第四章:伸ばした手《アフェクション》

伸ばした手①


「さて、どうするか」



 多重に展開した【対物障壁】アンチマジックシールドで作り上げた即席シェルターの中で、輝は独り言ちた。


 大空洞の崩落はすでに落ち着いている。


 二人はきっと大丈夫だろう。崩落の中でアルフェリカが夕姫を連れて横穴に飛び込んでいくところが見えた。心配でないわけではないが、崩落から逃れられたことを信じよう。


 まずは自分の心配だ。完全に生き埋め状態。展開している障壁のおかげで、岩塊がんかいに押し潰されることは避けられているが、四方が塞がれていて身動きが取れない。


 【弱者の抵抗】ソード・オブ・ザ・ハートで岩を吹き飛ばすにしても、崩落が広がってアルフェリカたちや坑道で働く者に被害が出ないとも限らない。二次被害を考えると怖くて出来なかった。


 救助を待つのが賢明か。いずれ自分たちが戻ってないことがティアノラたちに知れる。そうなれば捜索が開始されるだろう。


 迷惑ばかりかけて申し訳ないが、頼らせてもらうしかなさそうだ。



「となると後は、この障壁がどれだけ持つかと食料か」



 機械鎌に装填されている分を含めて、シリンジのストックは十本。ただ障壁を維持するだけなら十日は持つ。持ってきた食料は三日分。どんなに切り詰めても六日分というところか。


 救助が来るまでは十分に持つだろう。いざとなったら【弱者の抵抗】ソード・オブ・ザ・ハートで岩を吹き飛ばすしかない。


 とりあえず空になったシリンジを再装填しておく。魔力供給が途切れて圧死など笑い話にもならない。


 何もできることがない輝は、障壁の蒼い輝きでぼんやりと照らされる岩肌を眺めた。


 思えば何もせずにいるのは久しぶりだ。『ファブロス・エウケー』で王座についてからは、常にペンと紙ばかりに向かっていた。


 目を閉じていると、ずっと昔のことを思い出してしまう。


 人間と神が手を取り合える世界。転生体が普通に暮らしていける世界。それを目指して黒神輝として生きてきた。


 彼女を守れなかったから、せめて彼女の遺した言葉を守りたかった。


 原罪を背負う人間を殺し続けた〝断罪の女神〟。


 その存在に恐怖して彼女の排除を望んだ世界。


 〝断罪の女神〟の転生体であるアルフィーの幸福を世界は認めなかった。アルフィーの生存を世界は許さなかった。


 世界が望んだのは人類の平和。そのために人間を殺す神を宿すアルフィーは邪魔だった。


 罪を見ることができる彼女は人間を殺す衝動に駆られる。ある程度は抑えることができても、いずれは抑えきれなくなる。


 そうすれば〝断罪の女神〟は暴走する。目に映る罪の色がなくなるまで殺戮を繰り返す。


 故にこそ世界は彼女に恐怖した。


 だが自分だけは彼女の暴走を防ぐことができた。


 その方法は残虐だ。


 〝神殺し〟ブラックゴッドの力を駆使して、彼女の視界から人間を消し去った。彼女の周りに罪がなければ、彼女は暴走しないから。


 だから黒神輝は彼女の代わりに人間を殺した。


 〝神殺し〟ブラックゴッドの力で人々を魔力素マナに分解し、新たな『神葬霊具』の糧とした。


 それをずっと繰り返し、やがてアルフィーはそれに耐えられなくなった。


 自分のせいで黒神輝に手を汚させている。自分のせいで大勢の命が失われる。


 アルフィーはその事実に苦悩し、そんな彼女を見て自分は心を痛めた。


 だから二人は誓いを立てた。


 ――殺してしまった人よりもより多くの人を救う。もう涙を流す人がいなくなるように。もう傷つく人がいなくなるように。


 二人を繋ぎ止めたもの。最期まで二人が胸に抱いていたもの。


 『強制履行契約書』エンフォーススクロールなど遠く及ばない誓いと契約。

 そのために二人は抗った。今まで殺戮にしか使わなかった力を弱者のために振るった。


 以前と変わらず大勢を殺した。人間も、神も、転生体も。


 しかしそれ以上の人々を救った。力がなく、虐げられるだけだった者たちをその窮地から救い出した。


 いつしか二人は望んだ。


 人間と神が手を取り合える世界を望んだ。虐げられる者がいない世界を望んだ。


 誰もがありきたりな幸せを手に入れられる世界を望んだ。


 その願いは今の自分の中に深く根を張っている。


 それを叶えるためだけに自分はいまも生きている。


 どれだけ時間がかかったとしても必ず成し遂げなければならない。


 それだけが自分の存在意義なのだから。



「……いつの間にか眠ってたのか」



 頭がぼうっとする。目を閉じて考え事をしていただけのつもりだが、どうやら眠っていたらしい。


 どれくらい眠っていたのだろうか。数分か、それとも数時間か。時計がないので確認のしようがない。


 なにやら物音がする。ガラガラと岩が崩れるような音。それはどんどん近づいてきており、魔獣を警戒した輝は、いつでも魔術を行使できるよう機械鎌を握りしめた。


 音は岩を挟んだすぐそこまで迫っていた。その岩が揺れたかと思うと、岩の隙間から一人の少女が顔を覗かせた。



「輝くんっ!」



 紫色の瞳と目が合うと夕姫は目尻に涙を浮かべながら輝の名を呼んだ。隠しきれない安堵の声が空洞内で反響する。



「よかった! 無事だったんだね!」



 夕姫が現れたことに若干驚いたものの、彼女が無事であることに輝は安堵した。



「ああ、この通りな。夕姫も無事でよかった。でもよく俺の居場所がわかったな」


「蒼い光が岩の隙間から漏れてるのが見えたんだ。もしかしたらって思って、岩をどかしてたの」


「なるほど」



 彼女の姿をよく見るとあちこちが土埃で汚れている。汗で濡れた髪が肌に張りついている様子から、自分を救出するために相当頑張ってくれたことがわかった。



「ありがとう夕姫、助かったよ。身動きできなかったからどうしようかと思っていた」


「えへへ」



 礼を告げると夕姫は嬉しそうに笑う。


 岩が崩れないように慎重に這い出て、ひとまず崩落の影響が出ていない場所まで移動することにした。



「アルフェリカは?」


「魔獣に襲われちゃって、途中ではぐれちゃった」


「なら助けに行かないとな。はぐれた場所はわかるか?」


「ごめん、わかんない。はぐれた後も何度か魔獣に襲われたから、どの道を通ってきたのか覚えてないんだ」


「そうか……」



 戦闘慣れしていない夕姫が、いつ魔獣に遭遇するかわからない場所で一人になってしまったのなら、そんな余裕がなかったとしても仕方がない。自分の身を守れていることだけでも上々だろう。


 夕姫が無事だったのだ。アルフェリカもきっと大丈夫だろう。しかしそんな信頼は別にして、早く合流して無事を確認したい。


 合流する方法を考えていると、不意に左腕が柔らかい感触に包まれた。


 見れば夕姫が腕に絡みついて身体を密着させていた。



「夕姫?」


「なあに、輝くん」



 甘えたような声で、上目遣いにこちらの目を覗き込んでくる。合流してから、彼女は終始笑顔を浮かべていた。



「片腕を塞がれると魔獣に襲われたときに即応できない。心細いのはわかるんだが、離れてもらっていいか?」


「えー、大丈夫だよぅ。『妖犬』コボルトはそんなに強くなかったから、あれくらいなら私一人でもなんとかできるもん。なんだったら輝くんだって守ってあげられるよ?」


「それでもだ。いつどんなことがあるかわからないんだ。油断は命取りになる」


「そーかなー?」



 夕姫は人差し指を顎に当てて首を傾げた。注意を受けても理解してくれないというのは狩人としての危機管理能力に欠けているとしか言いようがない。


 今日狩人になったばかりの彼女に一人前の行動を求めているわけではないが、聞き入れてもらえなければ、彼女自身にも危険が及んでしまう。



「お前が原因で大空洞が崩落したことを忘れるな。三人とも死んでいてもおかしくはなかったんだぞ。狩人は不注意一つで命を落とす。どんなに強い力を持っていても侮るな」


「……わかった」



 かなりきつい言葉で言い聞かせると夕姫は渋々といった様子で輝から身を離した。


 あまり理解はしてくれていないこともそうだが、反省した様子がないというのが何よりも問題だと感じた。


 神楽夕姫はこんな子ではないはずだが。ただ漠然と彼女らしくないと、そう感じた。



「一旦、準備を整えるために外に出るぞ。転生体たちや『鋼の戦乙女』アイゼンリッターにも協力を仰いでアルフェリカを捜索する」



 幸い、『妖犬』コボルトの巣を潰せたから数はかなり減っている。危険はゼロではないが、『鋼の戦乙女』アイゼンリッターを投入できるほどにはリスクは小さくなっているはずだ。


 あとはアルフェリカが自力で脱出した場合のことを考えて、自分の無事を誰かに伝えておく必要がある。そうすれば入れ違いは防げる。


 すでに彼女が同じ手を打っていれば、この問題は解決したも同然だが、流石に希望的観測に過ぎるだろう。



「輝くんって、アルちゃんのことになると必死だよね」


「命に関わるんだ。必死にもなる。それよりも急ぐぞ。地図を貸してくれ」



 そう言って地図を受け取り、輝は周囲を警戒しつつ外へと繋がる道を進んでいった。



「やっぱりずるいよ、アルちゃんは……」



 背後でそう呟く夕姫の声は、輝には聞こえなかった。


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