血塗れ王の憂慮②


 金や銀であつらえられた調度品がいくつも並べられている一室にて、現王の黒神輝は大量の書類仕事に忙殺されていた。


 窓の縁やドアノブ、ランプの取手など細かいところまで高価な貴金属で装飾されている品々は元いた主の権威を誇示するためだろうか。必要以上に輝くそれらは目の保養ではなく毒にしかならない。


 王の執務室。執務を行うには無用なものが多すぎる。連日、書類を読むことで酷使していた目には辛い。


 売却してその資金を復興や民に還元してしまおう。


 輝は目頭を揉み解しながらそんなことを考えた。


 不意にノックの音。それが処理しなければならない追加書類の合図だとすでに学習している輝はつい漏れそうになるため息をぐっと堪えた。



「入ってくれ」


「失礼します。黒神さん」



 入ってきたのは髪も肌も衣服も白一色の少女。輝の秘書を務めているレイは秘書らしく新しい仕事をその両手に抱えてやってきた。



「お疲れのところ申し訳ありません。復興の進行状況とこれからのスケジュールをまとめた報告書を持ってきました。復興に使う追加資材の見積もりもありますので、こちらは今日明日中に目を通して頂いてよろしいでしょうか」


「わかった。今晩にでも見ておく」


「それと、こちらが頼まれていた調査結果をまとめた資料になります」



 輝が頼んでいたのは住民が今の生活にどのような不満を持っているのかという調査だった。転生体に居場所を作ると言っても、都市に住まう人々を蔑ろにするわけにはいかない。


 可能な限りみんなが幸福でいられるように。誰かを優遇することも冷遇することもないように。平等ではなく公平に。


 実現させるには住民の声が必要不可欠だ。



「助かる。ざっとどんな感じだった?」


「感謝を述べる声が多いように感じます。元奴隷の方々の劣悪な生活環境は以前に比べれば改善されていますし、職に就けたことで衣食住の心配がなくなったことが大きな要因でしょう。ですがやはり要望も上がってきてます。一番多かったのは読み書きを教えてくれる場所を作って欲しいというものでした」


「要は学校を作ってくれっていうことか」



 知識を身につければ将来の選択肢も増えることになる。今まで使い捨ての労働力として使われてきた者たちがそれを望むのもわからなくはない。


 国としても識者が増えることは歓迎すべきことだ。



「いま進めている法整備がもう少し落ち着いたら検討するか。他の要望も見ておくよ。それで――」



 手渡された書類を脇に置いて輝はレイを見上げた。彼女の手にはまだ書類が残っている。



「そっちの書類も見せてもらえるか?」


「いえ、これはまだ資料としてまとまっていませんから。後日改めてお渡しします」



 アルフェリカでなくても嘘だとわかる。作りかけならわざわざ持ってくる必要はない。



「レイ」


「……はい」



 低い声で呼ばれるとレイは手元に残していた書類を差し出した。


 レイの報告は元奴隷たちのものだけだった。


 ならば他の者たちの意見は? となるのが当然の流れである。


 手渡された報告書を読み込んでいく。書かれていることはおおよそ想定どおり。


 家族や友、家や財産を失った者の恨みや嘆き。手足を失って仕事ができなくなった者の苦しみ。決して裕福ではなかったものの穏やかな生活を奪われた者たちの怒りの声。


 他には転生体が都市を歩き回っていることが怖いという声。窃盗や暴行という治安改善を求める声などもある。


 黒神輝は王に相応しくない。その行いは侵略者のそれである、という批判の声も。


 これはほんの一部の声。住民の全ての声を聞いたら、彼らが抱えている感情はこんなものではないだろう。



「し、しかし好意的な意見もありますよ。ほら」



 無言のまま書類に目を落とす輝を見て何を思ったのか、レイが慌てるように書類の一文を指差す。



「重税がなくなり苦しかった生活に余裕ができたとのことです。他にも『王室警備隊』に怯えなくて済むようになったとの声もあります。黒神さんの政策に感謝する方々も確かにいらっしゃるんですよ」


「それについては今までが酷かっただけだよ」



 そう。今までがあまりにも酷かった。一部の者だけが優遇され、力無き者たちが一方的に搾取される仕組み。


 故に悪法の排除を初めに行ったのだ。


 奴隷制度の撤廃。税率の見直し。転生体・覚醒体の兵役義務。神の力による傷害や器物損壊に対する厳罰化。転生体であることを理由にした排斥行為の厳罰化。さらには奴隷だった者たちへの働き口の提供。都市に住まう転生体と人間双方の安全と一定の生活水準の保証。


 初期段階でこれらの施策を行ったことで住民たちの不満が爆発することはなかった。デモが起こることは頻繁にあるが、それでも大きな混乱は今のところ起こっていない。


 他の法は前王政をベースにしている。細かい調整は臣下に命じて改善案を出させており、輝は提案された政策の承認作業に追われる日々が続いた。


 その甲斐あって大体の悪法は排除でき、住民の負担もかなり減らすことができた。


 好意的な意見はその恩恵を得ることができた人間たちのものだろう。


 ともあれ。



「不満や恨み言を堂々と口にできるようになった。悪い傾向じゃないのは確かだ」



 前王政でそんなことをしようものなら適当な罪状を突きつけられて処罰されていただろう。それがなくなったことによる効果だと考えれば、何も悪いことではない。



「あとは元貴族たちか」



 先日あの首輪で転生体を奴隷化しようする者が現れた。一体どこから手に入れてきたのか、入手経路は未だ特定できていない。


 当然、発覚した時点で牢獄行きである。財産は押収し、それらは孤児院の経営や都市の復興資金に回されている。


 他にも良からぬことを企む貴族がいると予想されたため『鋼の戦乙女』アイゼンリッターに調べさせたところ、貴族たちがクーデターを計画しているという情報が舞い込んできた。


 その方法が政治的手腕に訴えたものであるならばまだ良かったのだが、あろうことにならず者同然の狩人を戦力とした武力による企てだった。


 武力行使について自分が批判するのはおこがましいが、せっかく落ち着きを取り戻し始めた都市を再び混乱の中に陥れるのは看過できない。


 疑いのある人物にアルフェリカを接触させ、彼女の能力で計画を暴くことにした。


 彼女が尋問を重ねると次々と証拠が上がった。その結果、芋蔓式に貴族たちを捕らえることになってしまった。


 その数が想定以上だったため、牢獄には実際に罪を犯した者よりも貴族の方がずっと多い。


 その貴族の財産はもちろん没収だ。


 ここまで来たらもう徹底的にやるしかない。他国と手を組んで反抗されては事だ。



「そちらはアルフェリカさんが対処してくださっていますので、彼女に任せておけば大丈夫かと思いますが」


「アルフェリカは良くやってくれてるけど、如何せん捕らえなきゃいけない人間の数が多すぎる。他の転生体たちの力もあるとはいえ、これだけ数があると手が回らないだろう」



 アルフェリカに任せれば摘発はこの上なく効率的だが、裏を返せば彼女の力に頼りきっているということだ。


 相当な負担をかけてしまっているはずなのに、アルフェリカは弱音の一つも口に出さない。



「アルフェリカと同様の能力を持っている転生体はまだ見つかっていないんだよな?」


「はい。おそらく法や審判を司る神自体が稀有な存在なようです」


「急を要する案件ではあるが、それでアルフェリカが倒れたら元も子もない。無理しないように最低でも週に一日は休むように言ってくれ」


「承知しました」



 アルフェリカの負担を減らすために別の方法も考えておこう。



「それに関連して、牢の数も不足し始めているのではありませんか?」


「ああ、それもあるな」



 前王政では罪を犯した者はすぐさま処刑されていた。生かして捕らえておく必要がなかったため囚人を収容しておける施設が驚くほど少ない。


 倒壊した施設もあり現在『ファブロス・エウケー』で稼働できる収容施設は全部で十二。収容可能な人数は千人弱。収容している人数はすでに千人に届こうとしている。


 これ以上増えれば捕縛しておくことができなくなってしまう。



「さて、どうするか。収容施設を増やすか?」



 土や鉄を司る神の転生体が数人いる。ライフラインなどのインフラはともかく、彼らに頼めば建物自体は数日で建てられるだろう。



「しかし土地がありません」



 顎に指を当ててレイも一緒に考えてくれていた。


 そう。建てようにもこの都市にはもう土地がない。以前、奴隷たちが生活していた場所は環境を改善して彼らの住居としている。死体が投棄されていた場所は――思い出したくもないが――病原菌の温床となっていたため浄化作業中だ。遊んでいた土地も復興資材や災害ゴミの置き場として埋まっている。


 候補がもうないのだ。


 かといって放置して良い問題ではない。残った元貴族の中にはクーデターを企てる者もいる。可能な限り迅速に解決策を実行しなければならない。



「増やせないなら減らすしかないな」


「捕らえる人数をですか? 主犯格だけを罪に問えばそれも可能だと思いますが」


「いいや」



 輝は首を横に振る。それでは捕縛を逃れた者が計画を引き継ぐだけだ。



「牢獄にいる人間を、だ」

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