触れたくて⑧
夕姫が大空洞に入ったとき、アルフェリカは大いに慌てた。
目に見える範囲だけでも無数の横穴があり、そこから獲物を狙う赤い輝きが穴の数以上にあったから。
想像以上の数。いくら
戦い慣れていない夕姫が対応できるわけがない。
「夕姫、逃げて!」
とっさそう叫んだことは間違いだとは思わない。けれど夕姫は一瞬だけこちらを見て――嘲笑った。
逃げたければ一人で逃げろと。向けられた紫色の瞳が確かにそう言っていた。
夕姫のあんな顔を見たのは初めてだった。
躍りかかってきた一匹の
蹂躙が始まった。
自分と同じくらいの
夕姫が一つの動作をする度に一つ以上の
恐怖とは無縁であるはずの魔獣もこの異様な状況に戦慄を禁じ得なかった。
あんなモノどうにかできるわけがない。あんなモノに敵うはずがない。戦おうとするだけで死が運命付けられる。
一匹の
空洞を駆ける紫の双眸が暗闇に妖しく灯る。
イッピキタリトモニガサナイ。
その眼を見たアルフェリカは全身が総毛立った。
鬼神の如き夕姫の戦いに目を奪われていると背後で
「アルフェリカ! 呆けている場合じゃないぞ!」
輝からの檄にはっとなる。見れば機械鎌でねじ切られた
いつの間にか取り囲まれている。
そうだ。今はこの魔獣を狩ることが第一。他のことは後回しだ。
即座に頭を切り替えると
三人が
しかし
「再構成だ! 警戒しろ!」
大空洞を埋め尽くす
それが三体。
「
「了解!」
再構成を確認してすぐさまアルフェリカは双剣を振り下ろす。たとえランクBだろうが覚醒体の力の前では脅威にならない。
だがその思惑は外れ、
魔獣の回避行動を予期していなかったアルフェリカはその直撃を受けて吹き飛ばされた。岩の支柱を突き抜け、そのさらに向こうの横穴に突っ込む。
「アルフェリカ!?」
支柱が崩壊する音に混ざって輝の声が聞こえた。
そんな心配そうな声を出さなくても大丈夫。横穴に突っ込んだのも功を奏した。白装束から露出している部分は擦り剥いたし、頭も少し切ったけど――それだけだ。
なるほど。油断した。まさか魔獣が死角からの攻撃を回避するとは考えてもいなかった。
だが周囲を警戒して攻撃を躱す魔獣が存在することはいま学んだ。
なら次はない。
すぐに身を起こし横穴から飛び出す。
させない。
全身に神名を巡らせて〝断罪の女神〟の力を解放。背後からの強襲。動物故の鋭い勘でそれを察知して
流星の如く落下しながらすれ違うアルフェリカを
嗤うならこれを躱してみせろ!
「
双剣から放たれる二つの三日月。顎下から放たれた
宙を舞う頭部はまるで驚愕を浮かべているかのよう。
再構成後の再構成はない。残り二匹。
「
輝の詠唱と共に機械鎌が四つのシリンジから惜しみなく魔力を吸い上げる。多重に展開された二種類の障壁が牢獄となって
大爆発。大空洞を破壊しかねない大威力の魔力の爆発は、されど二つの障壁によって全てのエネルギーが檻の中に閉じ込められる。
文字通り木っ端微塵となった
残り一匹。
その一匹の姿を探して、アルフェリカは絶句した。
ある一点に
その中心部で吹き荒れる暴力の嵐。身の丈を優に超える
魔獣相手に同情してしまうほどに惨たらしい光景だった。
上から何かが降ってきた。砂のように細かい岩のかけら。天井を支える岩の柱に亀裂が入っていく。
アルフェリカは顔を
「えぇぇいっ!」
可愛らしい掛け声と共に
それが
すなわち大空洞の崩落。
その被害を真っ先に受けたのは輝だった。彼の頭上に大岩が降り注ぎ、瞬く間に姿が見えなくなってしまう。
「ひかっ――っ!」
名を呼ぶ間もなくアルフェリカにも同じ危険が迫っていた。このままでは全員が岩の下敷きになってしまう。
即座にそう判断したアルフェリカは崩落に対応できずにいる夕姫の手を掴んで大空洞からの脱出を図った。
問答どころか名を呼ぶ余裕すらもない。ただがむしゃらに大空洞の出口に身を投げ込む。
大丈夫。輝ならきっと大丈夫。
アルフェリカは自分に強くそう言い聞かせるしかなかった。
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