血塗れ王の憂慮⑥


 ミーティングは濃密かつ重厚としか言えなかった。


 守護者の活動報告。近隣の魔獣の活動報告。外交に関する進捗報告。住民から上がってきている苦情要望の対応状況。現在進めている政策の進捗確認。直面している課題への対策および検討。都市内の転生体の増減。他国との貿易状況。財政の見直し。犯罪件数。戦闘部隊の訓練状況。その他諸々。


 話についていこうと脳細胞をフル回転させていたけども半分もついていけない。


 知恵熱が出そうです。


 積極的に議論をしているのは幹部の三人と神崎。


 シェアは発言の回数こそ少ないものの話は理解している模様。すごい。


 ゼロスは鼻ちょうちん出しながら堂々と居眠り。頭から流れた血の跡がちょっと怖い。


 時折、意見を求められるけど、あまり実のあることは言えなかった。その度に兼平の視線が突き刺さって冷や汗が噴き出す。


 ごめんなさい。でも本当についていくので精一杯なので許してください。そしてできれば話を振らないでください。お願いします。


 逃げ出したい衝動に駆られながら耐えること二時間。



「ではこれが最後の議題だ。『ファブロス・エウケー』から『ティル・ナ・ノーグ』に書簡が届いた」



 『ファブロス・エウケー』。兼平が口にしたその単語を耳にした瞬間、ぼうっとしていた頭が覚醒した。


 それは他の出席者も同じく全員の目つきが変わり、室内の空気が張り詰める。



「書簡、ですか」


「そうだシール嬢。書簡だ。音声通話でもなくメールでもなくな。もともとあそこは鉱山都市の『オフィール』だ。冶金やきんや製鉄技術はあるが、その他の技術は未成熟なままなのだろう。封蝋の意匠は『オフィール』の王族が使用していたものと同じ。偽造は容易いが疑ったところで意味はあるまい」



 証拠を見せるようにその書簡とやらを掲げてみせた。水が注がれる杯の意匠。



「で、そこにはなんと書いてあるんじゃ?」


「神楽嬢に『神葬霊具』にて敵性神を宿す転生体から神のみを殺してほしい。要約するとこんなところだ」


「つまり嬢ちゃんの『神装宝具』の力を知ってるってこったな」


「そういうことだ。これは『アルカディア事件』で神楽嬢が〝断罪の女神〟の殺害に成功していることも知っていることを示す。そしてこの事実は公表していない。知っている者は限られる」


「となると送り主は当然――」



 ガタンッ。椅子が倒れる音が室内に響き、視線がその発生源に集中した。



「輝くん、なんですか……?」


「そう考えるのが妥当だろう」



 鼓動が早くなるのを感じた。


 輝に会いたい。会って話をしたい。感情が、衝動が、抑えられないくらいにどんどん膨れ上がってくる。



「神楽嬢を『ファブロス・エウケー』に派遣するか敵性神を宿す転生体を『ティル・ナ・ノーグ』に受け入れるか、そのどちらかを要請している。転生体保護を謳う我々とすれば、応じるべき要請であると考えるが」


「ふむ、儂らの理念に反するわけでもない。儂も応じるべきと判断するが……相手が『ファブロス・エウケー』となるとそう単純にはいくまいて」


「その通りだ。世論では『ファブロス・エウケー』の現王を批判する声は多い。『ファブロス・エウケー』と外交を閉ざす国や都市が少なからずいる状況で、『アルカディア』が協力体制を敷けば我々も他国との関係を悪化させる可能性がある。いや、その可能性の方が高いだろう」



 未だ記憶に新しい『黄金卿の惨劇』スカージ・オブ・オフィール。奴隷を解放してレドアルコン家を根絶やしにした事件。そのときに友好覚醒体と敵性覚醒体の争いが起き、都市に甚大な被害をもたらしたという。


 その引き金を引いたのが『ファブロス・エウケー』の現王。


 すなわち輝だ。


 『アルカディア』に続き『オフィール』でも大きな被害を出した輝は今や世界から警戒されている。


 幼少期の出来事が脳裏を過る。小さな村ではあったが、そこに住んでいた人たち全てが敵に回ったときの恐怖は今でも鮮明に覚えている。


 世界が敵。そんな状況に身を置かれることを想像しただけで指先が震えだした。


 是も非も誰も口に出さない。心では応じるべきだと思っているが、周囲を敵にする可能性も無視できず、ジレンマに陥っていることが傍目にも感じ取れた。


 政治に関して素人ながら夕姫も同じ気持ちを抱いていた。応じたいと思う感情。応じることに対するリスクを回避すべきだと訴える理性。板挟みになって自分の中ですら答えを導き出せない。



「それが何か問題ですか?」



 誰もが結論を出し兼ねている中、凛としたシールの声が通った。声に迷いはなく、ただただ力強い。



「我々は転生体保護機関ティル・ナ・ノーグです。運命に翻弄される転生体が安息を得られ、人々と共存できるように手を差し伸べることが我々の使命。助けを求められたならば是非もありません」


「しかしだな、シール嬢」


「保証があればよろしいですか?」



 右の瞳をシールは手で覆った。



「よせ!」



 シールの仕草を見た瞬間、兼平は血相を変えて叫んだ。他の面々も同じように顔色を変えている。


 理由がわからない夕姫は目を白黒させるしかなかった。



「不都合が起きたとして、どれだけ先のことなのかわからんのだ。そのようなことを知るために右目を使うな」


「もちろんです。ですが必要となれば私は躊躇しません。私は〝破戒予見者〟オラクルなのですから」



 毅然とした態度でシールは兼平から視線を逸らさない。睨み合いにも見える重苦しい沈黙。時間だけが流れ、やがて――



「……わかった」



 兼平が折れた。絞り出された声にシールは右目を覆っていた手を膝の上に戻す。



「良いのかの?」


「構わんよ大峰殿。これを断れば『ティル・ナ・ノーグ』の存在意義に関わることも確かだ。我々にとって外交よりも優先されるべき事柄であることは私もここに属している以上、理解しているし納得している。十代半ばのシール嬢に覚悟を見せられたのだ。総理たる私が腹を括らぬわけにはいくまい」


「然り然り。四半世紀も生きとらん娘っ子に気概で負けるとは儂らも老いたもんじゃのう」


「……私はまだ若いつもりなのだがね。まあ若者から学ぶことが多いのは認めよう」



 髭を撫でながら歯を見せる大峰に兼平は苦笑で返した。



「だが、予想される事態が起こったとき面倒なのは事実だ。いまの段階では水面下で動くべきだろう」


「では休暇を取ってお忍びで『ファブロス・エウケー』に行ってきましょうか。書簡の封蝋は『オフィール』の王族を示すものですし、私がプライベートで『ファブロス・エウケー』を訪れたところで現王とは何も関係ありませんからね」



 滔々とうとうと舌を回すシールに兼平は頭を抱え、一同は顔を見合わせながら仕方なしといった風に苦笑を浮かべたり肩を竦めたりした。



「それは詭弁と言うんだぞ、シール嬢……」


「あら、そんなことはありませんよ」



 疲れたように天井を仰ぐ兼平に近づき、テーブルに置かれていた書簡を拝借する。書簡の内容に目を通し、一つ頷くと神崎に向かってそれを投げた。


 神崎が指を鳴らすと書簡は部屋の真ん中で紅蓮の炎に包まれ、一瞬にして灰になってしまう。



「これで記録に残ることもありません。証拠隠滅完了です」


「証拠隠滅って言ったら駄目だろ」


「おっと、間違えました。読み終わった機密書類を処分しました」



 神崎の指摘に、舌をぺろっとしてシールはおどけてみせた。



「それでは夕姫さん、スケジュールを調整して『ファブロス・エウケー』に旅行といきましょう」


「え?」



 不意のことで間の抜けた声が出てしまった夕姫は慌てて口を閉じたがすでに手遅れ。くすくすとシールに笑われて耳が熱くなる。



「ゼロスとシェアも来ますか?」


「もちろん行くに決まってるぜっ。シェアもそうだろ!?」


「そりゃ行くわよ。アンタみたいなのと一緒にいたらシール様と夕姫が危ないもの。誰かがアンタを見張ってないと」


「そんなこと言って実は俺と離れるのが寂しいんだろー? 安心しろよ。何なら今夜は一緒に寝ても良いんだぞ?」


「遠慮するわ。アンタと一緒に寝たら眠れないもの」



 恋人同士の会話に夕姫の好奇心が刺激される。一緒に寝るって? それで眠れないってなになに?


 平静を装いつつ、内心では興味津々だ。



「アンタいびきうるさいし。寝不足になるから自分の部屋で寝て」



 にべもなく言い放つシェアの言葉に夕姫は好奇の熱が急速に冷えていく。


 ああ、そーゆーこと……。



「それに、アイツには言ってやりたいことがあるわ。行かないわけないじゃない。ねぇ夕姫」


「え、あっ、えっと……」


「言いたいこと、たくさんあるでしょ?」



 思いが溢れる。


 どうしていつも一人で決めてしまうのか。どうしていつも自分を置いていくのか。どうしてあんなことをしたのか。どうして相談してくれないのか。どうして頼ってくれないのか。


 どうして。どうして。どうして。どうして。


 輝に直接言いたいことが泡のように浮かんでは弾けて消える。


 そうだ。言いたいことはたくさんある。いくらでもある。


 輝に会いにいく。輝と話をする。そのために今日まで頑張ってきた。


 行かないという選択肢なんて初めからない。



「はい」


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