青水

野良ガエル

十四才

 中学二年生の夏。

 いつものごとく昼休みを寝たフリをして過ごしていると、肩をつつかれる感覚がした。

 机に突っ伏した体勢は変えないまま、息を止めて肩に神経を集中する。すると、もう一度トントン、と肩をつつく指があった。

 俺になんの用だろうか。明確なイジメこそ受けていないものの、明らかにクラスのハブられ者であるこの俺にいったいなんの用だろうか。

 ゆっくりと身体を起こし、背後を振り返る。

 そこには女子がいた。クラスメイトの福山未来ふくやまみきだった。


「お休みのところすみませんねぇ、倉橋くらはしさん」

 福山はニコニコと笑顔を浮かべていた。同級生に対してもへりくだった口調で接するのは彼女の特徴だ。

「……なにか?」

 俺はあえて気だるげに聞いた。寝てもいないのに寝起きのような声を出せるのは数少ない特技の一つだ。

「倉橋さんは、最近お疲れではありませんか?」

 質問を質問で返される。だが、それに怒る気力はない。

「いや、別に……」

「いえいえいえいえ! 気付いていないだけで、アナタはきっと疲れていますとも。背後に悪魔デモンが見えますよ~」

 今度は答えを否定される。しかも悪魔ときたか。

 彼女は後ろ手になにかを持っているようだが、それは関係あるのだろうか。

 

 福山未来は占いやまじないを好む変わり者である。明るい性格ではあるのでクラスでの立ち位置は悪くなさそうだが、ややいじられ気味の愛されキャラという感じだ。また、かわいい顔をしているものの、見た目と異性としての人気は比例関係にはないようである――――というのが、寝たフリの俺の耳に入ってきた情報を総合した彼女の印象だ。


「さて、お憑かれの倉橋さんに私、良いものを持って参りました!」

 福山はずっと後ろに隠していたそれを得意げにかざして見せた。

「聖、水、ですっ!」

「はぁ……」

 なにやら派手な布きれの巻かれた瓶に入った無色透明の水だった。

「おやっ、信じていませんね? ですがこれは正真正銘、本物の聖水ですよ~。霊験あらたかなパワースポットにおいて、なんと! 十年も日光と月光を浴び続けた逸、品、なのです!」 

「それってただの悪くなった水なんじゃ」

「なんと罰当たりなっ。元気になりこそすれ、体調を崩すことなどあり得ません! 見てください、この不純物のない無色透明さを、きっとアナタに溜まった穢れを吸い取ってくれることでしょう」

 そりゃあまぁ、水なら無色透明だろう。

「で、くれるの? 俺に」

 福山はきょとんとして、それから困ったような笑みを浮かべた。

「え、ええ、そうです。残念ながら、手に入れるためにコストもかかっているので、タダでお渡しするというわけにもいかないのですが……」

「いくらなの」

「えっと、その……、い」

「い?」

「いちまんえん、です」

 一万円、か。


「ですが、これでも赤字覚悟の大放出! 私はチベットの修行僧に知り合いがいましたので大特価で受け取れましたが、実際の取引価格からすればこれはもうタダで手に入れられるといっても過言では」

「いいよ」

「へっ」

「払うよ、一万円。今は持ってないけど、明日にでも」

 使ってないお年玉とかを足せばそれ以上はあったと思う。

「はい、その……あ、ありがとうございますっ!」

 俺に施してくれる立場のはずの福山は、なぜか俺に何度も頭を下げていた。


 かくして、パワースポットで十年寝かせたという霊験あらたかな聖水は俺の手に渡った。瓶に巻かれた異国風の布をぼーっと眺める。そのとき、クラスの一部の連中がどんな顔をしていたのか俺は知らないし、知りたくもない。




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