近くて遠い⑧


 急遽催されたパーティーは夜が更けたことで終わりを告げた。


 羽目を外して酔い潰れた者もちらほらといたため、そんな者たちには王城の空き部屋が当てがわれた。今頃はみんな泥のように眠っていることだろう。


 同じように場内の個室を用意されたアーガムは机に向かって資料を読み耽っていた。泥酔者たちと違って、アルコールの摂取によりやや赤みが差しているだけで意識ははっきりとしている。



「やはり興味深い……」



 読んでいた資料は『黄金郷の惨劇』スカージ・オブ・オフィールの顛末を記した資料。アーガムとの契約を履行するために輝が渡したものだった。抜粋されているため資料は一部だけだが、そこには輝が奴隷たちを解放したときの状況が証言を基に細かく記されている。



「同日にこの回数……『世界の知識庫』アカシックレコードに自身を繋げてなお自我を保つなど不可能だ。しかし事実として黒神殿は自我を保っている。その要因はなんだ?」



 真っ先に疑われるのは彼が【世界の叡智】クロニクル・オブ・ザ・アカシャと呼んでいる魔術。その術式が世間一般で知られている術式とは異なるということ。何かしらの編纂へんさんが行われているのなら、彼が自我を保てていることに説明がつく。



「しかしそれが実現できているのなら画期的な技術革新だ」



 一日に数度とはいえ術者を犠牲にせず『世界の知識庫』アカシックレコードから知識を汲みあげる。それだけでも価値は大きい。


 しかし輝は術式の編纂へんさんという高度なことはできないと否定した。事実、彼が使用する魔術は全てが教育機関で教わるような基礎魔術ばかり。それ以前に魔力を体外に放出できないという時点で術式の編纂などまともに行えない。


 それならば魔術ではなく、彼自身に要因があると考えるとどうだろうか。


 思いつく限りの可能性を並べて一つ一つ検証と考察を繰り返す。


 違う。違う。これは辻褄が合わない。これも理論的に有り得ない。違う。これはどうか。


 やがて全ての可能性が消えてしまい、該当しそうなものは残らなかった。


 頬に汗が伝う感覚で我に返った。時計を見れば一時間が経過していた。それだけの時間ずっと酷使され続けていた脳は糖分を欲している。



「少し根を詰め過ぎたようだ」



 机の上にはハーブとお茶菓子が置かれている。細かな気配りに感謝しつつ軽いティータイムとしよう。


 アルコールランプという前時代的な器具を用いて湯を沸かし、ハーブティーを淹れると甘い香りが漂って鼻腔を満たした。鎮静作用のあるハーブだろうか。心が落ち着く気がする。


 淹れたてのハーブティーとお茶菓子で脳に糖分を送りながらアーガムは思索を再開した。



「しかし術式はそのままに『世界の知識庫』アカシックレコードから知恵を汲むなどまるで知を司る神のようだ」



 そういえば、話をしていた黒神輝が人なのか神なのか聞いていなかった。身体に神名が表れていないから無意識に人だと思い込んでいたが、ならば【世界の叡智】クロニクル・オブ・ザ・アカシャを使用したのはどちらの人格だろうか。


 いやしかし、どちらだったとしても脳は人のものだ。人の脳が世界から雪崩れ込む情報量に耐えられないという事実は変わらない。



「人のものではないというならば別の話……だ、が…………」



 アーガムの脳裏に何かが掠めた。


 死刑囚を処刑したときに見せた〝神殺し〟ブラックゴッドの力。


 一度も確認できていない神名。


 【世界の叡智】クロニクル・オブ・ザ・アカシャを用いても己を保っているという事実。


 都市中に映し出されていた処刑の光景を思い出す。あのとき彼が使用したのは紛れもなく神の力。しかし身体に神名は浮かび上がっていなかった。



「まさか、彼は……神そのものなのか?」



 あり得るのか? いやあり得る。『神滅大戦』ディオスマキナから今日まで、全ての神が一度死んだことを証明した者は存在しない。



「悠長なことだな、アーガム」



 アーガムが己の思考を言語化しようとしたとき、室内から自分以外の声が聞こえた。


 声のした方に視線を向ければ、そこにあったのはランプに照らされてできた自分の影。絵の具をそのまま落としたような赤い目がアーガムを見上げていた。



「人の影に取り憑くとは相変わらず悪趣味な魔術ですね」



 自身の影が喋るという気味の悪い自体にも、アーガムは涼しげな笑みを貼り付けて肩をすくめるだけだった。



「諜報には便利な力だろう? 遠方にいてもこうして会話もできる」


「携帯端末という文明の利器をご存知ないので?」


「人の力で魔導を目指す我らが科学に頼るわけがないだろ。だいたいありゃ電波の届かない場所では使えんだろう。盗聴の心配もしなきゃならん。そもそも端末が壊れたら使えん。魔術の方が利便性が高いのは自明だ」


「そうですか」



 アーガムは嘆息する。科学も立派な人の力であるはずなのだが。



「それで世間話をするためにわざわざご連絡を?」


「まさか。指令を伝えるためだ。親睦を深め合うほど我々は仲良しではないだろう?」


「気が合いますね。私もそう思います。それで指令というのは?」


〝断罪の女神〟エクセキュアの転生体。アルフェリカ=オリュンシアを捕らえろ」



 その内容にアーガムは眉をひそめた。



「理由を聞いても?」


「わかっているだろう。アレはもともと我らの実験体。『神葬霊具』しんそうれいぐで滅ぼされたはずの〝断罪の女神〟エクセキュアが転生していた替えの効かん貴重なサンプルだ。『神葬霊具』しんそうれいぐでも滅せぬ神がもし存在するのなら、この世界は永遠に神の脅威からは逃れられん。世界救済のためにはどうしてもアレが必要ってわけだ」



 理屈は理解できる。


 確かに一世代前の〝断罪の女神〟の転生体は『神葬霊具』しんそうれいぐによって殺害されたと聞く。そのはずなのに再び転生してこの世に現れた。


 つまり人類がまだ解明できていない未知のシステムが存在することになる。



「人類の天敵である〝断罪の女神〟の生け捕りですか。申し訳ありませんが拒否します。他の覚醒体ならともかく〝断罪の女神〟が相手では命がいくらあっても足りませんからね」


「ほう、お前の開発した首輪があればできるのではないか?」



 重い音と共に影の上に何かが落ちた。


 首輪。鉄で出来た首輪。前王が奴隷に使用していたものと形状が似ている。唯一違うのは首輪に紅い宝珠が四つ取り付けられていること。


 それを目にしたアーガムは影をにらんだ。



「なぜこれを貴方が持っているのですっ」


「なに言ってんだ。我らが組織では研究成果を共有することが義務付けられているだろう。技術部の狂人共がお前の研究から作った試作品だよ。しっかり起爆術式も組み込まれてるぜ。しかも【解呪】ディスペル対策済みときた」



 ギリっと奥歯が鳴った。また人の技術を貶めるのか。



「これがありゃ〝断罪の女神〟といえどお前一人でなんとかできるだろう。幸い相手陣営の懐にも潜り込めているみたいだしな」


「そんなもの、使うつもりはありません」


「そりゃ使う使わないはお前の勝手だが、いいのか?」


「なにがです?」


「お前の妹、もう時間がないみたいだぞ? 今のペースで力を使い続ければ長くても一月ひとつきってとこじゃねぇか?」


「っ!?」


「あーもったいねぇよな。ありゃ使い勝手の良い力だし、もうちっと年を取ればいい感じに成長するだろうに。それが敵性神を宿すばっかりに殺処分だ」



 もったいないもったいない、と影はいやらしくわらう。



「けどま、この首輪を使ってデータが取れりゃ、お前の研究も前に進むだろ。首輪の完成が間に合えば妹だって救えるさ。お前にも得はあるだろう」



 強く噛んだ下唇から血が流れた。



「わかり、ました……」


「聞き分けが良くて何よりだ。それじゃ吉報を待つとしよう」



 耳障りな笑い声を置き土産に影から赤い目が消えた。


 床に転がる首輪の宝珠がランプの灯りを受けて妖しく光っていた。


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