第二話 霧深き池の畔にて




 私は再び銀座線に乗って上野へ向かった。上野駅から広小路口を抜けて、不忍池まで僅かな距離である。

 上野の森を右手に臨みながら、池の中島にある弁財天のお堂にお参りし、それから池の周囲をぐるりと囲む遊歩道を時計回りに歩いた。

 

 土曜日ということもあって人の姿が多い。観光客らしい数人のグループや犬を連れた年輩者、幼い子供と手を繋ぐ家族連れ、トレーニングウェアに身を包んで走る若者の姿もある。上野駅の混雑もそうだったが、普段から人の少ない田舎に住んでいる身としては、人を避けて進むのによほど気疲れする。

 

 不忍池の南側は、ほとんどが群生する蓮の葉に覆われていた。夏には見事な花を咲かせるのだろうが、十二月のこの時期はその大部分が見る影もなく枯れている。柵越しに覗き込むと、水位は思いのほか浅く、水底に溜まった泥が透けて見えた。

 

 昔は不忍池の畔に出合茶屋であいちゃやが幾つもあって、多くの男女が逢い引きに利用していた。まるで駄洒落のようだが、“不忍しのばず”と名付けられた池に、人目を忍ぶ男女が集い、逢瀬を重ねていたのだ。

 そのなかには当然、密かに情死を決意した者もあっただろう。

 

 ───出合茶屋あやうい首がふたつ来る


 安永五年(一七七六)、主に色恋に関する句を集めた『俳風末摘花はいふうすえつむはな』には、この出合茶屋で逢い引きする男女の姿が数多く詠まれている。

 その中で私が好きなのは「蓮の茶屋今朝から半座あけて待つ」という句だ。

 「半座」とは一つの座席の半分という以外に、極楽浄土の蓮華座の半分という意味もある。不忍池が蓮の名所であることにちなみ、死後の二人は極楽往生して同じ蓮華座に生まれ変わるのだ、という意味を含ませたのだ。

 

 昔から不忍池に身を投げる者は多かった。死体は池に咲く蓮の葉が絡みついて容易には上がらなかった、などと云われるが、夜に身を投げた男女の死体が、朝には蓮の葉に絡み付いて池の面に浮かぶ様は、まさに「極楽の蓮華座」に二人並んで座る姿を連想させるように思われた。

 

 松村幻偲郎と紫梗の二人が、不忍池のどこで身を投げたのか定かではない。おそらく彼らもまた、そんな風に彼岸で結ばれることを夢見たに違いあるまい。

 

 野外ステージの前を過ぎ、池の真ん中を通って弁財天の裏手に出る遊歩道を進む。池の北側は蓮の葉に覆われておらず、水深も深いようで、貸しボートに乗ってはしゃぐカップルの姿が見えた。

 水面を覗くとたくさんの鯉が寄って来て口をパクパクと開く。いい加減に歩き疲れた私は近くのベンチに腰を下ろし、さっきコンビニで買ったペットボトルのお茶の蓋を開けて喉を潤した。


 こんな麗らかな休日に私はたった一人で、百年も前に死んだ恋人たちの面影を求めて彷徨っている。金にもならない趣味の小説を書くために。

 良い歳をしていったい何をやっているのかと自嘲的な気分になるが、元よりこんな性分なのだから仕方がない。

 それより百年も前の情死事件に何故こんなにも心惹かれるのか、その理由が自分でも分からなかった。


 明治大正期の無名作家たちの作品を集めたアンソロジーの巻末解説によると、松村幻偲郎は鹿児島県鹿児島市の出身で、裕福な呉服屋の次男として何不自由なく育った。本名は松村玄次郎で、ペンネームはそれをもじったものらしい。

 幼い頃から学業優秀だったようで、旧制中学を卒業すると第一高等学校を受験するために上京した。あえなく不合格となったが、故郷には戻らず、東京の小石川に住んでいた従兄の家にそのまま居候の身となる。

 

 解説によると大正九年、その当時、神奈川県の中里村(現横浜市)に住んでいた、作家の佐藤春夫の自宅を訪ねた形跡があるという。彼がいつから作家を志したのか分からないが、十八歳の頃にはすでにそのような関心を持っていたのが窺える。

 ひょっとしたら弟子入りを志願したのかも知れない。しかしその当時、佐藤春夫は確か極度の神経衰弱に苦しんでいたはずだ。弟子入りどころか、碌に面会も叶わなかったのではないか。

 「門弟三千人」と云われるほど顔の広い佐藤春夫だが、その門弟第一号は正式には大正十四年の富澤有為男(とみさわういお)ということになっている。僅かに時期さえ違えば、門弟第一号は松村幻偲郎だったのかも知れない。

 

 彼が文壇デビューを果たしたのはその二年後の大正十一年、あの横溝正史も編集に名を連ねる『新青年』誌上であった。

 『祝祭の夜』というタイトルの短編で、故郷の小さな秋祭りに題材を得た幻想小説である。

 それから大正十三年に情死事件を起こすまでの僅か二年間、関東大震災後の混乱期を除いて八編の作品を世に送るのだが、ごく一部の読者に支持されただけで、文壇の評価はあまり高いものではなかった。

 

 彼はいつ、吉原で遊女の紫梗と馴染みになったのだろう。売れない貧乏作家がよく吉原通いなど続けられたものだと思うが、どうやら裕福な実家にたびたび仕送りをして貰っていたらしい。

 であるなら、何らかの事情で実家からの仕送りを断たれ、将来の展望もなく、紫梗と今までのように逢瀬を果たせなくなった事が、二人に情死を選ばせる動機になったのではないか。

 もちろん単なる憶測だが、私が書くのはノンフィクションではなく、あくまで小説である。あとは己の想像力に任せて筆を取るしかあるまい。

 

 そう考えてベンチの上で大きく伸びをすると、急に眠気が押し寄せて来た。ここのところ仕事が忙しかったので、疲れが溜まっていたせいもある。加えて今日は一日中歩き通しだ。足がもう一歩も歩きたくないとでも云うように重かった。

 西の空は夕暮れに染まりつつある。十ニ月の初旬にしては暖かな陽気で、それがまた目蓋を重くした。

 私はいつしか、心地良い微睡みのなかに落ちて行った。



 


 ふと目覚めると、私は白い闇の中にいた。

 慌ててベンチから立ち上がる。すっかり冷え切った身体が寒さでぶるりと震えた。

 辺りを見回すと、遊歩道には誰の姿もない。というより、立ち籠める白っぽい闇のせいで視界が極端に閉ざされていた。

 ぼんやりした頭が次第に焦点を結んで、状況を理解し始める。

 

 白い闇の正体は霧であった。いつの間にか日が暮れ落ちて夜になり、発生した霧が地上を覆ったのだった。

 いくら疲れていたとはいえ、ベンチでそんな何時間も眠りこけるとは。誰が見ている訳でもないのだが、自分の無防備さがいささか気恥ずかしく思われた。

 

 それにしても濃い霧であった。手前数メートルの距離ですら、その先がまるで見えない。

 ふとジャケットの胸ポケットを探ってスマホを取り出す。手首を締め付けるのが嫌で、私は普段から腕時計をする習慣がない。そのため時刻の確認はいつもスマホ頼みであった。

 不思議なことにスマホがいつの間にかブラックアウトしていた。いくら電源ボタンを押しても起動する様子がない。故障だろうか。それにしてもこのタイミングで?

  

 水面を打って鳥の羽ばたく音がした。ひっそりとした静寂が辺りを包んでいる。

 白い霧は淀んだ水のように身体にまとわり付いて、風に流れる気配すらない。

 無人のベンチを照らす街灯がチカチカと明滅し、どこかの寺で鐘を衝く音が遠くに響いた。

 私はふと怖くなった。言い知れぬ不安が背筋を這い上がって来て、このまま此処にいることがひどく危うく感じられた。

 きびすを返し、元来た道を歩き始める。濃厚な霧が行く手を阻んで足早には進めないが、それでも出来るだけ急いで不忍通りの方に出ようと思った。

 

 しかし不思議なことに、どれほど歩いても一向に通りが見えて来ない。間違えて反対方向に進んだとしても、弁財天の裏手に出るはずである。

 

 奇妙なのはそれだけではなかった。ここは東京の上野である。にも関わらず、通りを走る車の音も聞こえず、周囲に建ち並ぶビルの明かりも見えなかった。今の時刻が分からないが、いくら深夜で濃霧に囲まれていようと、音も聞こえず光も見えずとはあまりに不可解である。

 

 池の真ん中を通る狭い遊歩道は、どれだけ歩いても尽きることがない。

 途方に暮れて、私は思わず立ち止まった。これは夢ではないかと思った。いや、夢であって欲しかった。私はまだベンチに背中を預けて、寝汚いぎたなく眠りこけているに違いない・・・・。


 どこかで切り裂くような鳥の鳴き声が響いて、私はビクリと肩を震わせた。

 するとふと前方に、ぼんやりと燈灯あかりが灯るのに気付いた。

 濃霧の中、燈灯はだんだんとこちら側に近付いて来る。息を呑んで見守っていると、白い闇の奥から現れたのは、丸い提灯を手前に掲げた着物姿の女であった。

 

 「・・・・こんなところで、どうなされました?」

 私の姿を認めた女は、口元に僅かに微笑を湛え、そう静かに話し掛けて来た。

 小豆色あずきいろの地味な着物に身を包み、長い髪を束髪に結って肩に垂らした女である。歳は若いようにも、老けているようにも見えた。白い細面の顔立ちに、少し吊り上がった目尻と尖り気味の顎が、どこか狐を連想させる。

 

 「その・・・道に迷いまして・・・」

 いささか躊躇ためらったあと、私は正直にそう答えた。突然の女の登場に驚いたが、ずっと黙っている訳にもいかない。

 まるで明治か大正を思わせる出で立ちの女は、微かに頷くと提灯で自分が歩いて来た方角を指し示した。

 「あちらにわたしの住まいがございます。よろしければ、そこでどうぞお休みください」

 私は霧の奥に目を凝らした。そこにはぼんやりと建物の影が浮かんでいるように思われた。

 「この霧の中を歩くのはさぞ難儀でしょう。凍え死ぬような寒さではありませんが、風邪を召されてもいけません。さぁどうぞ、ご遠慮なく」

 そう言ってしきりに女は、私を深い霧の奥へと誘う。

 よもや狐に化かされているのではあるまいか。現代の上野に狐がいるかは知らないが。

 そう思ったが、他にどうする当てもない。

 「・・・・では、ご厄介になります」

 私はそう言って頭を下げると、先に立って歩く女の後ろを付いて行った。


 やがて霧のなかに現れたのは、和洋折衷の三階建ての建物であった。屋根こそ厳めしい瓦葺きだが、二階と三階は洋式のバルコニーが張り出してあり、窓にはステンドグラスが嵌め込まれている。

 一階の左端は、両開きの扉が付いた立派な玄関で、そこから右手に色褪せた板壁が続き、大きな窓が木の格子に覆われていた。

 私は最近、資料で目にしたある建物を思い出し、我知らず声に出して呟いていた。

 

 「・・・・まさか、遊郭?」

 

 すると振り返った女が、私の内心を見透かしたような眼差しを向けた。

 「仰る通り、ここはかつての遊郭にございます。屋号を夭綺楼ようきろうと申しまして、いわゆる大見世おおみせより格下の中見世ちゅうみせでございますが、当時はなかなかに繁盛しておりました。あれから随分と時が経って、いまでは妾のみの侘しい一人住まいでございます」

 「・・・・夭綺楼だって?」

 確か明治大正期の吉原の地図に、その屋号を冠するみせがあったはずだ。


 私はただ呆然と、霧のなかに突如として現れたその建物を見上げていた。

 

 「・・・・お懐かしゅうございますか?」

 

 その問い掛けに、私は女を振り返った。懐かしいも何も、私は吉原の遊廓を訪れたことなど一度もないし、そもそもそんなことは物理的に不可能だ。仮にこれが実在した遊廓だったとして、空襲でとっくに焼失してしまったはずである。それがなぜこのような場所に残っているのか。



 女はその狐にも似た切れ長の目で、しばし私の表情を窺うように見つめていたが、私が何も答えなかったせいか、やがてふいと視線を外した。

 「さあ、どうぞ。こちらへ」

 女の声に応じるように、両開き式の玄関の片扉が音もなくゆっくりと開いてゆく。

 

 これは果たして夢かうつつか。それとも彼岸か此岸か。

 いずれにせよ逃れる術もなく、こと此処に至っては、もはやはらを括るしかあるまいと思った。

 

 私は意を決すると、女に案内されるまま玄関扉を潜ったのであった。



                (続く)



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

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