血塗れ王の憂慮⑦


「黒神さん、視察に行きましょう」



 無意味に豪奢な執務室で政務に精を出していると、報告書を持ってきたレイがそんなことを提案してきた。



「視察?」


「ここのところ黒神さんは執務室にこもりっきりではありませんか。そんな状況を続けていては身体にも心にもよくありません。気分転換も兼ねて街の様子を直に見に行きましょう」


「気遣いはありがたいけど俺は大丈夫だよ。それに片付けなきゃならない書類がまだまだたくさんあるんだ。休んでいる暇なんてないよ」



 言い訳がましく輝は机の端によけておいた書類の山に手をおいた。その高さは輝の座高をゆうに超えている。積み上げられた高さはそのまま『ファブロス・エウケー』の課題の数だ。早く処理すればそれだけ住民の生活が安定することになる。



「それならなおのことですよ。昨日持ってきた書類だって半分ほどしか片付いていないではないですか。今まで出来ていたことが出来なくなるのは息詰まっている証拠です。お仕事の能率を維持するには気分転換は大事ですよ?」


「そうは言うけど」


「だいたい、休もうが休むまいが終わる量じゃないんですから、一日休んだところで大した影響はありません。しっかり休んで能率を維持することも大事なお仕事です」


「……わかったよ」



 熱心なレイに根負けして輝は折れることにした。


 あのレイがこうもはっきりと進言するようになるとは。


 嬉しい変化であることに間違いはない。そのはずなのに頭の片隅に何か引っかかり、手放しに喜ぶことができなかった。


 まるで指と一体化し始めていたペンを置いて輝は立ち上がる。そのまま部屋の出口へ向かうと一歩後ろにレイが続いた。



「二人で街に行くのはあの日以来ですね」


「そうだな。あの時はレイに誘われる日が来るなんて想像もできなかったな」


「あ、あまり以前のことは言わないで頂けると……」


「別にからかってるわけじゃない」



 すぐ後ろを歩くレイに肩越しの笑みを浮かべる。両手を頬に当てて恥じ入っている様子はまさに年頃の女の子そのものだ。


 隣を歩かないのは変わらないようだが。


 城門を警備する覚醒体のコンビに軽く挨拶を交わして二人は広場に出た。神名を輝かせる存在が門番をしているからか、それ以外の理由か、城門前の広場は閑散としている。


 寂しいことだがデモや暴動が起こることに比べれば遥かにマシと言えるだろう。



「どちらへ向かわれますか?」



 街に向かって下り坂を歩きながら輝は少しだけ考え込んだ。どうせなら都市全部を見て回りたいところだが、それではとても時間が足りない。



『鋼の戦乙女』アイゼンリッターの本部と詰所。それと市場を見てこようと思う。時間に余裕があれば裏区画も回ろう」



 『黄金郷の惨劇』スカージ・オブ・オフィール以降イリスとは顔を合わせていない。


 彼女はどう思っているだろうか。



「そうですね。それがいいと思います」



 輝の胸中を察したのか、言葉に反してレイの声には影があった。何となく気まずくなって互いに口を閉ざしてしまう。


 レイのヒールが石畳を叩く音がやけに大きく聞こえた。


 やがて街に降りるにつれて人の往来が増えてくる。


 輝を見て気安く声をかけてくる者がいれば、何かを言いたそうに睨む者、目を逸らす者もいる。無邪気に駆け寄ってくる子供がいれば、戦々恐々とそれを押し留める親もいる。


 そんな民衆に混ざって虚ろな目をした男がふらりと近づいてきた。わずかに警戒を強めた輝だったが、その視線が自分の後ろに注がれていることに気がつく。


 あの目は見覚えがある。【魅了】された者の目。


 レイを庇うように視線の間に割って入って男を睨みつける。それだけで男は正気に戻り、足をもつれさせながら走り去っていった。



「ふふ、ありがとうございます黒神さん」


「平気そうだな。余計なお世話だったか?」


「そんなことはありません。頼もしかったですよ」



 にっこりと笑うレイに輝は少し面を食らった。【魅了】された男に狙われた直後で、こうまで自然体で振舞い、世辞まで言える余裕があるのは賞賛する以外にない。


 本当に見違えたものだ。



「そうか」


「はいっ」



 嬉しそうに細められた翡翠の瞳が熱っぽく輝を見つめる。


 そんな眼差しを向けられては【魅了】がなくとも男なら魅せられてしまうだろう。


 それにも関わらず自分がレイに反応しなくなったのは、やはり【世界の叡智】クロニクル・オブ・ザ・アカシャを多用したことによる後遺症なのだろう。食欲も睡眠欲も性欲もほとんどが感じなくなってしまった。


 ほどなくして『鋼の戦乙女』アイゼンリッターの本部に到着した。


 煉瓦造りの建物に出入りする影は見受けられず、入口を警備する乙女が三人立っているだけ。乙女たちが穏やかな表情で道行く人々を見守る様子は日常の温かさを感じる。


 その彼女たちの顔つきが輝の姿を認めることで強張った。


 いちいち気にしていたらキリがない。胸を刺す痛みを無視し、輝は彼女たちに近づいた。



「職務中にすまない。都市の様子を見て回っているんだが、本部長や騎士の皆に挨拶をしたいと思って立ち寄ったんだ。構わないか? 邪魔になるようなら出直すけど」



 乙女たちは困惑したように顔を見合わせた。


 仮にも王位に着く者が事前連絡なしに訪問してきたのだ。対応に困るのも無理はない。


 彼女たちが困っている姿を前にして、次からは事前にアポイントを取ってから訪問するようにしようと思った。



「しょ、少々お待ちください」



 一人の乙女が駆け足に建物の中に戻っていく。上役に相談しに行ったのだろう。


 残された二人の乙女は所在無さげだ。そわそわと身体を揺すり、目が合うと逸らされてしまう。



「迷惑をかけてすまない。そっちの事情も考慮した上で訪問すべきだった」



 輝が謝罪を口にすると二人の乙女はさらに恐縮する。



「そ、そんなことはございません。突然のことで驚いてしまっただけで……」


「そう言ってもらえると救われるよ。ありがとう」



 謝罪の次は感謝を口にする輝をどう思ったのか、二人は目をパチクリとさせていた。


 会話が途切れて待つこと数分、本部内の空気が慌ただしくなった。それからまもなくして、先ほどの乙女がこちらへと駆け寄ってくる。



「お待たせして申し訳ございません。お部屋を用意致しましたのでご案内させて頂きます」


「ありがとう。助かる」



 乙女に先導されて建物に入ろうとしたとき不意に辺りが暗くなった。陽光が遮られたせいだとわかり頭上を見上げると、そこには既視感のある光景があった。


 緋色の瞳が輝を見下ろしている。纏う甲冑は陽の光で銀に輝き、栗色の髪が自由落下の風を受けて天になびく。


 振りかぶった両手に握られているのは騎士の剣。


 いつか見た光景に思わず頬が緩む。


 振り下ろされた剣はしかし、レイが展開した【対物障壁】アンチマテリアルシールドによって阻まれた。


 奇襲が失敗に終わった騎士は、やはりいつかのように忌々しげに舌打ちをした。



「今回は、避けないんですね……」


「イリスに特別扱いしてもらえるのが嬉しくてつい、な」


「……嬉しくないって言ってたじゃないですか」


「そうだったか?」



 半年前の他愛のないやり取り。イリスが覚えていてくれたことが少し嬉しい。


 イリスの行動に周囲は騒然とした。建物の中で泡を吹いて倒れた様子が見えた。


 騎士が王に剣を向けたのだから、そうなるのも致し方ない。


 自分が気にしなくても周りは気にする。


 肩書きとはそういうモノだ。



「イリス、貴女は騎士なんですからこういう行動は謹んでくださいね」



 苦言を呈するレイだったが口調に険しさはない。


 イリスから輝を庇うレイ。その構図が気に入らなかったのか、イリスは眉間に皺を刻む。



「あの日からずっと、言いたかったことがあるんです」


「……聞かせてくれ」



 剣を握り締めたままのイリスの目は昏い。良いことではないのは明白。


 だからこそ聞かなければならないと思った。



「王になった気分はどうですか、陛下?」


「イリスっ」



 皮肉が込められた呼び方。今度は看過できなかったレイは咎めの声を出す。


 輝はそれを手で制した。



「そうだな。一言で言えば――最悪だ」


「だったらどうして……」



 下唇を噛み締め、イリスは絞り出す。



「どうしてこんなことをしたんですかっ!?」



 悲痛な響きを伴った糾弾。問うても意味はない。しかし問わずにはいられない。そんな葛藤を抱き、心の整理もつかないままに吐き出された感情の発露。



「いえ、いえ、頭ではわかってるんですっ。奴隷の人たちも、転生体の人たちも苦しんでいたっ。重税に苦しむ人たちの比じゃないくらいに絶望して、生きながらに殺されてたっ。そんな人たちを助けるために貴方が首輪を壊したっていうことくらい。けど、だけど……」



 彼女の訴えを輝は黙って聞いた。この慟哭に等しい叫びを黙らせることなどいったい誰にできよう。そんなことをしてしまえば、その誰かは間違いなく心を失う。



「たくさんの人が傷つきましたっ。たくさんの人が悲しみましたっ。大切な人を失って、大切な物を失って、帰る家も失って、たくさんの人が涙を流しましたっ。『鋼の戦乙女』アイゼンリッターだって死んじゃった子が何人もいたんですっ!」



 仲間を失う苦しみ。家族を失う悲しみ。それによって涙を流す痛みは輝にだって理解できる。


 理解できてしまうからこそイリスの一言一言に胸が切り裂かれる。


 握り締めた剣を放り捨て、空になった両手で彼女は輝に掴みかかった。握り締められた手が白いシャツに皺を作る。



「いつか同じことが起こったのかもしれません。だけど、今じゃなきゃだめだったんですか!? 虐げられてきた人を助けるために、無関係だった人たちが傷つかなきゃいけなかったんですか!? もっと、もっと! 誰も傷つかずに済む方法はなかったんですか!?」



 涙を湛えた緋色の双眸が蒼眼を捕らえて放さない。


 自分が引き起こした惨劇はこの少女も例外なく傷つけてしまったのだとわかってしまう。



「リーダーも……レーネも……死んじゃいました……」



 イリスの通告は鉄槌で頭を殴りつけたほどの衝撃を輝に与えた。一瞬、足元が瓦解したかのように錯覚する。


 『喰蜘蛛』デッドスパイダーから助けたときに一緒にいた『鋼の戦乙女』アイゼンリッターのセリカとレーネ。ほとんど関わりがなかったとはいえ、もう彼女たちの記憶が朧げになっていることに自分が酷く冷たい者であると思えて仕方がない。


 それでもわかる。二人はイリスにとってかけがえのない仲間だった。その二人を同時に失った。


 その喪失感を輝は推し量ることしかできない。共感することができない。



「そうまでして救った人たちがいて……王様にまでなって……出てくる言葉が『最悪』だなんて……そんなの、あんまりですよ」



 嗚呼、その通りだ。なんてことを口にしてしまったのだろうか。


 イリスの痛酷を知って今更ながらに自覚した。


 虐げられた弱者を最優先に救うと決めた。黄金卿の惨劇が起こるリスクも踏まえた上で、そう決めて実行に移したのは他ならぬ自分だ。


 そして大勢が傷つき、大勢が死に、大勢が涙を流した。


 その結果をもたらした者が最悪と口にする。


 ふざけているとしか言えない。


 全て己が選択による結果だ。最高の結果ではなかったからといって、受け入れられずに弱音を漏らし、あまつさえ傷つけた者にそれを聞かせる。


 愚昧、愚蒙、愚考、愚劣。


 愚かしいにも程がある。


 口が裂けても謝罪などできない。そんな言葉は許されない。


 心の痛みを訴える少女を癒せる言葉が思いつかない。


 自分が誰かに伝えられることなんて、とても限られている。



「必ず良い都市にする。人間も転生体も覚醒体も、誰もが手を取り合えて笑顔で暮らしていける場所にしてみせる」



 死なせてしまった者の無念を、傷つけてしまった者の嘆きを、無意味なものにしてしまわないように。


 せめて未来だけは約束しなければ。



「できるんですか? そんなこと……」


「俺の力じゃ難しいだろうな。けど――がっ!?」



 言葉を続けようとしたところ、真下から繰り出されたアッパーカットに遮られた。



「く、黒神さん!?」



 脳を揺らされて後ろに倒れそうになった輝を、レイは驚きながらも柔らかく受け止めた。



「何をそんな弱気なこと言ってるんですか! 何がなんでもやってください! 輝様の力で足りないなら、転生体でも覚醒体でも神でも魔獣でもなんでも使って実現させてください! そうじゃなきゃ誰も報われません! 誰も前を向けません! 私の大切な仲間を奪っておきながら、輝様の自己満足で終わらせるなんて断じて許しません!」



 軽い脳震盪のうしんとうに苛まれていてもイリスの声だけは明瞭に聞こえてくる。



「アルフェリカ様に言われました! 輝様の夢が叶って転生体にも優しい世界になったらいいなって! だから人への恨みを我慢するって! 人と転生体と神が手を取り合える世界にするためにアルフェリカ様は転生体のお手本になるって! だから私たちが人間のお手本になって欲しいって! ええっ、なりましょう! 私は輝様を恨みません! 私がっ! イリス=ファーニカが人のお手本となって輝様たちに歩み寄ります! 夢を叶えるのに輝様の力が足りないなら、私の力も使えばいいじゃないですか!」



 輝のせいで傷つき、涙を流し、それでも気持ちを抑えて協力すると。イリスはそう言った。


 幻聴を真っ先に疑った。輝にとってそれほどまでに彼女から出てきた言葉が信じられなかった。



「イリスは……許して、くれるのか……?」


「そんなの自分で考えてください! 自分でもどうなのかわかんないんですよ! 胸の中がぐちゃぐちゃで痛いし悲しいし辛いし、だからと言って都市が前のままで良いとも思っていません! 輝様がやったことが良いことなのか悪いことなのかもわかりません! もう何が正解で何が間違っているのかも私にはわかんないんです! だけどっ!」



 感情と共に溢れる涙を乱雑に拭い、大きく息を吸い込む。



「貴方の言う世界にならなかったら、リーダーとレーネの死が本当に無駄になるじゃないですか!」



 それこそが彼女の望みだった。


 大切な仲間を失い、その死が何の礎にもならないのなら、彼女たちはなぜ死ななければならなかったのか。残されたイリスは友を亡くした痛みと悲しみと、どう向き合えば良いのかわからなくなる。


 イリスは輝の夢を理由にして踏みとどまろうとしてくれている。



「イリス」



 ならば是が非でも彼女を支えなければならない。見捨てることはもちろん、失敗すらも許されない。



「どうか頼む。イリスの力を貸して欲しい」


「ええいいでしょう! 輝様は頼りないですからね! 私が力を貸してあげます! それに、輝様にはまだまだ言いたいことがたくさんありますからね! まず第一に――」



 目を赤く腫らしながら、拾い上げた剣を勢いよく振り上げた。



「いつまでレイちゃんの胸に埋まってるんですかああああああぁぁぁぁっ!」

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