうになってる!?」


「違う。頼む。……信じてくれ。決して、危険な物が入っているわけじゃない。タイムカプセルみたいなものだよ」


「タイムカプセル?」


「そう。訳あって、うちでは保管できないんだ。……ごめん。何も話せなくて。開ける日が来たら話すよ。来るかどうか分からないけど……」


 怪しさしかない話だが、彼女の顔は真剣だった。


「……君にしか頼めない。だからどうか、僕を信じて預かってくれないか。麗音」


「……ずるいね。海。……そんな言い方されたら断れないじゃん」


 彼女は複雑そうな顔でごめんと謝る。何かを抱えているのは明白だった。そこに俺を巻き込もうとしていることも。


「いつまで預かれば良い?」


「その時が来るまで」


「その時っていつよ」


「……それは分からない」


「……海は、いつ来るかわからないその時まで、俺が君と繋がってるって確信してるの?」


「あぁ」


 即答だった。彼女は確信していたのだろう。俺が今も彼女に対する恋心を捨てられていないと。実際そうだった。いや、それはもう恋心というよりは、執着心と呼んだ方が正しいかもしれない。彼女は俺のその執着心を利用することに一切躊躇いはないらしい。俺の知る彼女は人の恋心を利用する人間を嫌っていた。そんな彼女が俺を利用してまで守りたいものは一体なんなのか。その時の俺には想像もつかなかった。


「……この箱を開ける頃には俺、結婚して家庭持ってるかもよ。で、奥さんに何これって勝手に捨てられちゃったりするかもよ」


「……君が選ぶ人ならそういうことはしないと思うよ」


「……子供が悪戯で勝手に持ち出して、無くしちゃうかも」


「それは……あり得なくはないか」


「預け先、本当に俺で大丈夫? 拾ってくれたバーテンダーのおじさんの方が良いんじゃない?」


 これ以上彼女に依存してしまわないように、彼女を遠ざけたかった。しかし彼女はどうしても君じゃなきゃ駄目だと言って聞かなかった。


「……あの人はその時まで生きてるかわからないから」


「……じゃあ、空さんは?」


「兄貴はダメだ。無くしそう。しっかりしてるように見えて抜けてるから。あいつ」


「……分かった。じゃあ預かる」


 逃げ道はなかった。あったけれど、逃げればきっと彼女は自分を人質に取る。そんな気がした。その時の彼女の瞳には生気がなかった。虚だった。きっとそこに俺は、写っていなかったと思う。


「ありがとう。……とりあえず一年で良い。一年経ったら取りにくる」


 そう言って、彼女は謎の箱を置いて出て行こうとした。俺は咄嗟に彼女を引き止めてしまう。


「……ちゃんと飯食ってる?」


「なにそれ。親かよ」


「君が心配なんだ」


「……麗音、まだ僕のこと好きなの?」


「……まさか。それは無いよ。……俺今、彼女居るし」


「……じゃあさ、今日泊めてよ」


「は? えっ。なんで?彼女居るって言ったじゃん」


「……居ないでしょ」


「……居ないです」


「じゃあいいよね?」


「……家、一人暮らしなんだろ?」


「今日は美夜みやが来るから。会いたくない」


「美夜? 誰? 恋人?」


「……一応。でも多分、もうそろそろ別れる」


「それで元気ないのか」


 目を逸らしながら彼女は頷く。元気が無い理由は別にあると察した。しかし彼女は


「……悪いのは全部僕なんだ。僕ね、クズだから。彼女に好意を向けられて、ぐちゃぐちゃに踏み躙ってやりたくなったの。壊したくて、仕方なくて、でも怖くて、だからあの時手を離して欲しかったのに彼女は家までついてきて……それで……」


 俺に複雑な思いを吐露した。嘘か本当か分からない話を黙って聞く。


「俺は海の味方だよ。だけど……海が今恋人にしてることが本当なら、肯定しない。最低だと思う。海が今までずっと苦しんできたことは知ってる。けどそれは言い訳でしかないよ。人を傷つけていい理由にはならない」


 俺は素直に彼女に想いをぶつけた。好きだけど、彼女のことを全肯定することは出来なかった。彼女がそれを望まないのは分かっていたから。


「ちゃんと話をしな。恋人さんと」


「無理だよ……話せないことが多すぎるから……」


「恋人にも話せないことってなんだよ」


「誰にも言えないの。約束したから」


「約束? 誰と」


「それも言えない。……お願い。もう聞かないで。君は僕の味方なんだろう?」


「……いつか話してくれる?」


「ごめん。あの箱を開ける日が来るまでは何も話せない」


「……分かった。海を信じる」


「……馬鹿だね。こんなクズを信じるなんて」


「話を聞く限り、今の海は確かにクズだよ。けど、俺は中学を卒業した後の君を知らない。だから……俺は俺の記憶の中の君を信じるよ。外国人みたいな変わった名前で変だと言われて泣いていた俺を庇ってくれた君を信じる」


「いつの話だよそれ……」


「小さい頃の話。……海は優しい人だよ。水元さんと天龍さんも言ってた。『海が居たから私は私でいられる』って」


「……月子と帆波……」


 二人の名前を聞いた瞬間、彼女は虚ろな瞳からぽろぽろと涙をこぼし始めた。その時俺は、水元さんが以前言っていた言葉を思い出した。


『海のこと、いつまでも愛してあげてね。例え結ばれなくても。ずっと。ずっとだよ。彼女が死んじゃったら私の計画が狂っちゃうから』


 海は彼女達に何をさせられているのだろう。気になって聞こうとすると彼女は俺に抱きついてきた。そして言う。「なんでもする。だから何も聞かないで」と。俺はそれ以上何も聞けなかった。

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