第5話
懐かしい、そして忌々しい実家が見えてくる。電車の中で寝て、しかも変な夢まで見たのだから、明らかに睡眠不足だった。東の空に見える太陽のせいで、頭がくらくらする。何十年もの間その場所に閉じ込められた引き戸を開けると、母の声が響いた。
「将人?将人なの?」
「ああ、ただいま。」
「居間に来てちょうだい。すぐに話をするわ。」
俺は母に従った。
「今日は眠れた?」
「いいや、まったく。おかしな夢を見たせいだ。」
「そう、大学のほうは大丈夫?元気にやってる?」
「俺だってもう二十歳なんだから、母さんに心配されるほど弱くないよ。」
「そう、それならいいんだけど。」
「ここに呼びつけたのは理由があるんだろ。」
「ええ、じゃあ本題に入ろうかしら。少し待っててね。」
母は席を外した。重い腰を持ち上げ、そして、早くも足腰は弱り始めている。立ち上がる瞬間にこぼれた「よいしょ」という台詞を、俺は聞き漏らさなかった。
彼女は一杯の水を木の枝をもって戻ってきた。
「将人、これから、音羽集落に伝わる儀式をします。本来なら二十三になるまで待たなきゃいけないんだけど、宮司さんに神様へ伝えてもらうよう頼んで、今日できるようにしたから。ここに住んでいる者の一部は、儀式をすると、人柱になるのよ。」
人柱。それは神と人間の間を取り持つ存在である。人間は元来悪であり、その社会に倫理は存在しない。たとえて言うなら、殺人は悪だという概念がないのである。しかし、人柱を生贄として神にささげることで、人間は神に赦され、倫理を持つことが出来る。
母は将人に水をかけた。枝に白い陶器に入れた水を含ませ、将人の頭にかける。
「神よ、ああ神よ、人間を赦したまえ。」彼女は連呼した。
人間は七歳までは神の子である。音羽集落に代々伝わる言い伝え。八歳になる年の正月、将人は祖母からその話を聞いた。十九になる年の正月、女子は儀式を受けて、神への使いになる。男はいづれも、彼女たちを送り出さなければならない。そのためには、女子と同じように儀式を執り行い、巫女を天に送る人間を代表してあいさつしなければならない。それがお前の役割だ。
この集落も人が減って、その役割を担える者はお前しかいない。お前は、二十三になったら、儀式をするんだよ。
将来の夢はなんだ?大人はよく子供に聞くが、そんなことは関係ない。
必ず、お前はこの村に生きなければならないのだよ。
祖母、つまり巫女は、将人が中三の時、心筋梗塞で亡くなった。以来、将人は、女子は巫女になるなど、アホ臭いと思っていた。この世で、普通に人間として生きて死んでいったお婆ちゃんが、神の使いなんかであるはずがない、と。
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