第四話

 久しぶりの外。

 「寒い」という感想以外、特に何も思わなかった。家の中も、家の外も、僕のとってはどちらも変わらず、つまらないものであった。

 道路が白い。靴が若干沈み込む程度には雪が積もっている。靴の中に冷たい水が染み込み、靴下が濡れて気持ちが悪い。すごく鬱陶しい。

 少し前で小学生の集団が雪合戦をしていた。おそらく学校の帰りだろう。歩きながら塀の上や歩道橋の手すりに積もった雪を丸めて友達とぶつけ合いっこをしている。ランドセルを背負い、移動をしながらの雪合戦。「おい待てよ!準備が出来ていないって!」「うるさい、くらえ!」みたいな会話をしながらとても楽しそうだ。

 その雪合戦をしている小学生の横を僕は通り過ぎる。小学生達の笑い声が後ろに遠ざかっていく。突然、背中に軽い衝撃と冷たさを感じて立ち止まる。どうやら、小学生の投げた雪玉が狙いを外し、僕の背中に当たったようだ。「すみません」という声が聞こえた気がした。「子供に雪玉を当てられる」、こんな事はいちいち気にしていても時間の無駄だと思う。僕は小学生の方を見る事も無く歩き出した。

 不意に、頭部に鋭い痛みが走る。先程の雪玉とは比べものにならない程の衝撃に僕はその場にうずくまった。

 振り返ると、もやがいた。もやの手にはバレーボールサイズの雪玉があった。

「おい、お前。あの小学生達を怒らなくて良いのか?」

 たぶん、もやがあのバレーボールサイズの雪玉を僕の頭に思い切りぶつけたのだろう。

「お前がやったのか?」

「おい、あれを見ろよ」

 僕の問いかけをもやは無視して、もやは小学生の集団を指差した。

「あいつらを怒らなくて良いのか?大人に雪玉を当てるなんて子供が絶対にやってはいけない事だ。常識的におかしい。社会のルールってものが守れていない。だから、許したらダメだよな?ちゃんと間違いは正してやらないと」

 僕は立ち上がり、小学生達をじっと見た。少し背の高い少年が少し背の低い少年の背中に雪玉をぶつけている所だった。小学生達の歓声が上がる。少し背の高い少年は白い歯を見せて笑い、ガッツポーズをする。雪玉を当てられた少年は悔しそうだ。

「僕には関係の無い事だ」

 小学生達から視線を逸らし、スーパーに向かって歩き出す。僕の今の一番の関心事はお酒を買う事なんだよ。

「どうしてだ?あの小学生達は周りが見えず、大人に雪玉をぶつけるような悪い奴らだ。悪い奴は痛めつけても大丈夫だ。それが社会の仕組みってもんだ。俺達は善で、奴らは悪。善が悪を叩くのを誰も文句を言わないんだ。善は悪を痛めつけるものなんだ。むしろ賞賛されるさ。『悪ガキを更正させようとしている立派な大人』だってね。今が何の後ろめたさも無く人を痛めつけられるチャンスなんだぞ。今やらないと、いつやるんだ?さあ、やれ。あっ、でも気をつけなくてはいけないのはやり過ぎ無い事だ。奴らを痛めつける時には世間で許される範囲でやるんだぞ」

「そんな事はやらない。僕には関係の無い、どうでも良い事だって言っているだろ」

 早くこの話を終わらせたい。早くスーパーでウイスキーを買って飲みたい。目の前の信号が赤になったので僕は止まる。

「どうでも良くはないだろ。お前、ああいう奴ら嫌いだろ?人生を心の底から楽しんでいて、全力で笑っているああいう奴らが。自分の歩く道には夢や希望しか無いって本気で信じているああいう奴らが。何より、あの楽しそうな会話は一人じゃ絶対に生まれない。お前が絶対に出来ない事だ。だから、大嫌いだろ?」

 目の前をたくさんの車が通り過ぎる。それなりに大きな道路なので、どの車も結構なスピードが出ている。目の前を通る車に、同じ車は一台も無い。こんなにたくさん走っているのに、車に乗っている人も全部違う。

「壊したいだろ、あの世界を。本当はちょっぴりうらやましいけれど、お前は絶対に手に入れられない。見ているだけしか出来ない。それはイライラするよな?自分が持っていなくて、他人が持っている。しかもそれが良いもの、自分が喉から手が出る程欲しいものだ。それをあんな何も考えていないような小学生が持っているんだぜ?お前が出来る事は何だ?あの世界を壊す事だけだ。手に入れられないのなら、壊してしまえ。他人が持っていて自分が持っていない。そんなの不公平だ。だから、壊さなきゃ。無くさなきゃ。それが『平等』ってもんだ」

 車道側の信号が赤になり、車の流れが止まる。もう少しで僕はこの横断歩道を渡る事が出来る。

「壊せよ、あの世界を。幸い相手は小学生だ。もやしみたいなひょろひょろの身体なお前でも大丈夫だ。負ける気がしない。絶対に勝てる。あのリーダー格の小学生に威圧しながら近づけ。精一杯、お前ができる限りに怖い顔をして近づくんだ。そして怒鳴れ。『大人をなめるな!』ってな。そうすれば、あんな世界は簡単に壊れる。笑顔も消える。お前の大嫌いなあの笑顔が」

 進行方向の信号が青になりそうだ。あと少し。僕はあと少しで進む事が出来る。

「さあ、やって来い。壊して来い。お前の心の中にあるものをあいつらにぶつけて来い。憂さ晴らしに見えるかも知れないが、大丈夫だ。今のお前は正義だから。ただ、何度も言うがやり過ぎるなよ。やり過ぎると今度はお前が悪になるからな」

 信号が青になった。

「やれ、壊して来い」

 隣に立っていた親子が歩き出す。子供はやっと歩けるようになったぐらいの歳の子で、ヨタヨタと一生懸命歩いている。それを母親が優しそうな顔で見守っている。

「早くやれ!壊すんだ!!」

「うるさい!!」

 隣の親子が立ち止まり、驚いた顔で僕を見た。

「ちょっと黙れ!!」

 僕はそう、もやに怒鳴って歩き出す。後ろから子供の泣く声が聞こえた気がした。

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