第十三話
「また!?またお金が足りないの!?これで何度目よ!!ちょっと前にも渡したじゃ無い!!何に使ったらこんなにすぐに無くなるのよ!!」
母さんの怒鳴り声が電話越しに響き、すごく耳が痛い。
「何に使ったのか、言いなさい!!」
「あんまり叫ばないでよ、耳が痛いよ」
「叫ぶのも当たり前はじゃない!いい歳して、親にこれだけお金を送ってもらって、何をしてんの!?何で働かないの!?何で親にこんなに迷惑をかけるの!?」
そんな感じの勢いで、母さんに矢継ぎ早にまくしたてられる。今すぐ電話を切ってしまいたいが、もう少し粘ってみる。
「あと一回だけ。あと一回だけだから、チャンスをください。これを最後にします」
「その『あと一回』がいつまで続くのよ!?もう二年ぐらいそんな感じじゃない!聞き飽きたわ!このままだとこの先もずっと続くでしょ!?あなたにお金を渡し続けて、私は本当に老後が心配よ!!あなたのせいで私の生活が出来なくなる!あなたの弟はもう立派に働いて、この前は温泉旅行に連れて行ってくれた。それなのに、あなたは何!?まだ親からお金を持って行くの!?これが最後のチャンス!?あげられるわけないでしょ、この親不孝者!!」
電話を持つ僕の手が震えていた。そんな事を言わないでよ。僕だって、今の自分になりたくてなったわけじゃないんだよ。
どうやらここが限界のようだ。もうこれ以上は無理だ。
「今すぐ荷物をまとめて実家に帰って来なさい!話はそれからよ。今のあなたじゃ、一人で何も出来ないわ」
「うるせえんだよ!!」
僕は思わず怒鳴ってしまった。ああ、ゴメン。人生で初めて母さんに怒鳴った気がする。
一瞬にして静かになった。電話の先も、僕の周りも。
「絶対に、実家には、帰らない」
僕は静かにそう言った。自分でも驚く程冷たい声。しかし、それが分かるぐらいに僕は冷静だった。電話の向こうからは、母さんの息づかいだけが聞こえて来た。しばらく、そのまま時が過ぎる。
「帰らないって……」
沈黙を動かしたのは母さんからだった。
「帰らないって、それじゃあこれからどうするの?もうあなたにお金を送るのは無理よ」
「それはもう分かっているよ」
「じゃあ、もうこっちに戻って来るしかないじゃない。今のあなた一人でまともな人生を送るのは無理よ」
「だから?」
「だから、こっちに帰って来て、私やお父さんと一緒にやり直しましょう。今からならまだ間に合う」
間に合うって何だ?何に間に合うんだ?
「それでどうなるの?」
「ちゃんと就職して、結婚して、子供を作って家族を持って、そうやってあなたに幸せになって欲しいの。孫の顔とか見せてくれると、私は嬉しい」
母さんが語ってくれた僕の人生設計、そのどれにも僕は興味を持てなかった。
「母さん。僕は今の人生が不幸だとは思わない。幸せだとも思わないけどね。でも、母さんの言うその幸せ。僕は少しも良いと思わない。そんな誰かが作ったみたいな綺麗な幸せ、考えただけでイライラする。そんな生活を送っていたら、僕はすぐに気が狂うよ」
まあ、最初から僕は狂っているのかも知れないけれど。
「そんな事を言っても、人ってそういうものなの。そうやって人生を送って幸せになるものなの」
「じゃあ、僕には無理だよ」
僕は電話を切った。
「おいおい、お前どうするつもりだよ。金をもらえないじゃん」
電話を終えると、もやが話しかけて来た。
「もう金は無いぞ。どうするんだ?」
「ははっ!!」
僕は笑った。
そしてもやに思い切り携帯電話を投げつけた。
携帯電話はもやを擦り抜け、ものすごい音を立てて壁にぶつかり、空のウイスキーボトルの山の上に落ちた。ああ、なんだ。まだ少し僕には力が残っていたんだな。
携帯電話が鳴り始めた。
僕はその携帯電話を拾うと、また、もやに向かって全力でぶん投げた。携帯電話はもやをすり抜け、今度はテレビに当たった。このテレビ、最後に見たのはいつだったかな?ぼーっと、そんな風に考えている内に、テレビの画面が割れていく。まあ、もう見ないからいいや。
携帯電話は鳴り続ける。
僕は携帯電話を拾うと、マッチと灰皿と、その辺に落ちていた請求書などの紙くずを持ち、閉じきったままのカーテンを引きちぎるようにして開け、そのままベランダに出た。
灰皿に携帯電話を乗せ、その上に紙くずを乗せる。
そうだ、思い出した。
一度部屋の中に戻り、ライターオイルを持ってベランダに戻って来た。あんまり中身が入っていないようだけれど、十分だろう。
ライターオイルを携帯電話と紙くずにかける。全部かけ終わるとマッチ箱を手に取り、中に入っていたマッチを持てるだけ持った。
大きく深呼吸をする。
大丈夫、僕は冷静だ。
持っているマッチを全部、一気に擦った。
小さな爆発が起こる。僕の手から火の玉が出ているようで、まるで炎を操る魔術師みたいで格好良い。そんなアホな事を考えていた。燃え盛る炎が僕の右手を焼き、痛みが走っても火の玉から手を離さない。もう痛みなんて、どうでも良いんだ。
携帯電話に狙いを定めると、その火の玉を投げつけた。火柱が上がる。僕の顔にまで炎が上がって来て、髪の毛が燃えた。
携帯電話はまだ鳴り続けている。
残りのマッチも全部取り出し、一気に擦った。また、僕の手元で小さな爆発が起こる。でも、もう慣れた。燃えている携帯電話に狙いを定めると、もう一度火の玉を投げつける。焼かれる携帯電話、高く上がる火柱を見て、何とも言えない高揚感が僕をを包む。新しい一歩を踏み出せたような、そんな達成感と共に。
携帯電話の着信音にノイズが入ったり、音程が変わったり、途切れたり。何となく設定をしていた着信音の『喜びの歌』がどんどんと狂っていく。携帯電話が、美しく燃える盛る炎の中で最後の演奏をしてくれている。僕はそれをうっとりとしながら聴いていた。久しぶりに感動した。心が震えるという感覚を思い出した。
突然、『喜びの歌』が途切れる。ラストライブ。終わりはあっけなかった。
携帯電話はその役目を終えて灰になり、マッチや紙くずの中に消えて行く。その様子をぼーっと眺めていた。
気がつくと、携帯電話は黒い塊になっていた。幸い、火事になる事も無く、火災報知器も鳴らなかった。奇跡だろう。
こんな奇跡、いらないけれど。
「はぁ、ちょっと疲れたな」
一息つくと部屋に戻り、ウイスキーのボトルを手に取る。もうコップに入れて飲むのも面倒臭い。ボトルのふたを開けると、直接ボトルに口をつけて飲み始めた。四十度近いアルコール度数のウイスキーを水みたいにガブガブ飲む。喉が焼けても、むせても、吐いても、ウイスキーをどんどん身体に流し込む。
満タンだったウイスキーのボトルを飲み切ると、僕は部屋を見渡した。この数年で部屋にため込んだ色々な物が散らばっている。僕がこの街にやって来て、積み上げて来た物全てがゴミの様に散らかっている。実際、それらは無価値なゴミだった。
本、CD、DVD、ゲームソフト、ゲーム機、テレビ、ラジカセ、テーブル、扇風機、冷蔵庫、電子レンジ、Tシャツなどの衣類、ゲームセンターで獲った猫のぬいぐるみ、何かのアニメのポスター、文具類、観葉植物、卒業アルバム、目についた物を上げて行くとキリが無い。よくもこんなにため込んだなと、改めて思う。この部屋は物であふれ過ぎている。しかも、ほとんど使っていない物だ。どれも無駄な物。これだけ物が有るというのに、一つとして無駄じゃ無い物が無い。
僕は空のウイスキーボトルを一つ持つと、それで自分の頭を思いっきりぶっ叩いた。力加減をしないフルスイングしたボトルが僕の頭にクリーンヒットし、魂が飛んで行きそうになる。その場に倒れ、僕はゴミの中に身体を横たえた。死ぬんじゃ無いかという程の激痛。それでも、僕の意識が途切れる事は無かった。
「案外、僕って強いんだな」
独り言を言ってから立ち上がる。
ゴミ袋を見つけたので、そのゴミ袋に部屋の物を片っ端から入れていく事にした。昔見た映画で、アルコール依存症の主人公が家にある物を全て捨てて、家を出て行くシーンがあった。僕はそのシーンがとても好きだった。狂気に駆られたようにアルコール度数の高い酒を飲みながら家にある物を全て捨てていく主人公に、憧れを抱いた。それを一回やってみたかったんだ。
新しいウイスキーのボトルのふたを開ける。とりあえず一口飲む。大きく深呼吸をする。大丈夫、僕は冷静だ。
よし、やるか。
ウイスキーを飲みながら、嘔吐しながら、嘔吐した物を手に持ったゴミ袋の中に入れながら、家にある全ての物を強迫観念に駆られる様にして、捨てていった。ウイスキーを身体に流し込み、それを原動力にしながらどんどんとゴミ袋に入れていく。
お気に入りの作家の本。またいつか読もうと思っていたんだよな。でも、もういらない。
お気に入りのバンドのCDアルバム。辛い時とかこれを聴いて助けてもらった。でも、もういらない。
ラジカセ。お前は僕の相棒だった。テレビよりもラジオをよく聴いていた。僕の孤独な夜を癒やしてくれた。でも、もういらない。
スーツ。いつか就活で使おうと思っていた。でも、もう使わないからいらない。
Tシャツなどの衣類。服は今着ているやつだけでもう十分だ。だから、他のはいらない。
ゲームセンターで獲った猫のぬいぐるみ。可愛い。でも、もういらない。
全部、全部、もういらない。全部ゴミだから。
テレビや冷蔵庫などの大型のゴミに目が行く。そうだ。これらも処分しなくちゃ。
リサイクルショップに電話をかけようと思って気がついた。僕の携帯電話はさっき壊してしまったのだ。
すぐに僕は家を飛び出した。
隣の家のチャイムを鳴らす。男が出て来た。若い男だった。
「すみません、電話を貸してください」
「えっ、急に何ですか?」
「お願い、緊急なんです。早く貸して!!」
勢いで押して、男から携帯電話を借りる。自分で言うのも何だけれど、この男はもう少し用心をした方が良いと思う。
男から借りた携帯電話でリサイクルショップに電話をし、ものすごい勢いで頼み込んだら、すぐにテレビや冷蔵庫を買い取りに来てくれる事になった。ラッキーだ。
「ありがとうございました」
出来るだけ爽やかにそう言うと、口を開けて唖然としている状態の男の手に携帯電話を握らせ、僕は自分の家に戻った。
しばらくして、リサイクルショップの店員がやって来た。
嬉しい事に、壊れたテレビ以外の大型ゴミは買い取ってもらえる事になった。冷蔵庫や電子レンジ以外にも、ラジカセとかも買い取ってくれた。そんなにたいした額にはならなかったけれど、これで十分だ。
用済みになったリサイクルショップの店員を家から追い出すと、僕はゴミ袋と壊れたテレビをゴミ捨て場に運んだ。分別はほぼしていないし、テレビも勝手に出しているけれど、許して欲しい。これが僕の最後のわがままのつもりだから。
まあ、もう他人を思いやる事なんてどうでも良くなっているけれど。
部屋にはなぜか捨てられなかった観葉植物が一つ。それ以外は何も無くなった。カーテンすらも無い。空のウイスキーボトルも全部無くなった。何も無いという事はとても気持ちが良い事だった。長い間全く掃除をしていなかった床は酷く汚れていて、所々にカビが生えていたけれど、全然気にならない。とにかく、清々しい気持ちだった。
さっき大型のゴミ類を売って手に入れたお金を持って、僕はスーパーに向かい、そこで買えるだけのウイスキーを買って、背中に背負ったリュックサックに入れた。リュックサックも捨てられなかった。これは僕の人生でとても大切な物だからだ。背負っているリュックサックは非常に重く、それはそれだけたくさんのウイスキーがこのリュックサックに入っているという事の証明で、僕の心はワクワクした。
家に帰ると、部屋の真ん中に置いていた観葉植物に水をやった。この観葉植物はこの部屋でただ一つ生きているものだった。最後に水をやったのがいつか覚えていない。けれど、観葉植物全体を覆っていた埃などの汚れを取ってやると、青々とした元気な葉が現れた。
「お前は元気だな」
僕は観葉植物の葉を撫でながら話かけた。
「お前は元気が無いな」
もやが言う。お前には悪いけれど、今の僕は最高に元気だよ。
「お前、これからどうするつもりだ?部屋の中の物を全部処分して、実家に帰るのか?そうだな。ここらが潮時だな。結局お前もそういう事だ。逃げられないんだよ、普通の人生から。お前の軽蔑する普通の人生を生きるしかないんだよ」
「アドバイスありがとう。そうするよ」
リュックサックの中のウイスキーを確認する。少し多いかも知れないな。他に必要な物は?自転車の鍵ぐらいか?
リュックサックを背負うと家の外に出た。今日は最高の天気だった。雲一つ無い穏やかな気候で、絶好の日だった。少し寒いが、今の僕にはあまり気にならない。
酔いが覚めて、頭がすっきりした気がする。素面では無いのは分かってはいるが、素面に近い感覚。久しぶりに感じる普通だった。
あっ、そうだ。一つやる事を思い出した。
隣の部屋のチャイムを鳴らす。先程の男が懲りもせずに出て来た。あの、あなた無用心過ぎるよ。
「はい、お待ちくださ~い」
そう言いながら出て来た男は、僕の姿を見て固まった。
その男の事をよく観察してみる。年齢は僕よりも少し若そうで、髭もしっかりと剃っていて、髪も整えていて、身だしなみがちゃんしている。着ている服にもシワは無いし、何だか良い匂いもする。そんな好青年だった。唯一の欠点として、無用心だったけれど。でも、それだけ純粋で心が綺麗という事なんだろう。こんな僕のために、二回もドアを開けてくれたのだから。髭も剃らず、髪も伸ばしっぱなしで、いつ洗濯したのかも分からないしわくちゃの服を着て、酒臭い僕とは正反対の人だ。
「あの、何の用ですか?」
青年が恐る恐る聞いてきた。そんなに怖がらなくても、僕は君には悪い事をしようなんて思っていないよ。
僕はリュックサックからウイスキーのボトルを二本取り出して、青年に渡した。
「これ、さっき電話を貸してくれたお礼です。あなたは良い人だから、幸せになって欲しいんです。何か自分に出来る事を考えましたが、これぐらいしか思いつかなくて。でも、ウイスキーは良い物ですよ。これを飲んで人生を噛みしめてください。お礼はいりません。それでは」
「いや、ちゃっと帰らないで!困ります!!」
ウイスキーを抱えたまま、青年が叫んだ。
「後、これはアドバイスですが、相手を確かめてからドアを開けた方が良いですよ。ちょっと無用心過ぎます。これからのあなたの事が心配です。今日は僕で良かったですよ、本当に。次からは気をつけてくださいね。それじゃあ、さようなら」
「さっきから何なんですか?ちょっと、戻って来てくださいよ!」
そんな青年の声を無視して、僕はその場を立ち去る。そのまま自転車置き場へと向かった。
「お前、前々から狂っていると思っていたけれど、とうとう完全に壊れてしまったのか?」
もやが話しかけて来るが、それすら気にならない。自転車置き場の奥で、埃まみれになっている自分の自転車を引っ張り出す。
自転車。最後にいつ乗ったのか思い出せない。乗れるかな?
僕の自転車は、隣のバイクに引っかかっていて、すぐに取れなかった。
ああ、すごくイライラする。
僕は力の限り引っ張った。引きずられるようにしてまずバイクが倒れた。すごい音がした。確認はしていないけれど、もしかしたらどこかが壊れたかも知れない。ごめんなさい。
自転車の鍵穴はさび付いていた。かまわずそこに鍵を刺す。回すと開くタイプの鍵なのだが、回らない。
残念ながら、今の僕にゆっくりと原因を追及してから物事に対処をするという行動は取れない。力任せに思いっきり鍵を回しにいった。ガチャガチャと鍵穴をかき回す。鍵さえ開けば、もう鍵がかからなくなっても良い。
しばらくそうやって破壊的な鍵開けを続けていると、鍵の抵抗もむなしく、ロックは解除された。リュックサックを自転車のカゴに放り込み、僕は自転車にまたがる。前輪がパンクをしているようだが、そんな事も気にせずに走り出す。
すぐに転倒した。
一メートルも進めなかった。もう自転車に乗る感覚が分からなかった。全てが面倒臭くなって来た。
手や足だけではなく、身体のあちらこちらから痛みを感じた。頭も強打した。でも、意識が飛ぶ事は無い。なぜなら僕は強いから。
左の手のひらを見ると、石ころが刺さっていた。でも、いつもガラス片が刺さっているから、こういう事には慣れている。
「本当によく怪我をするな」
僕は笑った。
右膝を見る。砂がついていて汚れていた。その部分だけ、ジーンズが黒く液体で湿っていた。どうやらそこからも血が出ているようだ。
僕は立ち上がり、自転車のカゴに入っていたリュックサックを持って、左の手のひらの石ころを引き抜き地面に叩き付けた。
「よし」
一つ息を吐く。大丈夫だ。
倒れたままの自転車を放置して、僕はアパートから出て行った。
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