触れたくて②
同時刻。城の中庭で輝は機械鎌を振るっていた。
つい先日、暗殺未遂が発生した。護衛の転生体のおかげで事なきを得たが、今後一人でいるときに刺客が現れないとも限らない。
デスクワークばかりで鈍っていたせいで後れを取ったとあっては目も当てられない。気分転換も兼ねて、朝と夕方には必ず行うようにしている。
「だいぶ鈍ってんな」
いつもは自分以外に誰もいないはずの中庭に客人の声がした。
腕を組みながら木に寄りかかっているゼロスの指摘を輝は潔く認める。
「だろうな。もうずっと、戦闘どころか魔術すらろくに使ってない」
「実戦から離れりゃ
頬を伝う汗を袖で乱雑に拭いながら輝は首肯した。
資金稼ぎのための狩人業すら、政務に忙殺されて自分では行っていない。
「早起きなんだな」
「
大剣を肩に担ぎながら近づいてきたゼロスは少し離れた位置で素振りを始めた。上段から下段へ。剣が振り下ろされる度に空を切る音と風が輝まで届く。
黙々と素振りをするゼロスを一瞥し、輝も自分の鍛錬に戻った。
互いに一言も発さず、ただ時間だけが過ぎていく。
そろそろ切り上げよう。そう思ったとき見計らったようにゼロスが口を開いた。
「なあ、どうして『アルカディア事件』なんか起こしたんだ?」
最初、自分への質問だと認識できなくて輝は答えられなかった。
「まあそっちはいい。経緯は聞いてるからなんとなく察しはついてる。あのアルフェリカちゃんを独りにしないためには共犯になるしかなかったんだろうな。けど俺にはどうしても理解できないことがあるんだよ」
こちらを見ることもせず素振りを続けながら。
「なんで夕姫ちゃんじゃなくて、アルフェリカちゃんを選んだんだ?」
大剣が振り下ろされる度に叩きつけられる風は、まるでその選択を責めているようで。
「夕姫ちゃん、泣いてたぜ?」
胸が痛んだ理由がわからなかった。
答えられない。黒神輝にとって神楽夕姫がどういう存在なのか、いまの自分にはわからない。
「ずっと仲良くしてた子だろ? 会って間もない子のために日常も全部捨てて、悪者になって……アルフェリカちゃんのためにどうしてそこまで出来たんだ?」
「…………」
「俺にはそこがどうしてもわからなかった。俺は何があってもシェアを選ぶ。輝には悪いが、お前と敵対することがあってもシェアを選ぶ。輝にとっての夕姫ちゃんは、俺にとってのシェアだと思ってたんだけどな」
「……俺には、わからない……」
そう答えるのが精一杯だった。
その瞬間、大剣が弧を描き、輝に向かって横薙ぎに振るわれた。
輝は咄嗟に機械鎌を合わせて衝撃を受け流す。受け流せなければ間違いなく身体を二分されていた一撃に動揺せずにはいられなかった。
「何をっ!?」
「わかんねぇじゃねぇよ!」
上段からの打ち下ろし。今度は受け流すことができず機械鎌を盾に鍔迫り合いとなる。押しつけられる重さに輝は片膝をつき、身動きが取れなくなった。
「もっぺん言うぜ? 夕姫ちゃんが泣いてたんだよ。お前がいなくなって泣いてたんだよっ。これ聞いてお前、なにも感じねぇのか!?」
叩きつけられる言葉が容赦なく胸を刺す。その度に心が痛みを訴える。
この痛みの意味が今の自分にはわからない。
「『殺してしまった人よりもより多くの人を救う。もう涙を流す人がいなくなるように』? はっ、笑かすな! 自分の一番大事なやつを泣かせておいてどの口でほざいてんだ!」
それは彼女と交わした誓い。黒神輝の根底にあるもの。
大切なものに傷をつけられた輝は自分でも驚くほどに激昂した。
「知った口を聞くな!」
魔力が爆発。機械鎌がシリンジの血を吸い上げ、
アルフィーが遺した最期の言葉。それを成すために、黒神輝として生きてきた。
忘れたことなどない。軽んじたことなどない。誓いに反した結果を招いてしまったとき、身を裂くほどの痛みをずっと覚えている。
イリスの
それでも――
「アルフェリカだって泣いていた! 傷つけられて、裏切られて、希望を奪われて、理想郷ですらあいつを拒絶した! 誰があいつの味方になってやれる! 誰があいつの傍に居てやれる! 味方がいない辛さなら、お前だって知ってるはずだろう!」
「だからどうだってんだよそりゃあ!」
振り下ろされる大剣。受ければ機械鎌ごと叩き割られる。それを後ろに跳んで躱した。
輝が立っていた場所がゼロスの一撃により陥没する。
「残されたやつにとっちゃ、んなもん関係ねぇ! お前は夕姫ちゃんじゃなくてアルフェリカちゃんを選んだ! あの子がどれだけ輝のことを想っているか、お前は知っていただろうがよ! 知っていたくせに、そんな子の目の前で、お前はあの子じゃない子を選んだ!」
「そうしなければきっと助けられなかった! アルフェリカは理想郷に殺されていた! 殺されようとしている奴を優先させるのは当たり前だろう!」
「同じことを夕姫ちゃんの前でも言えんのかよっ!?」
「それ、はっ……」
想像しただけで言葉が出てこなかった。ゼロスに叫んだことを彼女に向けて放つことに、恐ろしいほどの忌避感を覚えた。
「言えねぇだろ! 言えるわけがねぇ!」
魔術を以って反撃を行い、剣と魔術の応酬は感情と共に苛烈さを増していく。
「向き合わねぇ、答えを示さねぇ、思わせぶりな態度で、相手の想いだけ一方的に受け取る! 心地よかっただろうなぁ!? 期待させるだけさせて最後に裏切って絶望させたのはどこのどいつだ!」
他ならぬ自分なのだろう。覚えておらずともゼロスの剣戟がそれは事実だと訴えている。
だがそうだとしても、アルフェリカを救ったことを間違いであるかのように糾弾される謂れはない。
「アルフェリカを『アルカディア』の敵にした『ティル・ナ・ノーグ』がそれを言うのか! 俺はあいつを守ると約束した! 転生体一人救えないで、人間と神が共存できる世界など創れるものか!」
叫びと共に薙いだ機械鎌が大剣に受け止められた。石造りの足場に衝撃が罅を入れる。
互いに退くことはなく、自身の思いを押し通すべく鬩ぎ合った。
「それで夕姫ちゃんを泣かせてもかっ!」
言い返すことができなかった。夕姫の名前を出されるとどうしても思考が固まってしまう。その固まった思考を無理やり動かし――
「転生体を排斥しようとする者は俺の敵だ! 神はもちろん人間であろうとも! 転生体を救うこと以上に優先すべきことはない!」
「っ!? 輝、お前……」
大きく目を見開いたゼロスは明らかに動揺していた。
「
睨み合いを続ける二人にかけられる声。第三者の声に頭に上っていた血が降りていく。
現れたのはアーガム。
「嗚呼、美しい中庭だというのに何という有様だろうか。お二人の争いに巻き込まれた草花が可哀想だとは思わないかね」
芝居がかった仕草でアーガムは大仰に嘆いてみせた。
冷静になって周りを見てみればその通り。地面は陥没し、土は盛り上がり、花は薙ぎ倒されて、樹は傾いている。
二人の争いの余波を受けて中庭の景観は見るも無残。
「拳で語るのは結構だが周りを巻き込むのは感心しないな。二人とも良い大人だ。話し合いで解決もできるのではないかな?」
中庭の損壊を遠回しに咎められた輝とゼロスはどちらともなく武器を収める。
しかし気までは収まっていない。ゼロスは輝を睨みながら。
「輝。俺が知ってるお前は、どんな時でも人間と転生体の味方で、共存を拒否する神とは敵対するやつだった。そんなやつが場合によっては人間も敵だって言うようになっちまった。何があってそんな考えになっちまったんだよ?」
転生体として生まれて、生きてきた者が口にするにしては愚問に過ぎる。
いや、自分も本当の意味で理解していなかったのだから、ゼロスを非難するのはおかしなことだと思い直した。
「転生体が人間に虐げられている光景を目の当たりにした。迫害なんて生易しいものじゃなかった。尊厳を奪われ、自由を奪われ、未来を奪われ、ただただ強者の食い物にされていた。文字通りの奴隷だったんだ。死んだ方が救われるかもしれないほど酷い境遇にありながら、それでもみんな生きたいと願っていた。それを叶えるためには神を殺すだけでは足りないと思った」
人間は神を恐れるから転生体が迫害されるのだと思っていた。事実その通りではあるが、それだけではなかった。
転生体も人間を恐れている。恐れているが故に迫害されても抵抗できず、優位に立った人間が残虐性を転生体に向けるのだ。
神がそれぞれの意思で人間を傷つけるように、人間も己の意思で転生体を傷つける。
「神が全ての元凶だと思っていたけどそうじゃなかった。人間と転生体は同列じゃなかった。転生体が最も立場が弱かった」
「そんなわけがねぇ。転生体だって神の力を使って人間に牙を剥くことがある。けどそりゃ神の力を恐れて襲ってくる人間から身を守るためだろ。迫害されてきた恨みで力を振るう転生体だって、元を辿れば人間を襲う敵性神がいるからだ。ならやっぱり元凶は神のはずだぜ」
ゼロスの言うことは全く間違っていない。正しいことを言っている。
「力があっても抵抗できない者たちがいてもか? 死にたくないという願いにつけ込んで、命を握って転生体を踏みにじるのは神のせいか?」
断じて違う。
「人間も転生体を虐げる。恐怖による行動じゃなく、その残虐性によって」
ならばこの世界で最も弱いのは転生体だ。
敵性神を滅ぼせば人間は神を恐れる必要がなくなり、転生体の迫害はなくなるだろうと思っていた。今でのその考えは間違っていないと言い切れる。
だが足りない。それでは遅い。
「お前、人間も憎むようになっちまったのか……?」
「敵性を持つ人間という意味で言ってるならそうだ。人間を排除しようとする傲慢な神と同じように、転生体を悪意によって傷つける人間を、俺は許しはしない」
愕然とするゼロスに輝ははっきりと答えた。
転生体を救ってから共存する世界を創る。そうしなければ転生体は苦しみ続ける。
迫害され続けてきた弱者の嘆きを怒りに変えて弱者を虐げる全てを消し去る。
「そのためだけに俺は生きているんだから」
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