近くて遠い⑦


 『ティル・ナ・ノーグ』との会談は終わった。


 せっかく再会したアルフェリカと夕姫を引き離すのは忍びなかったため、親睦会と称してシールたちを食事に招待した。


 どうせならと思って、城内にいた者たちと『鋼の戦乙女』アイゼンリッターにも声をかけた結果、急な催しにも関わらず百人以上の人数が集まってしまった。


 当初想定していたよりも大人数となり、立食パーティーの形式を取ることにした。


 ドレスコードを設けたため、会場内は着飾った者たちで華やかに彩られている。食を司る神を宿す転生体コックが腕によりをかけて作った数々の料理が並べられ、誰もがそれに舌鼓を打ちつつ会話に花を咲かせていた。


 アルフェリカは普段あまり関わりのない転生体・覚醒体の者たちに囲まれて、慣れない談話に四苦八苦している。彼女が他の誰かと一緒にいるところを初めて見た気がして、それが微笑ましい。


 レイは何人かの男に言い寄られているが、べったりと張りついたイリスが撃退しているのを困ったように笑いながら見ている。相変わらずのイリスだったが、彼女に任せておけばレイの心配をする必要はなさそうだ。


 ティアノラはアーガムと何かを話している。おそらくまた技術談義だろう。ティアノラの手にあるのがグラスではなくボトルなのはやや気になる。


 シールは会場内の様々な人物と積極的に接している。それなりの立場を持つ人物を中心に回っているということは情報収集とパイプ作りを兼ねているのだろう。抜け目がない。


 ゼロスは『鋼の戦乙女』アイゼンリッターや女性転生体に片っ端から声をかけている。そんな様子を見ていた者たちはゼロスが近づいてきそうになるとそれとなく距離を置いていた。


 シェアは〝水精〟すいしょう美貌びぼうに惹かれて群がってきた男性陣に囲まれて対応に苦慮している。ゼロスを野放しにしていることが歯痒いのか気がそぞろな様子だ。


 輝は空になったグラスを弄びながら、そんな様子を会場の壁際で眺めていると、視界の端からグラスが差し出された。中には赤いワインがゆらゆらと波打っている。



「グラス、空っぽだよ?」



 差し出していたのは夕姫だった。髪を結い上げ、髪の色に合わせた紫のドレスを纏っている姿はまるで御伽噺おとぎばなしに登場するお姫様のようだ。



「ありがとう、夕姫」


「どういたしまして」



 夕姫はにへらと笑って輝の隣で壁に背を預けた。



「輝くんはみんなと話さないの?」


「俺がいるとみんなリラックスできないからな。頃合いを見て退場するつもりだ」


「え、せっかくみんなで楽しんでるのに?」


「王っていう肩書きはそういうものだ」



 夕姫との会話には心地良さを覚える。思い出す限り、王になってからこんな気分になったことはなかった。



「そっか……輝くん、王様になっちゃったんだもんね」



 輝の言葉を耳にした夕姫は沈んだ顔でグラスを揺らした。揺れるワインの水面をじっと見つめたまま黙り込んでしまう。


 彼女が暗いとそれだけで胸が痛んだ。どうしてそう感じるのかは自分ではわからない。ただ彼女には笑っていて欲しい。そう思っていることは確かだ。


 自分にとって夕姫はどのような存在だったのだろうか。


 夕姫にとって自分はどのような存在だったのだろうか。


 記憶の上ではわかっている。しかしその関係性を取り戻せるかどうかはわからない。


 だがもし失敗すれば、再び彼女を傷つけることになる確信があった。



「えへへ、そうなるとアレだよねっ。一般人の私が馴れ馴れしくするのは良くないのかな」


「俺は気にしないし今まで通りでいい」


「で、でも、周りの目とかあるじゃん? 王様がこんな小娘に馴れ馴れしくされてたら示しもつかないでしょ? 今だってほら、こんな高そうなドレス着てるけど、ドレスに着られてるって感じだし、身の程を弁えないといけないよねっ」


「周りがとやかく言っても気にする必要なんてない。もしそれが気になるって言うなら俺が黙らせるよ」



 夕姫が距離を置こうとしているような気がして、そのことが無性に受け入れ難かった。



「だから、そんな寂しいこと言わないでくれ」



 無意識に紡いだ言葉に自分自身が驚いた。


 その言葉が夕姫にはどう伝わったのか。彼女はワインに口をつけながら、こくんと小さく頷いてくれた。


 たったそれだけのことで胸中が安堵で満たされた。



「輝くんにはゆいたいことがたくさんあったんだ」



 そうだろうなと輝は思った。自分がろくでもないことは自分自身が一番わかっている。



「でもいざ会うとね、なにをゆったらいいのかわからなくなっちゃった。おかしいな。輝くんに会うために八か月間も頑張ってきたはずなのにな」


「俺に会うため?」



 ぽろりと漏らした言葉は言うつもりのなかったことなのか、夕姫は「あ……」と口を滑らせたことに狼狽ろうばいした。



「な、なんでもないなんでもない! 気にしないでいいから!」


「いやでも……」


「いいから! 気にしなくていいから! こっちの話だから!」



 真意を聞こうにも顔を真っ赤にした夕姫はこちらの質問を受けつけようとしてくれない。



「わかったよ」



 これ以上は野暮というものか。誰しも聞かれたくないことの一つや二つはある。


 自分が神楽夕姫のことを忘れていることのように。



「ねぇ輝くん」


「なんだ?」


「ありがとね」



 何故礼を言われたのか分からなかった。今までしてきたことを思えば、罵倒されても仕方がないはずなのに。



「狩人の人たちに囲まれたときのこと。輝くんはぼろぼろだったのに、あんな大勢の前に立って私を庇ってくれた。だから、ありがと」


「そんなことか」



 それについては覚えていない。だが彼女がそう言うのなら、自分はそう動いたのだろう。


 そんなこと、と言われた夕姫はグラスに口をつけながら少しむくれた。



「私にとっては大きなことだったの。私は自分が転生体だってことを知られるのが怖かった。知られたら日常が壊れることを知ってたから。みんなの態度が変わることを知ってたから」


「ああ、俺も知ってる」



 だからこそ転生体の居場所を作るのだ。もうそんな思いをしなくていいように。


 果たして、その目標には近づけているのだろうか。


 それはまだわからない。



「輝くんが変わらず接してくれて嬉しかった。私が転生体だって知ってたくせに黙ってたのは気に入らないけど」


「それは、悪かった……」



 さぞ不安にさせただろう。相手に転生体だと知られることを恐れているのに、その相手はすでにそのことを知っているのだ。


 たった一言、知っていると告げるだけでその不安は取り除けたはずだ。


 そんな不安をずっと抱かせていたと思うと申し開きもできない。



「まあ、なんにせよ――」



 彼女との思い出に実感はなくとも、こう思えた。自然と口元が綻ぶ。



「元気そうで良かった」


「~~~~~~っ!?」



 声にならない声を上げて、夕姫は顔を逸らした。そしてまだ半分ほども残っているグラスを一息にあおると、みるみる紅潮してしまう。



「お、おいっ」



 アルコール飲料を一気に飲み干して顔を赤くした夕姫を案じるが彼女は構わず。



「グ、グラスっ……空になっちゃったから新しいのもらってくるね!」



 返事も待たず早足に行ってしまった。


 遠ざかる背中を輝はただ見送った。




―――――☆★☆★☆★☆★☆★―――――




 輝と夕姫。二人のそんな様子を遠目に見ていた者たちがいた。



「あー、夕姫ちゃん行っちゃったぜ」


「輝のやつなんで追いかけないのよ」



 初めにシェアとゼロスが、賑やかな会場の隅で二人っきりで話し込んでいる輝と夕姫を見つけた。隠れるように輝たちを観察している二人を目にしたアルフェリカがそこに加わり、さらにそれに気づいたレイとイリスも加わった。


 別の場所ではティアノラと、それに付き合わされているアーガムが同じように二人の様子を眺めている。


 傍目はためには良い雰囲気。


 これはもしやと全員が同じことを思ったが、予想していた展開が訪れることはなく、恥じ入るように顔を赤くした夕姫は輝から離れて行ってしまった。輝は追いかけようともしない。


 その結果に一同は落胆せざるを得ない。



「神楽夕姫さんでしたよね? あの人、絶対に輝様のこと好きですよね? レイちゃんはどう思う?」


「私もそう思います。その辺りはアルフェリカさんの方がご存知では?」



 レイが水を向けたことで注目を浴びるが、当の本人は輝を見つめたまま返事をしなかった。



「アルフェリカさん?」


「あ、うん……ごめんなさい。ぼうっとしてたわ。なに?」



 もう一度レイが呼んでようやく反応したアルフェリカにイリスがにやぁと笑った。



「もしかしてアルフェリカ様って輝様のこと……」


「えっ、ち、違うわよ! あたしのはそういうのじゃなくて」


「まだなにも言ってないのにその慌てよう。そういうのじゃないならどういうのなのでしょう。私は激しく気になりますねー? ぶっちゃけ輝様のことどう思ってるんですか?」


「えっ!?」



 イリスの問いに視線を彷徨わせて慌てふためく姿に一同は好奇心を刺激された。



「それはあたしも気になるわね」


「俺も俺も。男として知りたいところだな」


「そ、その……私も、気になります」


「レ、レイまで……」



 爛々らんらんとした目を向けられてアルフェリカはたじろぐ。色恋沙汰に慣れていないのでこういうときにどう振る舞っていいのかわからない。



「さあさあ隠すことでもないでしょう? 言って楽になっちゃいましょうよアルフェリカ様」


「べ、別にみんなが期待するようなものじゃないわよ?」



 みんなの圧力に観念してアルフェリカは頬を染めながら言った。



「あたしにとって、輝は世界でただ一人、全幅の信頼を寄せられる人よ」



 それはアルフェリカにとって紛れもない事実。


 差し伸べてくれた手を振り払った自分にもう一度手を差し伸べてくれた。自分の日常を切り捨ててまで。そうまでして自分を孤独から救い出してくれた存在だ。


 大切なものを捨ててまで味方してくれた。もし仮に彼が自分を裏切ることがあったなら、きっとこの世界にはそもそも救いなど有りはしないのだ。


 だからこそ信頼の全てを彼に寄せる。彼のためになら何でもする。



「それって好きっていうことでは?」


「……そ、れは……よくわからないわ……ほ、本当よ? 嘘じゃないわ」



 輝の役に立ちたいと思っていることは確か。それが好きという感情なのか、アルフェリカは本当にわからない。



「仮にそうだとしても輝には夕姫がいるから」



 輝が夕姫のことを大切に想っていることは知っている。夕姫も輝のことを大切に想っている。


 そんな二人を引き裂いたのは自分だ。それなのに自分は輝の近くにいる。その事実が胸に棘を残し、痛みも消えず、ずっと罪悪感に縛られていた。



「でもあの二人はお付き合いしてないんですよね? ならアルフェリカ様にもまだチャンスがあるのでは?」


「そうだとしてもあたしは踏み込まない。輝と夕姫の日常を取り戻す。それがあたしに出来る二人への償いなんだから」



 輝の隣には夕姫がいるべきだ。


 だって王になってからまともに笑わなかった輝が、夕姫と一緒にいるときは柔らかな微笑みを浮かべていた。


 『アルカディア』を出てから輝のあんな顔は見たことがない。誰かのためではなく自分のために浮かべた笑顔。


 隣にいた自分には引き出せなかった表情。


 アルフェリカ=オリュンシアでは神楽夕姫の代わりにはなれないと突きつけられた。


 ならば彼の隣にいるべきなのは自分ではなく――



「ふむ……」



 じっと輝を見つめたまま、そう答えるアルフェリカにイリスは他の三人にそっと耳打ち。



「どう思います?」


「本人に自覚がないだけのような気がしますね」


「クソ、輝のやつめ……あんな可愛い子に好かれてるなんて羨ましい。しかも二人も。どうすりゃそうなれるんだ?」


「少なくともアンタじゃ脳みそ取り替えない限り無理よ」


「それもう別人じゃね!?」


「でもま、そういうことですよね」



 イリスは輝から目を離そうとしないアルフェリカの横顔を見ながら思う。


 アルフェリカの姿は、どう見ても恋に思い悩む乙女だと。

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