触れたくて⑨


「待って! アルちゃん! 輝くんがっ……」



 大空洞が崩落してアルフェリカに手を引かれる夕姫は必死に呼びかけた。


 まだ輝が大空洞に残されている。助けないといけない。なのにアルフェリカはこちらに声に耳を貸そうとせず、ただひたすらに狭い坑道を走り続けた。



「待ってってば!」



 返事すらしないアルフェリカが気に入らなくて掴まれた手を振り払った。流石に無視できなくなったアルフェリカも立ち止まってこちらに振り向く。



「輝くんがまだあそこにいるんだよ!? 早く戻って助けないと!」



 あんな大崩落に巻き込まれて、いくら輝でも無事でいられるわけがない。怪我をしているかもしれない。動けなくなっているかもしれない。もしかしたら最悪もう――。


 そう考えるだけで、もういても立ってもいられない。


 アルフェリカだってそれは同じはずなのに。



「無理よ。道が塞がってる。少なくとも今のあたしたちの状況じゃ助けられない。まずは自分たちの安全を確保しないと。ここだって崩落の影響で崩れないとも限らないんだから」



 はやる思いをアルフェリカは切って捨てた。輝を助けることなどできないと。


 夕姫にとってそれは輝を見捨てると言っているに等しかった。



「なんでっ!? アルちゃんは輝くんのこと心配じゃないのっ!? 輝くんが助けを待っているかもしれないのに、なんでそんな簡単にゆえるのっ!?」


「簡単じゃないわよ!」



 一瞬、心が怯んだ。しかしアルフェリカに怒鳴り返されたことで、夕姫の苛立ちも歯止めが効かなくなる。



「ゆってるじゃん! 輝くんが生き埋めになったんだよ!? なのにアルちゃんは自分が助かることばっか! 輝くんのことなんてどーでもいいの!? 輝くんはいろんなものを捨ててアルちゃんを守ったのに、アルちゃんは輝くんのためになんにもしてあげないのっ!?」


「勝手なことを言わないでっ! あたしだって輝を助けたいわよ! 輝はあたしを守ってくれるって言った! 夕姫の言う通り多くのものを捨ててあたしを助けてくれた! 今まで裏切られてばかりいたあたしにずっと一緒にいてくれるとまで言ってくれたわ! そこまでしてくれた彼がどうでもいいなんてことがあるはずないでしょ!」



 怒鳴られるのもそうだが気に入らなかった。


 輝がずっと一緒にいてくれる。自分が欲していた言葉をもらっていながら、自分の身の安全を優先しようとすることが理解できない。



「だったらどうして!?」


「夕姫に何かあれば輝が悲しむからよ!」



 刹那、呼吸の仕方を忘れた。


 輝が悲しむ?



「輝にとって夕姫が大事な存在だってことはあたしにもわかってるの。そんなキミが傷つけば輝はきっと悲しむ。だって輝にとって夕姫との日常は何よりも幸せだったはずなんだからっ」



 輝と一緒にいる時間は本当に楽しかった。同じように輝もそう感じていたのだとすれば、これほど嬉しいことはない。


 だけどその時間はもう失くしてしまった。


 目の前のアルフェリカが原因で。



「あたしは輝から日常を奪ってしまった。だからあたしは輝のためになることならなんだってする。あたしのこれからの人生はすべて輝のために使う。そう決めたの」



 わかった。わかってしまった。アルフェリカが輝に対してどのような感情を持っているのか伝わってきてしまった。


 本人はまだ自覚していないようだが、確信を持ってその感情を定義できる。


 気に入らない。


 輝から、自分から、大切なものを奪っておきながら、輝に助けられておきながら、一番近くにいながら、彼の傍にいることの価値を、尊さを、自覚していない無知蒙昧むちもうまいさがとてもつもなく気に入らない。


 どうして自分じゃないのだろう。どうしてアルフェリカだったのだろう。


 彼と過ごした時間はアルフェリカよりも長いのに。彼の隣にいたのはアルフェリカじゃなかったはずなのに。


 イライラする。ムカムカする。湧き上がるこの感情が嫉妬だと、このときは認識できなかった。



「っ!?」



 何かに気づいたアルフェリカが【白銀の断罪弓刃】パルティラを召喚して背中を向ける。彼女の視線の先では暗闇に赤い光がいくつも浮かんでいた。


 それは『妖犬』コボルトの赤い双眸。数は十匹くらい。


 魔獣の前に立つアルフェリカ。後方にいる自分。自分の背後には横穴。アルフェリカの腰にある唯一の光源ランタン


 それらを見たとき無意識に口元がつり上がった気がした。アルフェリカに気づかれないように足元の石ころをそっと手に取る。


 暗闇から『妖犬』コボルトが飛び出し、アルフェリカもそれに応じて前に出た。


 同時に手にしていた石を投げつけた。


 ――パリンッ。



「えっ!?」



 アルフェリカの間の抜けた声がなんとも可笑しい。


 石は魔獣ではなくアルフェリカの腰にあるランタンに命中し、坑道内が瞬く間に暗闇に覆われた。ランタンの明るさに慣れていたアルフェリカは失った視界にとっさに対応ができない。


 それは夕姫も同じで何も見えない。しかし気構えがある分アルフェリカよりも早く行動することができた。



「きゃあっ!?」



 アルフェリカの悲鳴。


 もともと暗闇を住処にする『妖犬』コボルトに闇は意味をなさないのだろう。即応できなかったアルフェリカに魔獣が殺到するのが気配でわかった。


 夕姫は記憶を頼りに横穴に飛び込み、ポーチから手探りでランタンを取り出した。輝が予めそれぞれに配っていたもの。さすが輝。用意がいい。


 慣れない手つきで火を灯す。暗闇に慣れ始めていた目には若干眩しい。


 背後では戦闘音が微かに聞こえてくる。真っ暗な中で苦戦しているのだろう。時折、悲鳴や苦悶のような声が聞こえた。



「アルちゃんが、悪いんだからね?」



 輝が『アルカディア』を追放されたのも、自分が守護者になってしまったのも、すべてアルフェリカと出会ったことが元凶だ。


 アルフェリカと出会わなければ、いまもあの日々を一緒に過ごせたはずなのだ。


 じゃあアルフェリカがいなくなってしまえば、きっとまた元通りになる。



「輝くん、いま行くからねっ」



 大空洞を目指して夕姫は走り出した。


 ほくそ笑む夕姫の横顔をランタンの灯りが仄かに照らしていた。


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