始まり

「お酒が無くなったな」

 空になったウイスキーのボトルを放り投げた。ボトルは部屋の壁に当たり、派手な音を鳴らして床へと落ちる。壁際にはたくさんの空になったウイスキーのボトルで出来た山があり、その頂上に新しい空のボトルが乗る。

 ウイスキーのボトルで出来た山。それは退廃の象徴であったが、それを見ても僕は何とも思わなかった。だって、それは僕にとって当たり前の景色だから。

 ぼーっと、部屋を眺める。

 どこまかしこも散らかり、汚れ、とても人が快適に暮らせる状態では無い。ゴミだらけで足の踏み場も無い、異臭のする室内。それについても僕は何とも思わない。もう慣れたから。

 僕の世界は、毎日毎日、色彩も無い、温かみも無い、そんなつまらない世界だ。そりゃ当然、最初は辛かったけれど、それにももう慣れた。よく言われている事だけれど、人はどんな環境にだって慣れるものだ。「住めば都」ってやつだ。

「はぁ、お酒を買いに行かなくちゃな」

 盛大にため息をつく。

 お酒は僕の生命線だった。僕はお酒無しでは生きられない。常に酔っ払っていないと人生なんてやっていけない。それでも、今の僕には外にお酒を買いに行く元気は無い。思えば僕が産まれてから一度も元気だった日なんて無かった気がする。僕はいつも体調不良だ。

 身体が不調な上に、心も最悪だった。いつも暗い事ばかり考えてしまう。

 そういえば、昔「暗い事を考えたらダメだよ。明るく考えなきゃ」と誰かに言われた。

 誰に言われたんだっけ?

 遠い遠い昔の記憶。その言葉を誰か女の子に言われた気がする。とても優しくて、可愛らしい女の子に。どんな子だったかもう思い出せないけれど。

 暗い事を考えるなって?

 無理だよ。だって、僕の目はこの世界を暗くにしか見る事が出来ないだから。

 たぶん、僕の目は産まれた時から明るい色は認識出来ないようになっていたのだろう。そういう目を持って産まれてしまったのだから、これはもう仕方の無い事なんだ。

「もう寝よう」

 誰もいない部屋で、僕はそんな独り言をポツリとつぶやき、そのまま横になる。すると、ちょうど頭の所にリュックサックが当たった。ああ、これはラッキーだ。寝転んだらちょうど頭の位置にリュックサックがある、そんなの超幸運に決まっている。今ので僕は十年分ぐらいの運を使ってしまったのではないか?そう思う。これは僕にとってそれぐらいすごい出来事なんだ。

「おやすみなさい」

 また、そんな独り言を言ってから、僕はまぶたを閉じた。

「おやすみ」

 なぜだろう。

 ここには僕以外には誰もいないはずなのに、誰かの声が聞こえた気がした。

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