閑話(7)


 世間的に言う春の大型連休が終わると、慌ただしかった日常は意味を変えて、忙しない毎日が戻ってきているようだ。

 一向に止める気にならないタバコをふかしながら、目の前に座る彼女のことを見下ろした。

 薄っぺらい三枚の便箋に視線を落としているソレは、いつになく真剣な表情そのものだ。

 久々だ。この感覚。ブルブルと体が痺れて、震えていきながらも、心の中を覗かれる羞恥に耐えるためタバコの煙を肺の中に入れる。


「驚いた」


 カウンターに座っている宮夏菜子は呟く。手元に置いているホットコーヒーはもう冷たくなっている。せっかく淹れてあげたのにな。

 彼女のリアクションは実に想像していた通りだった。これまでの僕を知っているからこその反応。候補の詞を三作も書き上げてしまったからだ。


「サプライズってヤツかな」

「ええ。本当そう思います」

「……やめてくれよ。むず痒い」


 冗談のつもりで言っただけなのに、彼女は僕の言葉を鵜呑みにした。嫌味の一つぐらい言い返すくせに、やけに素直な宮夏菜子は少し気色悪くすらあった。

 あっという間に根元まで吸ったタバコを灰皿に押し付ける。オープン前に来てもらっているから、客が入ってくる心配はない。それだけ彼女も集中して言葉の世界に入り込んでいるように見えた。


「ノイローゼっていうのは何だったのでしょう」


 悪戯っぽく笑う彼女を見ていると、初めて会った時のことを思い出した。

 それこそ、僕がノイローゼだった頃。彼女がまだ高校を卒業したばかりの記憶。あの時より幾分か老けた君だが、今は若々しく映る。髪の色は少し落ち着かせた方が若い男は食いつくぞと教えてやりたい。


「彼女のおかげさ」

「そうね。やっぱりミーナちゃんはすごいわ」


 宮夏菜子は電子タバコを咥え、やがて匂いの薄い煙を吐き出す。紙タバコをやめられない僕にとって、それは人畜無害の水蒸気にしか思えない。

 新木吾朗と山元美依奈。二人のことを陰ながら見守っていたからこそ、筆を取ることができた。彼女に見惚れていたから、心の中を描き出したいと思った。

 裏を返せば、二人のことを見てこなかったら叶わなかっただろう。宮夏菜子にオファーされたところで、無下にするのが目に見えている。

 その時点で、僕は作詞家として終わっているのだ。頭の中にある世界を描き出すことが出来なくて、彼や彼女に感情移入しなきゃ何も書けない。そんな人間の書いた言葉を、彼女が彩ってくれると思うだけで、柄にもなく胸が鳴る。


「一番すごいのはあなた北條輝ですけどね」

「お世辞はいいよ」

「そんなつもりは一切ありません。本気よ」


 気を遣ってるわけじゃないらしい。彼女はそんな面倒なことをするとは思えないし、その厚意は素直に受け取っておくことにした。

 タバコらしい匂いじゃないとは言え、タバコであることには変わりない。胸ポケットから残り少なくなったソレを取り出す。右手でクシャリと潰れてしまいそうなぐらいには少ない。


「レーベルは決まったのかい?」


 自費、いわゆるインディーズでのデビューでは無いと聞いていたから問いかける。彼女の作ったメロディーに僕の詞を載せるわけだが、どうやら苦戦しているようだった。

 だからだろう。僕に「詞を見せてくれ」と言ってきたのは。いわゆる「詞先しせん」は随分と久しぶりな気がしたのが本音だ。


「……正直苦戦中」

「そう」


 大手レコード会社になればなるほど、売り出し方が派手になる。その分、契約までのしがらみも多いと聞くが。

 山元美依奈にこだわる彼女のことだ。きっとその路線を狙っているのだろう。ステージで輝かせたいという優しさと望みの間で、それが本当に彼女のためになるのかどうかと悩んでいる。悪いが、僕にはそう思えた。


「――あの子なら大丈夫さ」


 言い出しに戸惑ったのは「知り合いを紹介しようか」と言いそうになったからだ。

 知り合いというのは、とある小さなレコード会社の社長。小さいと言っても、この音楽多様化の時代まで生き抜いているのだ。彼らの知恵は侮れない。

 でもそれは、本当に追い詰められた時までとっておこう。宮夏菜子。君の意地はこんなものではないだろう。あの時誓った言葉を果たすためにも、こんなところで挫けてはダメだ。


「まずは曲を作らないとだけどね」

「分かってますよ」


 レーベルが決まれば、それこそ相談しながら作ることだって出来る。優秀なプロデューサーがいるだけで曲の派手さが変わってくるのだ。

 それが出来ないのは、バックが弱い個人事務所の性である。そのことぐらい分かっているだろうから、あえて言葉にはしなかった。

 ポップでいくのか、バラードでいくのか、はたまたロックでいくのか。彼女ならどの曲調でも歌いこなすだろうが、デビュー曲となれば判断が難しい。だから僕も三作書いた。


「君も恋をすればいい」

「随分と冗談上手くなりましたね」

「本気さ」

「時間が無いの。そんなことする」


 本心だろうが「そんなこと」とは思っていないだろう。現に――山元美依奈は恋をしてより美しくなったのだから。

 彼女の過去に何があったかは知らないが、部類分けするなら美人だ。とっつきにくい雰囲気と見た目をしているせいで、男は警戒する。


「あの子はそれで輝いたじゃないか」

「……まぁ、そうね」

「君だってそうかもしれないだろう?」

「余計なお世話ですよ」


 冷め切ったコーヒーを飲んで、呆れた表情を見せている。便箋はクリアファイルに仕舞われていて、一応大切に持ち帰ってくれるようだ。

 彼女とそんな話をしたせいか、妙に恋愛事情が気になった。知らなくても全然生きていけるんだけど、彼女の生き方は人の興味を惹く。


「大人だって恋ぐらいするだろうに」

「独身の同年代と知り合う機会はないもの」

「若い世代はいくらでもいる」


 タバコの煙越しに彼女の顔がほんの少し緩んだ気がした。吐き出すタイミングを間違えたと後悔しても、僕の興味は消えることはない。

 今の顔は、明らかにそうだ。誰かの顔が頭の中に浮かんだ。僕が名前も知らぬ人間の。

 大人だって恋ぐらいするとは言ったものの、大人だって他人の恋愛事情への関心は高いと痛感する。


「誰の顔が浮かんだの?」

「別に。誰の顔も浮かんでない」

「君も随分と嘘が下手だね」

「うるさい」


 表情を変えないのは流石というべきか。山元美依奈とはまた違った特徴のある大人の女性。

 そんな君を癒してくれるのはどんな男なのだろう。変に妄想するだけで詞が書けそうな気がしてくる。


「そろそろオープンでしょ。私は帰りますので」

「照れ隠しかい?」

「そうですそうです」


 僕の相手をするのが面倒になったらしい。ファイルをカバンの中にしまって立ち上がる。丁寧にコーヒーは全部飲み切っていた。

 そのまま扉の前まで足を進めると、ピタッと立ち止まる。スラリとした背中を僕に向けたまま、君は僅かに呟いてみせた。


「すごく良い詞です。ありがとうございます」


 カランとベルが鳴って店を出て行った。タバコの残り香が風に乗って僕の鼻までやって来る。うん、やっぱり紙タバコの方が好きだな。


「素直じゃないなあ。全く……」


 山元美依奈と同じぐらいにね。



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