聖女様のお仕事

 教会の裏側、やや日陰になっている裏庭には小汚い列ができていた。


 ぼろ服、痩せた姿、その見た目もさることながら立ち上る悪臭から、彼らがスラムのものたちとわかる。それが一列に、時折すすり泣きの声を上げながらずらり並ぶ先には簡素だが大きなテントが一つ、その屋根部分には二重らせん、ジーン教会の印が染めてあった。


「うぎゃああああああああああああ!!!」


 その中から響き出るはくぐもった子供の悲鳴、それも尋常じゃない音量、だけども誰も反応せず、さも当然のような周囲の反応に、ウォルは一瞬たじろいだ。


「おぉやはりパロス様、実に実に精力的ですね」


 この悲鳴にむしろ感動さえしているらしいピコー、躊躇なくそのままテントの中へ、これに続いてウォルは入る。


「はいはいがんばってもうちょっと見えてますから見えてますからこれ、これですね。掴んでます掴んで、あ、あ、あ、ああぁ!」


 入って最初に見えたのは小汚い女の背中、その正面には大きな木の台があり、その上には同じく小汚い男の子が、仰向けに寝かされ、押さえつけられていた。


 暴れる度に軋む台、その男の子に覆いかぶさるようにパロスが覗き込んでいる。肘を超えて肩までめくりあげた袖から伸びるは長くて細い白い手、その右手が掴むは針のような金属の棒二本、それを揃えて男の子の鼻の右穴に突っ込んでかき回し、掴んで引き抜いた。


 ずぶりと抜けた先は粘液ベトベト、そしてその先端にはベトベトに丸まった虫の死骸がつままれていた。


「はい取れました! 素晴らしいです! こんな大きなダンゴムシさん、良く入りましたね。我慢できて偉かったです。でももうこんなかわいそうなことしちゃだめですよ? ダンゴムシさんもご苦労様でし、え? もう一匹?」


 今しがた引き抜いた虫の死骸を台の端に置かれた金属の皿へ擦り付けると、再びパロスは男の子に覆いかぶさった。


「これが、聖女様の仕事なのだ」


 訊かれてもないのにピコーが説明しだす。


「貧しい人にも分け隔てなく癒しを、治療を施す。もちろんお代として寄付は頂いているのだが、それは払える分だけ、お気持ちだけで済ませてある。多くの場合は赤字だが、それを黒字にできるほど裕福な方々からの寄付も貰っている。人々の善意が、富めるものから貧するものへと下り、人を思いやる気持ちが巡回する。あぁここは、聖女様の起こす奇跡が現実になる場所なのだ! おぉこれがパロス様なのだ!」


「はい! 二匹目の救出しました! 素晴らしいです! これでもう大丈夫です!」


 一人盛り上がるピコーを背景に、パロスはもう一度摘みだし、二匹目を一匹目の隣に置いた。


 気が付けば男の子は泣き止んでおり、何度も礼を繰り返す母親の胸にその顔をうずめていた。


「お大事になさってください。また何かあればおっしゃってくださいね」


 笑顔でバイバイしながら親子が出て行くのを見送ると、パロスはホヘーと息を吐いた。


「お疲れ様ですパロス様、見事なお治療でした」


「いえそんな、これぐらいは普通ですよ」


 暑苦しいピコーにハハハと笑い返すパロス、けれどもその前髪はへたり、動きは鈍く、袖はまた伸びて、その顔にはやや疲れが見て取れた。


 そんな二人のやりとりに、ウォルは口を挟まず黙ってドチャリ、背負ってきた木箱を床へと置いた。


「ウォル君、それは壊れ物だと言ったと思うが?」


「言ってない。少なくとも俺は聞いてない。神様とでも勘違いしてんじゃないか?」


「はいお二人とも、もう仲良くなられたようで素晴らしいです」


 揉めかけた二人の間にパロスが滑り込む。


「ウォルさんも重いのをありがとうございました。早速ですが開けて見ましょうか」


「流石は聖女様、さっそくの荷物チェック、これで壊れてたらどんなお仕置きが待ってるんだ?」


「いえ、そのような意味では、ただ、一つ欲しいかなと」


「欲しい?」


「パロス様! こちらに置けばよろしいですね!」


 ピコー、でかい声と共に台の上から虫の死骸の乗った皿をどかして場所を作る。


 その前でウォル、やや考えてから諦めたように地面の木箱を台の上へと載せ替えた。


 その木箱にパロスは手を伸ばす。一見すると頑強に見えた箱は、実はいくつかの留め金で固定されただけで、少しの捜査であっさりと開いた。


 そうして開かれた中には敷き詰められた藁、それを掻きわけるとぎっちり、赤、白、紫、緑に薄緑、茶色に違う茶色と色とりどりの中身が詰まったガラス瓶が詰まっていた。


 一つが大きめのカップぐらい、拳一つが入るぐらいの大きさで、ねじ式の金属の蓋には、その上を細い紙が渡され、更に紐で縛られて、更に更にその上を垂らした蝋で固定してあった。


「おいまて、ふざけんじゃねぇぞおい!」


 その瓶らを見るやウォル、声を上げてその身を引く。


「なにがですウォルさん?」


 きょとんとパロスの問いかけに、ウォルは瓶を指さす。


「そいつだよ。俺だって知ってるんだからな。こういった宗教系の荷物は検査が緩くて、医療品ともなれば中身なんか確認しない。だからやばい薬運ぶにはうってつけだってな。それでお前らがいくら設けようとも俺は知らない。だが俺は死刑一歩手前の終身刑喰らってんだ。これ以上の罪状は命にかかわるんだよ!」


 焦るウォルの言葉に首をかしげるパロス、その横でピコーが噴き出す。


「……いや失礼、しかしウォル君、君は想像力が豊かだ。いっそ小説の一つでも書いてみたらどうだい?」

 

「それは、口封じ前の決め台詞だな。その後俺は殺される。俺だって知ってる」


 静かに身構えるウォル、その前でピコーは箱から赤い瓶一つを取り出すとパカリ、蓋を開けると右手の瓶をウォルへと差し出す。


「疑うなら試してみたまえ。これもパロス様の手作りの流動食だ。病人や赤子にふるまうものだが、ご利益抜きにしても味は保証するよ」


 自信ありげに語るピコーに、少し構えを崩すウォル、けれどもパロスの動きにまた構え直す。


 ふらふらとやってきたパロスは、ピコーの左手の蓋に吸い寄せられると中腰で、その裏を舐め始めた。


「パロス様! そんなもの口になさらずともこちらをお食べ下さい!」


 これに気が付き慌てて瓶の方を差し出すと、パロスはそちらに移ってびちゃびちゃ、舌で掬って舐めとっていく。


「スプーン! こちらのスプーンをお使いください!」


 ピコーが瓶を持った手で腰の後ろから長いスプーンを取らし差し出すと、特に言葉なくこれを受け取り、同時に瓶を手に取って、その中身をもぞもぞと掬い、啜るように食べ続ける。


 その様子をウォル、やや引いた表情で静観していた。


「ウォル君、誤解のないように言っておくが、これは必要なことなのだ」


 これにピコー、取り繕い始める。


「本来、我らの教義には過度の食事、娯楽としての食事はあまりよろしくないとされている。あのお茶会も、食事の延長線上として成り立っているに過ぎない。しかし治療とは体力、集中力、共に大きく消費する。何せ扱うのは人の体、健康、命そのものと言っても良い。それを直す魔法ともなれば、当然消耗する。それを補うための、これは仕方のないことなのだ。それに味見の意味も、毒見の意味もあるからな」


 捲し立てるような説明が一区切りついたところでパロス、瓶から顔を離してプハーと息を吐く。


「ごちそうさまでした。これは、まぁ、お恥ずかしい話、私が未熟だからなんですけどね。見栄を張って失敗しちゃうほうが大ごとですからね」


 続きを応えるパロス、すでに空になった瓶を端に置かれた机の上に置くと、代わりにそこに置かれてあったカップを手に取り、中身を口を湯ぐようにして飲み干した。


「……はぁ、これでまた元気が出ます」


「それは良かったです。残りもこちらに置いておきますね」


「いつもありがとうございますピコーさん。それにウォルさんも、重い荷物を運んでくださり、ありがとうございました」


 いつもの輝くような笑顔、復活して張りの戻った前髪のパロスを前に、ウォルは構えを崩さなかった。


「やっぱりそれ、やばい薬だろそれ」


 そんなテントにするりと男が一人、入ってきた。


 先ず目につくのはその体系、デブだった。


 タプタプユルユルで表面に張りのないぜい肉は重力に負けて山形に、両目も埋もれて細長く、まるで着ぐるみでも着ているかのような体系だった。


 そんな体型を包む服装は白色のタキシード、金髪を後ろに撫でて、甘ったるい香水をプンプンさせて、その手には赤い花束があった。


 目立つ風貌、場違いこの上ない服装、間違いなくあの列にはいなかった男だった。


 これに自然と身構えるウォル、だが外を見てないパロスがその前歩み出て笑顔で対応して間に入り込む。


「すみませんまだお片付けが終わってないんです。準備ができたらお呼びしますので、それまで外で待っていてくださいね」


「そんなハニー、折角フィアンセが会いに来たんだ。愛を確かめあるぐらいの時間もとれないのかい?」


「……フィアンセ?」


 事情が呑み込めないウォル、パロスは固まったままで、振り開けった先のピコーは静かに首だけを横に振った。


「…………あの、申し訳ありませんが、どなたかと勘違いなさってませんか?」


 パロスの問いに、男は笑顔で返す。


「そんなわけないだろうハニー、僕たちは前世のあの星で、放火癖の芸術家と仮面の女戦士だった。そこで愛を誓うも金属カマキリに間を裂かれてしまった。そんな悲劇も僕たちの魂までは引きはがせず、こうして異世界転生して再び出会えたんだ。さぁ、今こそあの時叶わなかった結婚式の続きを始めようじゃないか」


 スラスラ出てくる言葉に、ウォルは明確に戦闘態勢となった。


 両手をだらりと垂らし自然体、けれどもその右手にはいつのまにか取り出した釘が一本、人差し指と中指と親指に包まれ、先を地面に向けていた。


 その釘が動くより先、パロスが口走る。


「ごめんなさい。私は神に遣える身、だれかと結婚することはできません」


「今、なんだって?」


 拒絶の言葉にばさりと捨てられる花束、代わりにフィアンセは腰の後ろからやたらと刃渡りの長い包丁を抜き構えた。


 これにやっと動き出すピコー、大きく振りかぶるウォル、だが二人よりもパロスが男の手を握る方が早かった。


「ですが共に生きていくことはできます」


 まっすぐ、つぶらな瞳で見つめ上げられ、フィアンセが逆に驚く。


「私にはあなたの言う、その前世の記憶という物がありません。ですが人を愛するということの素晴らしさは知っているつもりです。そしてそれを広め伝えることが私の使命だと思っています。そのためには誰か一人を愛するというような、結婚というものから縁を切らないとならないのです。あなたからも気持ち、確かに受け取りました。ですがお応えは先ほどと同じようにごめんなさい、です。ですがその代わりに、逆に私からお願いしたいのです。どうか、私とこの、愛を広める生き方に賛同してはいただけないでしょうか? そんな難しいことではありません。ただ周囲の人を気遣って、ほんの少しだけ優しくなって、いたわって、いやなことがあっても許してあげられるようになって欲しいのです。あなたならできます。わざわざ私に会いに来てくださったのでしょ? それだけの行動力があるならばきっと素晴らしいことができます。やり方がわからないなら私たちを頼ってください。私たち、そして神様はいつもあなたのそばにいて、あなたの味方なのですから!」


 流れるように歌うようにまくし立てるように話しかけ続け、フィアンセが返答に困る間にパロス、自然に鮮やかにその手から包丁を受け取り、そっと背後の台へと置く。


 その間も絶対に目を離さず、手から離さない態度に、フィアンセを名乗る男の視線が泳ぎ始める。


 この様子にウォル、一歩引いてパロスから逃げた。


 逆にピコーは両手を広げ、満面の笑みで前へと出る。


「あぁこれです。これこそがパロス様の、聖女様の生きざま! こうしてまた新たなる迷える子羊が、神様について学ぶ機会を得たのです。そう、あの時の私のように」


「そうですこのピコーさんもあなたと同じように私を訪ねてきたのです。そして今では友達以上の、大切な家族です。そんな顔をしないでください。あなたともすぐにお友達から、そして大切な家族の一員になれますよ。さぁ! 一緒に歌いましょう!」


「……あぁ、はい!」


「…………やばい薬に洗脳、これが、宗教」


 盛り上がるテントの中、ウォルは一人、怯えた眼差してぎゅっと釘を握りしめた。

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