血塗れ王の憂慮⑤
シールに呼ばれていた夕姫は指定された場所に来ていた。
場所は『ティル・ナ・ノーグ』本部の事務区画。そこにあるミーティングルーム。
三十平米はあろうかという広い部屋の奥にはホワイトスクリーン。部屋の真ん中には着席した者全員が互いの顔を見ることができるように円形にテーブルが配置されている。
広さに反して室内には六人という少人数。いずれもが理想郷で相当な立場にある
ここに同席している自分が場違いな気がしてひどく落ち着かない。
「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。いまはきちんと耳を傾けてくれればそれでいいですから」
よほどそわそわしていたのだろう。大人びた微笑みを浮かべながら隣に座るシールが声をかけてくれた。年下の女の子に気遣われてしまって無性に恥ずかしい。
落ち着き払ったシールに比べて自分はどうだ。何だかとても情けない気持ちになってしまう。
「神楽嬢。もう少し堂々としたまえ。君は仮にも守護者なのだ。守護者が浮ついては住民たちに示しがつかん」
対面に座る男性から眼鏡越しに鋭い視線を向けられて夕姫はたじろいでしまう。
『ティル・ナ・ノーグ』に入る前から夕姫はこの人物を知っていた。むしろこの都市に住んでいて知らない人の方が少ない。
理想郷『アルカディア』の総理。
淡々とした話口と切れ長の目が冷たい印象を与えるが、住民のことを何よりも真剣に考えていることがわかるため支持者は多い。
『ティル・ナ・ノーグ』の幹部だと聞いたときは驚いた。幹部ということはシールと同じ立場。ならシールは総理と同等の立場だということ。
自分よりも年下の少女が。
「もう、兼平さん。どうしてそういう言い方をするんですか。あと睨むのやめてください。怖いです」
「む、睨んでいるつもりはないのだが」
「そう見えるんです。神楽さんはついこの前までただの一般人だったのですから。そう急くものではありませんよ」
「しかしもう半年が経っているのだ。いい加減、慣れてきてよいものだろう」
「はっはっは! 鈴仙よ。お前さんの基準で比べるのはちと酷というもんじゃ」
シールに庇われて安心半分、情けなさ半分の思いでいると快活な笑い声が割って入ってきた。
和服に身を包んだ初老の男性。顎に蓄えた白い髭を撫でながら面白おかしそうに兼平を見やっている。
豪胆で温かみを感じさせる人物であり、夕姫にとって優しいおじいさんという印象が強い。
「だいたい半年やそこらで慣れるほど守護者というものは軽いもんじゃなかろう。嬢ちゃんは殻を割ったばかりの雛鳥よ。何も知らぬ箱入り娘に自覚を持てというのは酷な話じゃ。まだ嬢ちゃんは外を知らん。のぉ、嬢ちゃん?」
「え、えっと……」
急に水を向けられて答えに窮してしまう。夕姫が困っている姿を見る目はまさに孫を見るような人情を感じさせる目だった。
「あら、夕姫はモテモテね」
肩に手を置かれて頭上から声が降ってくる。見上げると青いポニーテールを揺らす女性と目が合った。
「シェアちゃん」
シェア=ブルーレイズ。『アルカディア』の守護者で兼平と同等に有名人。メディアへの露出も多く、兼ね揃えたルックスと芯の強さからファンも多いと聞く。水の魔術を得意とし、その姿から〝
青い髪もさることながら、水の妖精と呼ばれるのも納得のプロポーション。自分と同い年と聞いたときには割と本気で神を恨んだ。
同じ守護者として気にかけてくれて歳も同じなので仲良くなれた。先輩でもあり友達だ。
友達。嬉しい。
「夕姫ちゃんはこんなに可愛いんだからなっ。そりゃモテるさ。おっさんどもからすりゃなおのことだろ」
そのシェアの隣に立つのは橙色の髪が特徴的な大柄な男性。大峰と同じく快活な笑みだがなんだか軽い。
「あったりまえだろゼロ坊。若いもんがいるってだけで潤うからな。干からびかけのじじいにとっちゃ活力そのものよ」
大峰にゼロ坊と呼ばれた男性の名前はゼロス=ガイラン。
シェアと同じく彼も『アルカディア』では有名な守護者。〝
鋼の如き強靭な肉体は打たれ強く、鈍重ながら重い一撃はあらゆるものを粉砕する。
大地を統べる皇帝の名に恥じない力を持った重戦士。
彼の力強さに憧れる男性は多いらしい。
「けどむさ苦しいおっさんども相手は大変だろ。どう夕姫ちゃん、ミーティング終わったら一緒にお茶いかない?」
そして女好きでも有名だ。二十二歳の遊びたい盛りであるのはわかるけれどもこの軽さは正直なところ苦手だったりする。
「アンタ、よくあたしの前で他の女の子口説けるわね」
諦観の強いため息をつきながらシェアはジロリとゼロスと睨みつけた。
「そりゃあ、可愛い子がいたら口説かないほうが失礼ってもんだろ」
何を当たり前のことを、とでも言うようにゼロスはそんなことを宣う。
ああ、テレビで見た印象そのまんまだこの人。
「なんだシェア嬢ちゃん、妬いとるのか? まあ飴ちゃんやるから機嫌直せ、な?」
「な? じゃないわよ。お菓子でご機嫌取りって、まるっきり子供あつかいじゃない」
「なんじゃ、いらんのか」
「いる」
寄越せ、とシェアが手を伸ばすと大峰は袖口から取り出したキャンディを投げ渡した。
夕姫にも同じものが投げ渡された。慌ててキャッチ。
「あ、ありがとうございます」
なんのなんのと大峰は笑った。口に運んでいいものか考えているとシェアは気にした様子もなく舌で飴玉を転がしている。
倣って夕姫はいそいそと包み紙を広げて口に放り込んだ。いちご味。おいしい。
「妬いてくれるのは嬉しいけど、そんなに心配するな。俺が愛してるのはお前だけだぜ、シェア」
しかめっ面で飴を転がすシェアの背に立ち、ゼロスは聞いている方が恥ずかしくなる台詞を彼女の耳元に囁いた。
豊満な胸をわっしと掴みながら。
「ぐっほぉうっ!?」
裏拳がゼロスの顔面にめり込んだ。
「セクハラ、しながら、言っても、説得力、ない、のよっ!」
顔を抑えてのたうち回るゼロスに、シェアは薙刀の柄頭でガスガスと殴りつける。一切の容赦がない。
(うっわぁ……ああいう男に捕まっちゃダメだからね、夕姫)
「……うん」
げんなりとしたウォルシィラの忠告。
悪い人ではないんだろうけど、でも隙を見せないようにしようと心に決める夕姫だった。
「ほらお前ら。カップルでいちゃつくのはミーティングが終わってからにしろ」
ずっとタバコを燻らせて黙っていた神崎が仲裁(?)に入ると、シェアはトドメと言わんばかりの一撃を最後に叩きつけて鼻息荒く席についた。
しこたま殴られたゼロスはビクンビクン痙攣している。
血が流れている気がするけど大丈夫? これもう事件じゃない? 神崎さんお医者さんだよね? 診てあげなくていいの?
「さて、では定刻になった。会議を始めよう」
何事もなかったかのように兼平はミーティングを取り仕切り始めた。
誰も今の事件を気にした様子はない。
――シェアちゃんとゼロスさんって付き合ってたんだなぁ。
そんなことを考えながら、夕姫も事件から目を逸らすことにした。
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