第二回遼遠小説大賞に参加した感想
先日、辰井圭斗氏が主催する第二回遼遠小説大賞の応募が締め切られた。これから主催ほか三名の評議員によって講評及び審査が行われる。講評と大賞の結果は後日発表されるとのこと。
https://note.com/tatsuinoradio/n/n378a561915cf
応募は30作に及んだ。相場は分からないが大変な盛況ぶりである。私も七月に脱稿した『周回遅れのタイムトラベラー』で本企画に参加している。
小説を書き始めてから四年目に突入したわけだが、いまだ文学賞というものに応募をしたことがなかった。興味がないし、プロになる気もさらさらない。書きたいから書く、ただそれだけのモチベーションでここまできた。四年も経ってまだ四作しか書けていない現状には嫌気が差すが、今回ばかりはこの遼遠小説に参加したくて必死に筆を速めた。
遼遠小説には、文字数制限のほか裏テーマというものが存在する。応募要項によると、それは「遠く」であるという。物理的な距離ではなく、小説の可能性を遼か遠くへ広げる、そんな作品を求めているのである。
応募要項が公開された五月から二ヶ月ほどで書き上げたわけなのだが、その間もこの「遠く」について考え続けた。観念が頭の中をぐるぐる飛翔し、それが何であるかを思索した。しかし、結局は自分の書きたいことを書いただけだった。100パーセント趣味で書いているのだから仕方ない。今作がどこまで遠くへ行けたのかは評議員の方々に判断してもらうことにする。
他の応募作について、まだ一部しか読んでいないが全作読むつもりである。余裕があれば、講評が出た後に各作品の感想も書いていきたい。もっとも私は本を読むのが大の苦手で、本当にすべて読み終えられるのか心配である。生まれつき注意散漫で、面白いと感じてもすぐに億劫になってしまう。次第に目が滑って、脳内から音楽が流れるともうおしまい。本を投げ出している始末である。
最近の小説も全然読んでいない。前に芥川賞を取った小説とやらを読んでみたが、まったく面白くなくてやめた。インターネットではとっくに陳腐になったものを、さも最新のトレンドかのように繰り出してくる、あの仕草は一体なんなのだろうか。私にはタイムラインに流れてくるWEB小説の方がよっぽど面白く感じる。
ネット上で「作家になるには1000冊読まないと駄目だ」とか「息を吸うように読書できない人間は作家に向いていない」といった言説を目にするたびに、プロを目指す人は大変だな、と他人事のように眺めている。強迫感情で本を読むなんて、馬鹿馬鹿しくて私にはとてもできない。「お前みたいな怠け者は彼らの爪の垢を煎じて飲め」と思われるかもしれないが、できないものはできないのである。
それでも30作品が同じ卓に並べられて、どのように相対化されるのかは気になるので、各作品を読んで自分なりの感想を持っておこうと思う。言語化は嫌いなので短文になるが、カクヨムにアップする予定である。
書き終えた作品なので、もう私自身興味を無くしているが、今作が読者の心に吹く風となれば良いと思っている。それがどんな風で、どこから来た風なのかは分からなくていい。風が吹いたことさえ忘れられて、後には何も残らなくても構わない。ただ、心の平野に一陣の風を吹かせることができたらと願っている。
長々と書いてしまった。中断していた長編の執筆を再開しないといけないので、この辺で終わりとする。
エッセイスムス 楠木次郎 @Jiro_2020
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