4.夜の始まり 鬼の願い
「兄者! 守り袋か? 守り袋を探しているのか?」
「……おばばさま……」
「おばば? おばばがどうした?」
「……ありが……とう……」
意識を混濁しているシナトに、ハヤテは必死に声をかける。
「おばばだって、兄者のことを待ってる。だから、生きろ! 意識をしっかり持てよ!!」
涙がこぼれてくる。それでも、ハヤテは手を動かし、シナトに声をかけ続ける。
「兄者! しっかりしてくれよ。俺のためにも生きてくれ。俺は兄者がいなきゃだめなんだ!!」
鼻水が垂れそうになり、血のついた手でこすった。途端、甘い香りが鼻孔に届く。頭の中がしびれるような感覚が襲う。全身の血がざわざわ沸き立つような感覚が起こる。
―― ??
無意識に、ぺろりと自分の手を舐める。
―― なんなんだ? この甘さ! この抗えない感覚!
ぺろり、ぺろりと自分の手を舐める。
次に襲ってきたのは、喉の奥から湧き上がるひどい乾き。ハヤテは、それを癒そうとたがが外れたようにシナトの血を舐め始めた。頭の中がくらくらして、もっとほしい、もっとほしいと自制がつかなくなり……。
―― 喰いたい……。
頭の中に突如浮かんだ考えに、ハヤテはぎょっとして動きを止めた。大好きな兄者を喰らいたいだなんて、ありえない。でも、喰らいたい。喰えば、兄者は永遠の自分だけのもの。でも……。
「ハ……ヤ……」
シナトのかすれ声さえ、甘い誘惑のような気がしてきた。もう、なにがなんだかわからなくなってきた。思わず、シナトの腕を握る。
―― 嫌だ!
頭の中で、もう一人の自分が咆えた。
―― 喰いたい……。
一度浮かんだ考えは、蠅のように追い払っても追い払っても、ハヤテの頭の中で反響する。
―― 嫌だ!
―― 喰いたい……
―― 嫌だ!!
―― 喰いたい……
―― 嫌だ!!!!!
―― 喰いたい……
「ううわああああああああああああああ」
ハヤテは蒼い月に向かって地面を揺るがすような大声で咆えた。無我夢中で、地面に落ちているシナトの血がついている剣を持つと、ぐさりと自分の腹を刺した。ひどい痛みが全身を襲う。自分の青い血が腹からあふれ、シナトの血と混ざりあう。自分の足元に二人の血でできた血だまりが広がる。
「ううわああああああああああああああ」
ハヤテは月に向かって咆えると、そのまま意識を失った。
「……ハヤテ、ハヤテ」と呼ぶ声がする。ハヤテは頭をふって顔をあげた。そこには婆の姿があった。
「おばば? どうしてここが?」
「ハヤテとシナトの行きそうな場所くらい分かるわい。お前たちは夜叉山が好きだったじゃろ? して、シナトの具合は?」
「まだ、かすかに息がある。おばば、兄者を治してくれ。頼む。この通り」
ハヤテは大きな図体をちいさく折り曲げて、婆に頭を下げた。
「シナトもしょうがない子だね。どうせ、ハヤテの剣に自分から飛び込んだんだろ?」
「うん……」
「それで、ハヤテはどうする?」
「もう、頭の中がぐちゃぐちゃなんだ。兄者の手当てをしていたら、兄者を喰いたいという誘惑が襲ってきて、それで……」
「そうか。お前も鬼だからな。鬼は喰らうものじゃからな」
「嫌だ! 嫌だ! 嫌だ!! おばば、どうにかしてくれよ」
ハヤテは、泣きながら頼んだ。
「そうじゃの…………。昔々の言い伝えなのじゃが、蒼い月へ行くことができる豆の種が世界にはあるそうなんじゃ。スオウとスオウの連れはそれを探して、鬼からも人間からも逃げながら、旅をしておった。……、それでな、わしは、この袋に入っている、この種がそうじゃないかと思うんじゃ」
婆が懐から出したのは、蘇芳の守り袋だった。
「そ、それは……、兄者が人間の女にあげたんじゃ?」
「はあ? なにをとんちきなことを言っておる。これは、この婆に形見だと言って置いていったのさ」
ハヤテは、自分が誤解していたことに気がついた。
「これを鬼の血の中に入れたら、蒼い月に向かってツルがどんどんのびるという話なんじゃ。ただな、そのツルは成長するのも早いが、枯れるのも早いと言われておる。蒼い月まで風のように駆け抜けなくてはいけない」
「大丈夫だ。俺は走るのは早いから」
「シナトは血を流しすぎたから、シナトとわしを抱えて走るのじゃぞ?」
「おばばもかい?」
「ああ。わしももう残されるのは嫌じゃ。お前たちと一緒に蒼い月の世界に行くぞ。準備してきた」
婆がにやりと笑う。よく見れば、胸元に大きな青い芍薬の花が咲いた着物に、浅黄の布の袋を肩からかけていた。
「……、なあ、蒼い月の世界に行ったら、とっさまにはもう会えないのかい?」
「まあな。イナサかシナトか、どちらかしか選べん。鬼もあれこれ欲をかいてはいけない」
「……、俺は兄者を選ぶ! 兄者といれば、どんなことだって乗り越えられる」
ハヤテは、婆から種を受け取ると、自分とシナトの血が混ざっている血だまりにぽとりと落とした。すると、しゅるしゅるしゅるっとツルが伸び始めた。ハヤテは側に青白い顔をして眠っているようなシナトを大事そうに抱きかかえた。婆はハヤテの背中におんぶされる形でしがみついた。
「やはりな。では、行くとするかの」
「ああ。行こう! 兄者、頑張れよ。蒼い月の世界に着いたら、三人で宴会と行こうじゃないか!」
その夜、夜叉山には、強い大風が舞い上がったという。
鬼は屠るもの 鬼は喰らうもの 鬼は……。
おしまい
蒼い月に咆える 一帆 @kazuho21
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