【予告】新作『眼差しの向こう側』

 深夜、何の気もなしにテレビの電源を入れると、画面に武満徹が映った。生前の武満を見るのは初めてだった。私はあまりテレビを見ない人間だが、このときはチャンネルを変えずに視聴を続けた。

 番組はNHKの「日曜美術館」だった。その日は日曜日ではなかったが、三十年近く前に撮影されたものを再放送していて、武満はフランスの画家、オディロン・ルドン特集にゲストとして呼ばれていたようだった。

 武満の口からルドンの魅力について語られる。前期の暗い画風から後期の色彩豊かな画風へ。武満はルドンの人生と照応させつつ、画風の変遷と画家の心境を慎重に、しかし確かな語り口で述べた。私は、音楽家の縦長で思慮深そうな面持ちに画家への愛を感じ取った。稀代の音楽家は心底、ルドンが好きだったのだろう。

 番組の後半、ルドンの代表作「閉じた眼」に焦点が当てられた。アナウンサーはルドンが交響曲の画家と呼ばれていることを踏まえ、「交響曲を作曲する上でルドンの絵にインスピレーションを受けるか」という趣旨の質問をした。明け透けなアナロジーに、武満は苦笑いした。彼は交響曲についての回答は濁したが、おおよそ次のようなことを言った。

「『閉じた眼』と聞くと、音楽家としては『開かれた耳』という言葉がどうしても浮かんでくるわけです」

 この言葉には、武満の思考の一端が伺えた。自然な対比でもって生まれた「開かれた耳」という着想は、ルドンへ捧げるに相応しい創作だった。一九七九年、武満は実際に「閉じた眼──瀧口修造の追憶に──」という題でピアノ独奏曲を発表している。高音部に配置された和音が特徴的なこの曲は、聴者に内省を促す響きを持つ。それはルドンの絵を鑑賞したときの体験と相似していた。無論、武満の「閉じた眼」は友人であった瀧口修造の死へ捧げられたものであったが、ルドンへの敬意も含まれていたといっても過言ではないだろう。

 私はすでにテレビの電源を落としていた。真っ黒な画面の前で、そっと眼を閉じる。思えばルドンは「眼」に重きを置いた画家だった。私は自分自身に問いかけた。武満がルドンの「閉じた眼」に触発されたように、私もルドンから創作の種を贈られているのではないか、と。瞼の裏にルドンの絵で一番好きな作品が浮かぶ。想像のルドンは実物以上に鮮明な色彩を放っていた。私は私が思っていた以上に、ルドンが好きなのもかもしれないと思った夜だった。

 というわけで、新作小説『眼差しの向こう側』を明日発表する。時刻は未定だが、日をまたぐことはない。

 全部で一万字程度の短編なので、すぐに読み通せると思う。是非、読んでみていただければ幸いである。


 

 

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