【予告】新作『周回遅れのタイムトラベラー』
「バッハを上手くなるためには、メトロノームを使わないと駄目」
友人との与太話だったのか、音楽番組でのインタビューだったのか、発信源を忘れてしまったが、このような言説を耳にしたことがあった。言葉の真偽はともかく、興味深い話ではある。
まずバッハの時代にメトロノームは存在しない。メトロノームはオランダのヴィンケルが発明し、ベートーヴェンとも親交があったメルツェルが広めた。これが十九世紀の初頭である。無論、バッハはバロック期の人間なので、とうの昔に死去している。
そして、バッハはテンポ指示をほとんどしていない。当時の演奏は即興であり、必要な部分だけ指示して、後は演奏者が自由に設定した。もっとも即興演奏にもプロトコルがあり、演奏者は楽譜をよく読めば、「速いテンポ」「遅いテンポ」を認識できたはずであるが。いずれにせよ、明確に決められたテンポというものが、バッハにはない。
そんなバッハの音楽を練習するのに、メトロノームが不可欠だというのは音楽史的に考えれば、転倒した話ではあるが、実際『インヴェンション』なんかは左手で旋律を奏でる必要があり、上手く弾けない子には、メトロノームを使って余裕が持てるテンポで弾くという練習方法があるらしい。
上達のためのプロセスは人それぞれであるが、稀にメトロノーム絶対主義者の意見を目にすると、近代科学の傲慢さ──蝶を理解するのに、宙に舞う蝶の羽を奪い、釘を刺して標本にするかのごとき非本質的行為──を感じずにはいられない。バッハの想定したテンポというものがどのようなものであるかは想像の域にあるが、そのような想像に時間を割くことも、時には必要なのかもしれない。
というわけで、新作小説『周回遅れのタイムトラベラー』を明日の昼12時にアップする予定である。
今作は、辰井圭斗氏主催の「第二回遼遠小説大賞」に応募する。応募作すべてに講評がつくそうで、文学賞に応募したことがない身としては非常に楽しみである。
文字数は2万字と短編小説であるので、読者諸君にも読んでいただければ幸いに思う。
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