血塗れ王の憂慮③


 数日後、城門前の広場に人々が集められた。その誰もが両手両足を枷で縛られている。数にして三三六人の囚人たちはこれから起こることに不安げな表情を浮かべていた。


 集められた囚人が妙なことをしないように転生体と覚醒体たちが四十人体制で広場を中心に包囲網を形成している。警備の彼ら自身を起点に半径一キロの【対物障壁】アンチマテリアルシールドを展開。囚人の逃げ道を塞ぎ、住民たちが範囲内に入り込まないようにするための措置だ。


 四十の転生体に囲まれて退路までもが塞がれている。いかに囚人の中に転生体が混ざっているとはいえ、十に満たない数では活路など見出せはしないだろう。


 王城を背にする王の両隣にはアルフェリカとレイが控えている。万が一、彼を狙う刺客が現れた時に即応できるよう神名の刻印を浮かび上がらせて。


 ティアノラやイリスの姿はない。王城内を含めて広場から一キロの範囲に人間はいない。


 人間は、ここにいる囚人のみ。


 雲海漂う空には広場の光景が光の神の力で映し出されている。



「お前たちには今日この場で死罪を言い渡す。理由は、言わなくてもわかるな?」



 前置きもなく、輝は囚人たちに死刑を宣告した。


 囚人たちはもちろんのこと、警備にあたっていた転生体たち。そして空に投影された映像を見ている住民たちもざわめいた。



「何を驚く? 転生体への障害暴行。住民の奴隷化。神の力を用いた障害致傷。暴動の扇動。王の暗殺未遂。国家転覆の計画および準備――すべて法に明記して知らせているだろう」



 どれもこれも『ファブロス・エウケー』において見過ごすことのできない重罪だ。



「俺が新しく敷いたルール……知らなかったとは言わせない」



 眇められた輝の目に、集められた罪人たちは気圧された。



「怪我人が出ていたとしても、個人の喧嘩程度なら国が介入することでもない。だがお前たちの行いは明らかに行き過ぎていた」


「ど、どの口でほざくか!」



 顔を真っ赤に憤怒の形相で囚人の一人が怒鳴った。髪はぼさぼさで髭も伸びっぱなしで見るも見窄らしい有り様だが、暴動を煽動した貴族の一人であることがすぐにわかった。



「奴隷どもを煽動し、王を殺したのは貴様だろうが! 『オフィール』を戦禍に叩き落とした張本人が綺麗事を吐かすな! 貴様はただの略奪者であろう!」


「それは事実だし否定する気もない。で、それがどうかしたのか?」


「なっ!?」



 輝の問いに貴族の男は鼻白む。



「俺がまず一番に救うと決めたのは奴隷だった転生体や人間たちだ。彼らを苦しめ、甘い汁を啜っていた人間は二の次だ。無関係な人間を巻き込んでしまったことは申し訳なく思っているが、それはお前たちに頭を下げることでもない」


「それが、仮にも王を名乗る者の言葉か! 王とは全ての民草を慈しみ、国の行く末を憂う者を指す言葉だ。自分に味方する者だけを優遇するなど王の振る舞いではない! 貴様は王の器ではないのだ!」



 輝を指差し、唾を飛ばしてまくし立てる貴族の男。息継ぐ間もなく舌を回したせいで呼吸を荒く肩を上下させている。


 唖然とした。まさか貴族がそのようなことを考えているとは思わなかった。


 故に輝は大きな溜息をついた。


 深く、長く。


 落胆の息を。


 蒼眼が殺意すら灯らせた光を放つ。



「全ての民草を慈しむ? 自分の味方だけ優遇するのは王ではない? ふざけてるのか?」



 輝の視線に射抜かれた貴族の男はたったそれだけで何も言えなくなった。



「民草から血税を絞り上げ、王政や『王室警備隊』に意見しようものなら拘束され、奴隷は鉱山で消耗品のように扱われ、転生体は首輪によって自身の命さえも握られる。それにより贅の限りを尽くしていたのはお前のような一部の者だけ。今日を生きるにも必死な子供がすぐ近くにいることを知っていながら、お前たちはそれを嘆くのではなく嗤って痛めつけていた。それがお前たちが望む王ということか?」


「そ、それは……」


「上っ面だけの正義を語るな。お前の言葉はお前の欲を起源としていることがよく伝わってくる。今までの生活が捨てられなくて、それを取り戻そうとしているだけだということが透けて見える。弱者の生き血はそんなにも美味かったか? 弱者の嘆きはそんなにも心地良かったか?」



 答えなど求めていない。輝は断定的に言葉を紡ぐ。



「自分の正義を持たない、己の欲望だけで突き動く者がもっともらしいことを口にするな。お前が否定した王こそが、いままで『オフィール』を支配していた王だ。俺はそんなものは認めない。そんなものは魔獣と変わらない。無色の願いファブロス・エウケーに、そんなものは必要ない」



 輝が貴族の男を見る目はとても人間を見る目ではなかった。嫌悪と忌避感を含んだ害虫を見る冷たい視線。


 貴族街をうろつく薄汚い子供に自分たちが向けていた目と同じであるということに貴族の男は気がついた。気がついてしまった。


 そして自分たちがその虫けらに何をしたか。何をしていたか。



「今の王は俺だ。俺がこの都市を創り直す。転生体の居場所を創り、転生体と人間が手を取り合える場所にする。そのためのルールは俺が決める」



 輝が一歩前に出る。



「ひぃ、た、たすけてくれぇ!」「いやだ、いやだぁぁ!」「あああああっ!?」



 その一歩の意味を理解した囚人たちは半狂乱に陥った。蜘蛛の子を散らすように逃げ出そうとする。


 逃がすつもりはない。



我が幻想はルール・現実を侵すディファイン



 紡がれた言霊は黒神輝を殺すモノ。〝神殺し〟ブラックゴッドを蘇らせる呪詛。


 リィン。


 風鈴を連想させる清涼な音が響き渡った。その清涼さとは裏腹に世界に浸透するのは命を奪う黒の波動。大いなる蒼穹と母なる大地が死の恐怖に脈を打つ。


 逃げ惑う囚人たちはその波動を一身に浴びた。


 それが意味することはただ一つ。


 悲鳴が断末魔に変わった。身体が末端から七色の粒子となって崩れていき、形を失っていく囚人たち。地を蹴る足を、何かを掴む手を失くして石畳の上で叫喚する。人間だけはなく、鳥も、虫も、草花も、全ての生命を根こそぎ崩していく。


 叫びの数だけ極彩色に塗りつぶされる景色。逃げ場などどこにもない。


 何も知らなければ美しいとさえ感じるだろう。だがこの幻想的な光景が命によって創り出されたものだと知ってしまえば、感じるのは忌避感ばかり。


 非道だろうか。冷徹だろうか。血も涙もないと責めるだろうか。


 この時に限り、輝はそうは思わなかった。


 どれだけの者を苦しめてきた。どれだけの命を喰い物にしてきた。他者を苦しめ、痛めつけ、弱者の嘆きを嘲笑ってきた者の嘆願が聞き届けられるなどと思うな。


 苦しまずに死ねるということが慈悲であると思え。



「恨み憎み嘆き怒りて、慟哭と共に吠え狂え――」



 眼前に黒い魔法陣が現れた。


 生きているかのように生々しい雰囲気を漂わせるそれは、滞空する魔力素マナを貪欲に飲み込んでいく。命などただの供物、喰らい血肉とするための糧でしかないとでも告げるかのように。


 見る者すべてがそう思わずにいられない冒涜的な光景に、しかし誰もが目を逸らすことができない。


 生命を喰らった魔法陣はその在り方を変質させて、この物資世界に顕現する。


 さあ泣き叫べうたえ、愚者どもよ。己が鮮血の洗礼を受け、悍ましき地獄へ旅立つがいい。


 さあ乱れ狂えおどれ、死者どもよ。朽ち果てた骨を鳴らし、皆で新たな同朋どうほうを祝うがいい。


 さあ生を喜べわらえ、生者どもよ。先立つ者を踏みにじり、歓喜にその身を震わすがいい。


 は大罪の君。永久とこしえ深淵しんえんに咲く漆黒の徒花あだばな。人間の皮を被る無情の死神。



「――【鬼哭啾々】スリノスラルウァ



 命を糧に生み出されたのは一つの装飾銃。血のような赤と濁りきった黒を基調とした組み合わせは本能的に忌避感を覚えさせる。


 傷つけられた恨みを。奪われた憎しみを。絶望した嘆きを。虐げられた怒りを。攪拌され、煮詰められ、凝縮され、どろどろになった黒の想いは悪鬼羅刹ですらも涙を流すに足りる。



「あ、ああっ……」



 命を食らう光景に腰を抜かしているのは転生体の囚人が六人。


 神の力を宿す存在に〝神殺し〟の力は通じない。〝神殺し〟の力は神には通じない。効果範囲も半径一キロ程度。


 馬鹿げている。神と対峙するための力が、何故こうも半端なのだ。


 それでもこの手にあるのは『神葬霊具』。紛れもなく神を殺すことができる術式兵装。


 腰を抜かして動けずにいる一人の転生体に銃口を向けた。



「い、いやだ。助けてくれっ。もうしない! もう力を使ったりしないから!」



 銃口を向けた転生体が涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら命を乞う。


 生まれた時から奴隷として扱われて虐げられてきた。人間に恨みを持つのもその背景を思えばいた仕方ないことだとは思う。


 しかし――



「駄目だ。お前は住民を殺している。ただ肩がぶつかったという理由だけで。しかもその巻き添えで関係のない者が三人も命を落とした」


「そ、それは……オレの中にいる神に唆されて……悪かったって思ってる! 反省だってしてる! もう二度と力は使わない! あいつの言葉にも耳を貸したりしない!」


「駄目だ」



 転生体は強大な力を持つ。それを制御できないのであれば、たとえその者に情状酌量の余地があろうとも許容することはできない。


 人間を簡単に殺せる力には、それを正しく使う意志が求められる。


 ここにいる転生体はそれができなかった者たちだ。


 鬼の咆哮を思わせる銃声が響いた。



「……え?」



 己の身に何が起こったのか理解できず、転生体から間の抜けた声が漏れ出た。


 首から上と胴から下が泣き別れ、どちゃりと地面に落ちる。弾丸が穿った胸部だけがどこにもない。肉片どころか血の一滴さえも。


 喰われたのだ。怨嗟が込められた弾丸が標的を喰い千切り飲み込んだ。それ故に肉片も残さずに消失した。


 そのことを理解する時間を輝が残りの五人に与えることはなかった。


 立て続けに五発。腕、肩、背中、足、腹。事前の報告により把握していた神名の核がある部位に弾丸を撃ち込んでいく。


 己の肉体ごと神名を喰い千切られた転生体は例外なく絶命した。たとえ人間にとって致命傷にならない傷だとしても、そこに神名の核があれば転生体には致命傷となる。


 重苦しい空気が都市全体に広がった。処刑劇を目にした誰もが〝神殺し〟に戦慄した。


 すべての者が同じ認識を持った。


 すべての者が同じ感情を抱いた。


 ――アレに、逆らってはいけない。



「俺に恨みを持つ者は多いだろう。俺を許せない者は大勢いるだろう。だからこそ誹謗、非難、糾弾、不満はいくらでも受け入れよう。だが法を犯し、安寧を乱そうとする者がいれば容赦はしない。この都市を『オフィール』に戻そうとする者は断じて許さない」



 それを企てようとするのなら死で贖ってもらう。


 黒神輝の言外の言葉に誰も反論することができない。


 輝を慕う者も、嫌悪する者も。


 この公開処刑を目の当たりにした誰もが口を閉ざす。


 三百を超える命を奪ったにもかかわらず、天空に映し出される輝は顔色一つ変えない。


 『ファブロス・エウケー』の住民の目には黒神輝の姿が死神に映った。

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