近くて遠い⑥


「みんな適当に座ってくれ。ああ、それとすまないが人数分の飲み物を頼む」



 扉の横に控えている女性給仕に指示を出すと丁寧に腰を折ってから部屋を出ていった。


 それを見送ってから輝は真剣な面持ちで話を切り出した。



「早速話をしたいんだが、いいか?」


「ええ、私からもいくつか確認したいことがあります」


「聞かせてくれ」



 旧知の仲とはいえ『ファブロス・エウケー』の王と『ティル・ナ・ノーグ』幹部の対話。余計な雑談もなく事務的に話し合いが開始された。



「まず要請内容の確認です。『ティル・ナ・ノーグ』に要請する内容は『ファブロス・エウケー』内の敵性神を宿す転生体を『アルカディア』に移住させること。もしくは神楽夕姫さんによる『神葬霊具』しんそうれいぐを用いた敵性神のみの殺害。これは実質、神楽さんを『ファブロス・エウケー』を派遣してほしいということですね」



 名前が出た夕姫に輝が視線を送ると彼女は緊張から背筋を伸ばす。そんな仕草を微笑ましく思いつつ首肯する。



「その理由をお伺いしても?」


「難しい話じゃない。敵性神を宿す転生体は遅かれ早かれ対処しなければならない。けど方法はそう多くない。都市に被害を出さないためには、宿主ごと殺すか、都市を追放するくらいだ。だが〝断罪の女神〟だけを殺し、アルフェリカを生かした〝戦女神〟が『アルカディア』にいると聞いた。宿主を殺さずに済む方法があるなら、それに頼りたいと思ったんだ」



 輝が述べた話にシールの眉がぴくりと動いた。心なしか怪訝そうな表情をしているようにも見受けられる。



「敵性神を宿していてもそれは宿主の非じゃない。けれど覚醒すれば被害が出るのは間違いないから対処せざるを得ない。だけど俺はそんな転生体も救いたい。これは『ティル・ナ・ノーグ』の理念とも合致するはずだ」


「肯定します。転生体の保護は我々『ティル・ナ・ノーグ』の理念の一つ。さらにそれが輝からの要請とあれば断る理由もありません」


「いいのか?」


「というと?」


「世界から見れば俺は『アルカディア事件』と『黄金郷の惨劇』スカージ・オブ・オフィールを引き起こした極悪人だ。そんな俺に協力すれば、風当たりも強くなるんじゃないか?」


「その可能性は否定しませんが、それが何か?」



 輝の懸念をシールはバッサリと切り捨てた。



「そんなものは考慮するに値しません。転生体として生を受けた者に救いを与えるため、我々が存在するのですから。とはいえ――」



 シールは茶目っ気のある笑みを浮かべながら――



「風当たりが強くなると面倒事が増えるのも事実です。そこで我々は『ファブロス・エウケー』の王に『アルカディア事件』の賠償と要請に応じることへの対価を求めます」


「……具体的には?」



 拒否権はない。こちらは『アルカディア』に被害をもたらした上に、厚かましくお願い事をしている立場だ。



「そうですね。『アイゼン鉱脈』の採掘権四割と加工済み金属素材の無期限の無償提供といったところでしょうか」



 シールの要求に真っ先に反応したのはティアノラだった。



「い、いくらなんでもそりゃ吹っかけすぎだろう!」



 そんな条件を飲んでしまえば間違いなく『ファブロス・エウケー』の経済は大打撃を受ける。自分たちだけでは吸収しきれず、皺寄しわよせが住民の生活にまで影響が及ぶだろう。


 身から出たさびとはいえ、一国を背負う立場としてそれは許容できない。自らが負うべき責を誰かに背負わせるわけにはいかない。


 輝の表情が苦渋に歪む。



「採掘権は二割。加工済み金属素材は十年間の期限付きで五割安での融通で手を打ってほしい」



 要求できる立場ではないのは重々承知した上で輝は嘆願した。おそらくこれが住民の生活に影響を出さないでおけるギリギリのライン。


 それに対しシールの返答は早かった。



「はい、構いませんよ」



 交渉もすることなくシールは輝の願いを受け入れた。



「では、これで交渉成立ということになりますね。後日、正式に手続きを進めさせてもらいます。このことは公表しますので予め承知しておいてください」


「あ、ああ……」



 賠償に関する交渉なら難航するだろうと覚悟していた輝はあまりにもあっけない成立に肩透かしを食らった気分だった。



「さて、では『ファブロス・エウケー』の要請に応えるには具体的にどうするか、ですが……神楽さんはどうしたいですか?」


「ふえっ!?」



 内容からして話を振られないわけがないというのに、夕姫は「私ですかっ!?」という顔をして目を白黒させた。もしくはついに出番が来たことに身を固くしているのか。



「我々の対応としては、神楽さんを『ファブロス・エウケー』へ派遣するか、『ティル・ナ・ノーグ』で転生体を受け入れるかのどちらかになります。まだ神楽さんはまだ守護者として本格的に活動してないので、現段階なら『ティル・ナ・ノーグ』から離れてもあまり支障はありません。記念すべき初仕事ですから、勤務地くらい好きに選んでもらおうと思いまして」


「わ、私にできますかね……?」



 不安が顔にありありと浮かび上がっている。その転生体の今後を左右することになるのだ。その責任を負うことに不安を抱くのはわからなくもない。



「できると思っています。もちろん我々がフォローしますよ」


「こちらもできることは何でもする」



 シールと輝がそれぞれ不安を和らげようと声をかけるが、それだけでは夕姫の表情は晴れない。


 ぎゅっと胸元で両手を握りしめながら答えを出せずにいると、不意に彼女の身体が青白く発光した。全身が幾何学的な刻印で覆われ、彼女の纏う雰囲気が一変する。



「そんなの決まってるよ! ここでやるさ!」



 夕姫の声で夕姫のものではない言葉がシールの問いに答えを返す。


 体表にて輝く神名は覚醒体の証。



「〝戦女神〟か」


「あれあれ輝? ボクをそんな呼び方するなんて随分と余所余所しくなったね。王様にもなると振る舞いも変わっちゃうのかな? 言っとくけど似合ってないよっ! いつもみたくウォルシィラって呼んどきなよ」


「あ、ああそうだな、ウォルシィラ」


「なんだよその顔。まさかボクのこと忘れてたの? ひっどいなぁ」


「い、いやそんなことはない」



 記憶が自分のものと思えないのは厄介だ。旧知の仲の者が相手でも、今の自分は初対面の感覚が拭えない。


 輝は無意識に頭を押さえた。



「輝……? もしかして君……」



 輝の態度に違和感を覚えたウォルシィラが何か言おうと口を開きかけたとき、部屋の扉が勢いよく開け放たれた。


 お茶を用意した給仕が来たにしては騒々しい。大きな音に全員の視線が集まり、そこには少しばかり息を切らしたアルフェリカがいた。



「夕姫!」



 アルフェリカは夕姫を見るや否や彼女に飛びついて小柄な身体を力いっぱいに抱きしめる。


 いきなり抱きつかれたウォルシィラは理解が追いつかないらしく目をパチクリとさせていた。



「……ごめん、なさい。ごめんなさい。あたしのせいで。あたしが弱かったから……夕姫に怪我させて、夕姫の日常を壊して、輝にも、会えないようにしちゃった……ごめんなさい」


「あはは、ボクは夕姫じゃないんだけどな。これは引っ込んだ方が良さそうだね」



 嗚咽まじりに謝罪を繰り返すアルフェリカにウォルシィラは困ったように笑いながら、神名の輝きを消失させた。彼女の気配が感じられなくなり、代わりに夕姫が目を覚ます。



「……アルちゃん」


「ごめんなさい。ごめんなさい……」



 謝り続けるアルフェリカの頭を夕姫はぎゅっと抱きしめた。



「大丈夫。大丈夫だよ。どうしてアルちゃんがあんなことしたのか、全部聞いたからわかってるよ。ずっと独りで辛かったよね? 怖かったよね? 寂しかったよね? 私もアルちゃんと同じ転生体だから、アルちゃんの気持ち、よくわかるよ?」



 夕姫の肩に顔を埋めて涙を流すアルフェリカを見ていると胸が針を刺したように痛んだ。


 自分のせいで輝と夕姫を引き離した。アルフェリカはそんな罪悪感を抱いている。


 献身的に支えてくれるアルフェリカの罪悪感を、輝は何一つ軽くしてやることが出来ていない。


 何か言うべきなのだろう。しかしなんて声をかければいいのかわからなかった。



「だから泣かないで。アルちゃんのこと恨んでなんかないから。アルちゃんのせいなんかじゃないよ」



 謝罪を繰り返すアルフェリカの頭を夕姫は幼子をあやすようにゆっくりと撫でる。


 アルフェリカが落ち着くまで夕姫はずっとそうしていた。


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