第9話 穏やかな雨
久しぶりに雨が降っていた。小雨ではあるものの、冬が近づいてきているというのもあってかいつもより寒く感じる。
とりあえず、一通り家事を終えてカイルとの食事を終えるとクレアさんの家に向かう。
今日は昼過ぎからカイルがいないので夕飯は一緒に食べようかなと思いつつ傘をさして見慣れた坂を登っていく。
この前まではこの辺りにも草木が色づいていたが、今ではすっかり寂しい色をしている。
ちょっと悲しいなと思いながらノックをする。
反応が無い。最近、クレアさんは調子の悪い日が増えてきており、寝ている日もあるので扉が開いていれば勝手に入っていいと言われている。
逆にそういった日は私が家事をやって帰るので遠慮なく入る。
教えられることは大体教えたとは言われたものの、この関係が無くなるのは寂しい。
流石に前のように毎日ではなくなったものの二、三日置きにはこの家に通い続けている。
「クレアさん?いないの?」
寝室が少し開いている。中を見たら寝息を立てているクレアさんの姿。
どうやら寝ているようだった。
今日は熱を出してしまっているようで、濡れタオルが額の横に落ちていた。
濡れタオルを冷やしてもう一度額に乗せると静かに扉を閉める。
「よし!何か栄養のあるものと果物でも買ってこようかしら」
鍵の場所は知っているので、それで鍵を掛けた後、来た道を戻る。すっかり覚えてしまった商店街の道を歩き買い物をしていく。
最近ではかかなりの人が私の名前を知っているようで、商店街の人からよく引き込みの声がかかる。
ちなみにあの大きな家は、変なカイルと陽気なクラウディアの家という認識が定着しつつあるようだった。
うまくあしらいつつ八百屋へ向かう。
「よう!クラウディアちゃん。いらっしゃい。今日は何にする?」
大きい声で店主のおじさんが言う。禿げ上がった頭は雨の日だと輝きは薄れているものの、相変わらずの元気さだ。
「こんにちは。今日はクレアさんが体調が悪いみたいなの。何か栄養がつきそうなものはあるかしら?」
「あー。最近ばあさんも元気が無いもんな。やっぱり歳には勝てねえってことか。わかった!何の料理を作るつもりだ?」
「そうね。どこまで食べれるかわからないから野菜のスープを作るつもり」
それならもし食欲があってもパンを浸して食べればいいしと思いながらそう伝える。
後でお肉も少し買っていこうかな。
「わかった。じゃあ、この白ネラとオニガはマストだな。これでいいかい?」
その二つなら前クレアさんが使ってるのを見たことがあるし、調理も簡単だ。
八百屋さんが言うなら間違いないだろうし、そうしよう。
「じゃあ、それにしようかしら。あと、このリンゲの果実も貰える?」
「まいど!!いつもありがとうね」
「こちらこそありがとう。また来るわ」
八百屋の後、肉屋に寄ってクレアさんの家に再び向かう。
家に入ると、鍵が開いている。どうやらクレアさんは起きているらしい。扉を開けると椅子に座っているのが見えた。
「おはよう。クレアさん、寝てなくて大丈夫なの?」
クレアさんは少し痩せた。歳にしたら元気なのかもしれないが、会った時に比べてかなり弱っているのを感じる。
「ふん。こんなもんへっちゃらさ。心配しなくてもいい」
口調は強いが、その声には弱さが垣間見える。体調はそれなりに悪いようだった。
「まあいいわ。カイルが風邪をひいた時の練習台にするからもう一回ベッドに入って。ほらほら」
「よしな。私は元気なんだから」
嫌がるクレアさんをベッドに追い立てる。やはり、抵抗に力が入ってない。この人は強がりだから無理矢理にでも寝かせなきゃいけないだろう。
これだから素直じゃない偏屈な人達の相手は大変ねと苦笑しながらベッドに寝かせた。
「ほら、練習台なんだからちゃんと寝込んだふりをしてくれないと」
「わかったよ。…………ありがとうね」
小声でお礼を言うのが聞こえる。聞こえなかった振りをするのがこの人の性格を考えるといいかもしれないと思い台所に向かう。
火を起こし、鍋の水を沸騰させる。具材を煮込んでスープを作った。
そして、リンガの果実を小さく分けるとクレアさんのもとに運ぶ。
食欲はあるようで、スープがどんどん減っていく。
「美味しい?」
「まあまあだね。ほとんど合格だが、あの若い旦那に作るときはほんの少しだけ味を濃くした方がいいかもしれない。薄味のがいいのは確かだが、歳によって味覚は違うからね。美味しいと思って貰える味付けとのバランスは重要さね」
今回は弱っているということもあって薄味で整えた。でも、年代も含め人によって変えていくというのは経験がものを言う部分があるのでこういった指摘は本当にありがたい。
「それに、根っこを埋めときゃまた生えるからまた庭にでも埋めときな」
「知らなかった。いつもありがとう。そうするわ」
彼女はそう言うとスープを二杯ほどお代わりした。そして、リンガの果実を食べるとだいぶ気分が良くなったようで、また寝ると言ってベッドに入った。
私もスープとパンを食べると、食器を片付け簡単に掃除をしてクレアさんの家を後にした。
本当に日が落ちるのが早くなってきた。まだ雨が少し降っている。
坂を下り我が家が見えると、家の前で誰かが扉をノックしているのに気づいた。
始めて見る人ね。誰だろう。雨よけ用の外蓑を羽織っている。
「どなたかしら?」
どうやら男性のようだ。背が高い人影がこちらを振り返る。
いちおう護身用の簡単な魔術が使えるように準備する。
「ああ。俺は王宮に勤めている護衛官のデインだ。あんたが侯爵の娘のクラウディアさんかい?」
王宮の人、そして、父を知っているということで少し身構える。
「ああ、心配しないでくれ、捕まえにきたとかじゃない。あんたの親父さんに少し世話になったものだ」
「お父様に?」
捕まえにきたわけじゃないとするとどういうことだろうか。
「ああ。昔貴族の上司が横領した罪をかぶせられそうになった時に嫌らしいほどに帳簿を洗ってくれてな。それで首がつながったことがあったんだ。本人は別に助けたかったわけじゃないとは分かってるんだが、それで助かったのも事実でな」
偏屈な父は嫌われることが多いが、その仕事ぶりは実直そのものなので、極稀にこうゆう人に会うことがある。
「そうなの。それで、どんなご用だったかしら?」
彼は懐から手紙を出すと、こちらへ渡してくる。
「かなり危ない橋なのはわかってるんだが、あんたの親父さんを放っておけなくてな。お前のことなど知らんとは言われたが、もし会ったらこれを娘に渡してやって欲しいと頼まれた。
正直、屋敷に行っても差し押さえられているし、当ても全くなくてずっと持ってたんだが最近町の噂であんたの名前を聞いてな。もしやと思いここに来たんだ。なんとか渡せてよかったよ」
彼はそう言うとほっとしたような顔になる。
そして、少し険しい顔でこちらに向き直った。
「親父さんは前見た時よりもだいぶやつれていた。かなり厳しい扱いをされているらしい。
手紙に何が書かれているかは知らない。だが、侯爵が見ず知らずの俺にそれを渡したところを見ると覚悟も必要かもしれない。
返事を書くようなら預かるから読むまで待たせて貰ってもいいか?家に入れるのが嫌なら外で待たせてもらうが」
手紙には明らかに父と分かる筆跡でクラウディアへと書かれている。
本物だろう。そして、父は数字が関わると記憶力が凄く良い。本当はこの人の顔を覚えていてそれで頼んだのだろう。
あの偏屈な男が信じて手紙を預けるほどだ。この人はかなりのお人よしと認識されているらしい。
「いいえ。雨も降っているし、中に入って。お茶くらい入れるわ」
彼を招き入れるとお湯を沸かす。
「すまんな。正直だいぶ待っててな。冷えてしょうがなかったんだ」
彼が外蓑を脱ぐ。少し見ると微かに震えている。
どうやらかなり待ってくれていたらしい。悪いことをしたな。
お茶を出すと手紙を読み始める。
飾り気のない文章がとても父らしい文章だった。
『賢き娘、クラウディアへ』
昨年国王陛下が変わったのは知っているな。
小競り合いが繰り返されているものの、その直前に長き間戦い合っていた隣国と休戦条約が結べたことで安心したのだろう。あっという間に崩御された。その戦で傾いた国庫を立て直す前にな。
故に新王に変わり、一年が経ち引継ぎや政務が落ち着いてきた頃を見計らい、前もって概要を伝えていた国庫の立て直しの具体案の実施を再三に渡って私は要求した。
だが、それがいけなかったのだろう。貴族への課税の増加や優遇措置の廃止を盛り込んだ強硬的な案は未だ日の浅い陛下にとって危険なものに見てたらしい。
いつまでも休戦は続かない、今やらねば近い将来王国は綻ぶということを口うるさく言い過ぎたのだろう。私は投獄された。
だが、陛下はもともとは処刑などするつもりはなかったらしい、他の貴族に王が強いことを改めて示すととも頭を冷やせという意味もあって反逆罪で捕らえられたようだった。折を見て証拠不十分で開放するつもりだったらしい。
法案の内容が貴族達に知られ処刑をせねばならないほどに圧力が高まるまでは。
既に交換条件に貴族からの歩み寄りのように見える国庫正常化案を示され王もそれを呑んでしまったらしい。私からすれば見せかけにしか思えないようなくだらない案を。
私は昔から人づきあいが苦手だった。前の王は私をうまく回しながら対応してくれていたのだろう。だが、若い王にそれを求めたのは私の未熟さだ。
恐らく私はこのまま葬られるだろう。
これも政治だ。貴族の娘として諦めてくれ。
そして、屋敷や王宮には二度と近づくな。この手紙の返事も出すな。今回は私だけがいなくなれば事は終わるが、既に平民になった身であれば気まぐれで殺されることもあろう。
これからは貴族ではなく平民として生きていけ。お前ならばどこでも生きていけるだろう。願わくば幸せな人生を。
『愚かな父、ジルコニア・ジ・ローゼリアより』
ここまで何の音沙汰もなかった。薄々そんな予感はしていたのだ。
だが、手紙を読み終わり、父は本当に死ぬんだなというのが理解できた。
父は面倒くさい人だったが、それでも私なりに愛情を感じていた。泣くつもりは無かったが、涙が頬を伝わる。
デインは手紙を渡すときにも言っていたが、父の様子を直接見ているから察していたのだろう。私の涙を見ても動揺は無く、当然だろうといった面持ちだった。
少し、そうして静かに涙を流していると時間が経っていたのだろう。
鍵の開く音がして、カイルが家に入ってくる。
彼は怪訝そうな顔で見知らぬ男を見ると、私に視線を移す。
その瞬間、彼の顔が驚愕に染まり、初めて見る怒りの感情を顔に浮かべるとデインに殴りかかった。
デインは驚くが、護衛官ということで鍛えているのだろう。咄嗟にカイルを止める。
そして、私はその間に割り込み、引きはがした。
「やめてカイル!この人が悪いんじゃないの」
カイルは興奮しているようだ。いつも淡々として冷静なカイルの取り乱す姿に逆に自分の気持ちが落ち着いていくのが分かる。
「でも!君が泣いている!!いつも笑顔の君が。それは何故だ!?」
不謹慎ながらも心配してくれる彼に心が安らぐのを感じる。大事に想ってくれているのがしっかり伝わってくる。
「後で話すわ。でもこの人のせいじゃない。むしろ、感謝しなくてはいけないの。だから、ね?今は落ち着いて」
「………………わかった」
彼は目を瞑ると深呼吸する。目を開けた時には普段のように冷静なカイルに戻っていた。
「デインさん、ありがとう。返事はいいわ。せっかく待ってくれていたのにごめんなさいね」
「いや、いいさ。手紙を渡せて本当によかったよ。じゃあ、俺はこれで失礼するよ」
彼は気にしてもいないようで笑顔でこちらにそう言う。
優しい人なのだろう。投獄された者から手紙を預かるなんて極刑ものだ。
父の最期の言葉を伝えてくれて本当に感謝している。
「ええ。ありがとう。気を付けて」
「ああ」
彼は外蓑を羽織ると扉を開けた。外はすっかり真っ暗で、雨は相変わらずの弱い勢いだが降り続いているらしい。
小走りに出て行くとそのまま闇の中に消えていった。
カイルに向き直る。じっくりと自分語りをする必要があるかなと思いもう一度お湯を沸かした。
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