触れたくて③


 夕姫は街を一人ぶらぶらと歩いていた。


 地響きが聞こえたときは何事かと思ったが、それは輝とゼロスによるものだと後から聞かされた。シェアに聞いた話では中庭で喧嘩をしたらしい。


 その中庭を覗いてみれば、その破壊痕はとても喧嘩なんて可愛らしいものではなかった。爆弾でも爆発したと言われた方がまだ納得できる有様だ。


 何があったんだろう。


 輝に話を聞こうと思ってもいまは政務中なので聞きにいけない。それではゼロスにと思ったが、彼は彼で相当機嫌が悪くてとても聞ける雰囲気ではなかった。


 シールはレイと今後のことについて打ち合せ。シェアはご機嫌斜めなゼロスをなだめている。アルフェリカは朝からずっと見かけていない。きっとお仕事。


 一人ぽつんと残された夕姫は都市を散策するしかやることがなかった。仕方なく、まだ見ていない場所を回ってみることにする。


 街並みは昨日と同じく平穏。子共たちが駆け回り、大人たちはそれを微笑ましく眺めながら談笑している。道の掃除をしている人もいれば、花に水やりをしている人、腕を組みながら歩く若い男女もいる。


 センター街とはまた違った穏やかな時間が流れる日常。


 平和だなあ、とつくづく思う。



「おや、もしや夕姫様では?」



 不意に声をかけられて、はたと立ち止まった。声のした方を見れば、甲冑を着込んだ栗色の髪の少女が駆け寄ってくる。


 見覚えがある。昨日のパーティーにいた人だ。



「やっぱり夕姫様ですね。おはようございます!」


「イリスさん、おはようございます」



 甲冑をガシャガシャ鳴らしながら駆け寄ってくるイリスに挨拶を返すと、彼女は晴れやかに笑った。


「昨日はどうも。お一人ですか? 他の方々はどうされたんです?」


「あはは、みんなちょっと、いろいろやらなきゃいけないことがあるみたいで……」



 ぽりぽりと頬を掻きながら曖昧に笑うしかなかった。



「イリスさんは?」


「イリスとお呼びください。夕姫様は輝様のお客様なのですから」



 少しだけ気後れ。この都市で出会った人たちはみんな敬称が不要だという。そういう文化なのだろうけどまだまだ慣れない。



「イリス……ちゃんはここで何をしてるの?」


「私は巡回中です。だいぶ治安も安定してきましたが、まだ大なり小なりトラブルは起きますから。『鋼の戦乙女』アイゼンリッターが歩いているだけでそれなりの抑止力になるんです。そうすれば住民の方々も安心して過ごせますからね」


「ふえー」



 誇らしげに胸を叩くイリスに夕姫は素直に感心した。年下なのにとても立派だ。



「今でも十分平和そうなのに。やっぱり人が多いとそういうことも起きるんだね」


「まあ少し前に比べればとても平和になりましたね」


「少し前?」


「……『黄金郷の惨劇』スカージ・オブ・オフィール直後のことです」



 イリスの顔に影が落ちる。輝がきっかけで起こった事件。



「あの時はいろいろ物資も足りませんでしたからね。窃盗、強盗、傷害……本当に酷かったです。転生体が神の力を悪用したり、そのせいで敵性覚醒体になってしまって人を襲ったり、めちゃくちゃでした」



 イリスが語ることはとんでもない事件だった。ニュースでも連日連夜その話題で持ち切りだったから覚えている。


 『オフィール』は遠からず壊滅するだろう。それが世界の共通認識だった。

 しかし都市は存続している。『ファブロス・エウケー』という名前に変わって。



「いまこうして落ち着いているのはアルフェリカ様の力が大きいですね」


「アルちゃんの?」


「はい。敵性転生体、敵性覚醒体のほとんどをアルフェリカ様が鎮圧しました。友好覚醒体の方々の協力もあり、この都市にはもう敵性神はほぼいないと思います。それに何か悪事を働けばアルフェリカ様が現れるので犯罪に手を染める人も減りました。一番治安に貢献してるのはアルフェリカ様でしょうね」


 敵性転生体と敵性覚醒体がどうなったのかまでは、俯き加減のイリスを見ていると聞けなかった。いなくなったということは、きっとそういうことなのだろう。


 それを思うとなんだか苦しくなる。



「と、こ、ろ、でっ! 私、夕姫様に聞きたいことがあったんです!」



 湿っぽくなった空気を吹き飛ばすようにイリスが声を弾ませた。



「夕姫様って輝様とはどういうご関係なんですか?」


「えっ!?」



 突然の話題転換に狼狽うろたえてしまう。よりにもよって輝のこと。


 どうってゆわれても……



「普通に友達、だよ……?」


「えー、昨日のお二人の雰囲気を見たらとてもそうは思えないんですけど。実際どうなんですか? 好きなんですか?」


「ええ、えっと、んと……えっと」



 しどろもどろ。イリスは面白そうにニヤニヤしている。



「輝様ってカッコいいですよね。前に私、魔獣から命を救って頂いたことがあるんです。その時にこう……胸がキュンってして、いつの間にか輝様を目で追ってたんですよ。私は気づきました。私は輝様のことが好きなんだなって。もし夕姫様が輝様のことを好きだったら悪いなって思ったんですけど、違うなら問題ないですよねっ。私、近々輝様に告白しようと思っているんです。応援してくださいねっ」


「そ、それは……」



 いやだ。満面の笑みを浮かべるイリスの想いを否定するつもりはない。だけれど輝がイリスと仲睦まじくしている光景を想像すると、それだけで胸が苦しい。


 輝が自分ではなく他の誰かを見るようになる。もう自分のことは見てくれなくなる。


 いやだ。いやだ。いやだ。とてもじゃないが耐えられない。



「夕姫様って、すっごくわかりやすいですよねー」


「え?」


「お顔に好きって書いてありますよ?」



 思わず両手で頬を覆った。本当に文字が書いてあるわけではないが、代わりにものすごく熱くなっている。きっと今は顔が真っ赤になっているのだろう。



「安心してください。さっきのは嘘ですよ」



 笑いを堪えるイリスを見てようやく気づく。カマをかけられていた!



「もぉっ!」


「だって夕姫様いじらしくて可愛いんですもん。あっ、ごめんなさい、叩かないでくださいっ」



 腹立たしいやら恥ずかしいやらで、腹いせにぽかぽかとイリスを叩く。もちろん手加減しているけども、不満で頬をパンパンに膨らませながら。



「本当に輝くんのこと好きじゃないの?」



 念のため再確認。念のためである。念のため。



「本当ですよ。輝様は命の恩人ではありますが、恋愛感情はありません」



 ほっと胸を撫で下ろした。



「むしろ輝様は私の敵です!」



 敵という単語が出てきて身体が強張った。輝をよく思っていない人がこの都市にはたくさんいる。彼女もその一人なのだろうか。



「だっていっつもレイちゃんと一緒なんですから! 政務だかなんだか知りませんが、レイちゃんを自分の秘書にしてずっと傍に置いてるんですよ! 今までは私がレイちゃんの傍にいたのに! 輝様ゆるすまじ!」



 ぐぎぎぎ~、と歯軋りしながら本気で悔しがるイリスを見て肩透かしを食らった気分だった。


 あ、ハンカチを取り出して噛み始めた。実際にやってる人を初めて見た。


 でも、と思う。輝の傍にはレイがいる。


 今日お風呂で一緒になったあの人。あの美貌が今も鮮明に思い出せる。艶めかしい肢体に透き通るような白い肌。スタイルだっていい。胸も大きい。物腰柔らかくてお淑やか。炊事洗濯もできるらしい。女の自分から見てもザ・女性といえる人。


 おまけに【魅了】という異性を虜にする力まで持っている。


 そんな人が四六時中輝の傍にいるという。


 あれ? これは楽観してはいけないのでは?


 レイは輝のことをどう思っているのだろう。もし彼女も輝に気があるとしたら、チャンスはいくらでもあることになる。


 輝だって男だ。魅力的すぎる女性にアプローチされたら、ころんといってしまうかもしれない。



「夕姫様、僭越せんえつながら一つだけ助言を」



 先ほどまでとは打って変わって、イリスの表情は真剣そのものだった。



「輝様は王となりました。これまでの経緯はどうあれ、今はこの都市の未来を背負う立場にあります。そういう立場の人は、程度の違いこそあれ孤独を感じるものです。そこに誰かが寄り添ってあげれば、安らぎを得ることができるでしょう。そしてその誰かは誰でもいいと思います」


「誰でも?」


「そうです。誰でもです」



 イリスの言わんとすることがなんとなくわかる。



「輝様とお話してみては如何いかがですか? 昨日のようにお二人で。お二人はご友人なのでしょう?」



 遠慮するなと。友達相手に何を遠慮する必要があるのか。いつものように語らって接すれば良いのだと、イリスはそう言う。



「まあ、ぶっちゃけお二人がくっつけば、レイちゃんを輝様から取り戻せますからね! 私としても都合が良いのですよ! なのでキューピッド役をご所望であれば私はいくらでもお力をお貸しします!」



 いまの真剣な顔はどこへやら。イリスはにぱっと笑った。



「では私は巡回に戻りますので失礼しますね」



 夕姫の手を握った後、イリスは走り去っていった。


 金属の小手で握られたはずの手がじんわりと暖かい。


 その手を夕姫はぎゅっと拳に変えた。


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