言われるがままに、俺たちは車から降りた。久しぶりに身体が直立の姿勢を取れたので、思わず伸びをした。他の面々も腰を捻るなどして、各々固まっていた身体をほぐしていた。

「なあ、タバコ吸っていい?」

 白石が呑気に訊いたが、大畑は、

「ここは禁煙です」

 と、あっさり却下した。

 外に出てみても、ここが何の建物なのかは見当がつかなかった。地下らしく、コンクリートの灰色と金属の鈍色に塗り込まれているばかりで、ヒントはどこにも見当たらない。

 唯一、黒いキャップの男が開いたシャッターだけが糸口になるかと思ったが、その向こう側は電気も点けておらず、暗闇が広がっていた。まるで、四角い形をした洞穴のようだなと思っていると、黒いキャップの男が、その中へそそくさと逃げるように消えていった。勝手が分かっているのか、消えていった後も中の電気が点くことはなかった。

「少し、待っていてください」

 大畑はそう言うと、シャッターの前に立ち尽くした。俺たちはその後ろに並んで立って、言われた通りに次の指示を待つことにした。

 時間を持て余していると、他の面々の全身像を鮮明に捉えることができるのに気が付いた。蛍光灯の灯りの下に晒されることによって、薄暗い車内にいた時には分からなかった様相が暴かれている。

 白石は体格こそ良かったが、意外と身長が低く、ずんぐりとした体型をしていた。下はデニムの短パンに、上はぴっちりとした黒いアンダーシャツを着て、その上に英字がプリントされた白いTシャツを重ねている。家の近所で道路工事が行われていた際、昼時になるとこんな感じの連中がその近くのコンビニのレジに列を成していたな。そんなことを、ぼんやりと思い出した。

 それに対して、岩澤は背こそ高かったが、酷く痩せこけており、全体的に骸骨を思わせるような外見をしていた。真夏だというのに、上にはヨレヨレの長袖のグレーのパーカーを着て、下にはこれまたヨレヨレの黒いスウェットパンツを履いている。背中を丸めて目をぎょろぎょろとさせるその姿は、都会の路地裏に潜んでいそうな、痩せこけた汚い野良猫のようにも見えた。

 そして、未だに名前さえ知らない女は、車内にいた時から唯一見えていた全身像が、より一層派手に見えた。上下でセットらしい黒いジャージに入った金のラインにはラメが浮いていて、テラテラと下品に光っている。背中には同じ金色で、天使の翼の模様がプリントされていて、それにもラメが浮いていた。駐車場を照らす蛍光灯の灯りも大概薄暗かったが、車内はそれよりも暗かったのだと、当たり前のことを再認識させられる。茶髪も、車内で見た時よりずっと明るく見えた。

 なぜか、四人の中で自分だけが浮いているように思えた。当日は他にもバイトをする者がいる、ということは電話をした際に聞いていたが、想像していたよりも、なんだかずっと治安が悪い。

 自分だって大した人間ではないが、それにしたって、こんな連中に混じるのは少々場違いなのではないか。

 そんな考えが脳裏にちらついていると、ゴリゴリゴリ……という音が、シャッターの向こうの暗闇から響いてきた。目を向けると、何やら大きなものが迫ってくるような気配がした。

 その予感は正しかったようで、暗闇の中から姿を現したのは大型の台車だった。いや、台車というよりは、どちらかというと二段式のワゴン台だ。大きな工場で使われていそうな銀色のそれを、黒いキャップの男が重たそうにゴリゴリと押して出てくる。そして、そのワゴン台の上段にも下段にも、同じ物が並んで乗っていた。

 ———あれが、俺たちが運ばされる物。

 それは、黒いポリタンクだった。サイズからして恐らく、20リットルのものが、上段と下段に二つずつ、計四つ乗せられていた。

 黒いキャップの男は、それを大畑の前まで押してくると、何やら目配せをした。それを汲み取ったのか、大畑が俺たちの方に向き直り、

「これを、バンの後ろに積んでください」

 と、指示を出した。

 俺たちは、ようやく指示が出されたというのに、しばらく固まっていた。が、黒いキャップの男がこちらに向かってワゴン台を押してきたのを機に、おずおずと動き出した。といっても、黒いキャップの男がバンの後方に向かってワゴン台を押すのを、傍で見ているだけだったが。

 ワゴン台が、ようやくバックドアが開け放たれたバンの後ろまで到着すると、白石が、

「こいつを、後ろに積めばいいのか?」

 と、大畑に訊いた。大畑は無表情で頷くと、

「運搬中に倒れないように、きちんと並べて積んでください」

 と、言い放った。白石はそれに、

「そうかい……」

 と、答えると、なぜかもの言いたげに俺の顔を見た。

 ……まさか、全部やれと言っているのだろうか。いや、違う。恐らく白石は、一番に手を付けたくないのだ。この、中に何が入っているのか得体が知れない黒いポリタンクに。

 白石だけでなく、他の面々もなぜか俺に視線を向けていた。お前が先にやれよ、という無言の圧力が、ひしひしと掛けられている。どうやら、誰も一番に手を付けたくないらしい。

「……」

 俺は観念すると、おずおずとワゴン台に近寄り、上段に乗っていた20リットルのポリタンクの取っ手を掴んだ。

 この中に、何が詰まっているというのだろう。ポリタンクという容器を使っているということは、恐らく中身は液体なのだろうが、それが何なのかは見当もつかない。表面が黒いせいで、中に一体どれだけの量が入っているのかも分からない。

 疑念と、ほんの僅かな恐怖を抱いたまま、腕に力を込めて、ポリタンクを引き寄せた。ワゴン台の天板とポリタンクの底面が擦れて、ズリリと音がした。

 ———重い。

 恐らくは、中身がパンパンに詰まっている。これは、気を付けないと。

 ズリッと、天板からポリタンクを引きずり下ろした。ところが、ポリタンクはこちらが想定していた重さよりも遥かに重く、思わず地面にドムンと落としてしまった。


 ———チャプン


 水音。やはり、中身は液体だったらしい。握っていた取っ手からも、中で液体が流動する感触が伝わってきた。

「……っ」

 その時、なぜか背筋にひやりと冷たいものが走った。腕にも、ブツブツと鳥肌が立っている。

 これは一体……、———水だ。

 脳の中に湧いた危険信号めいた思考を、反射的に無理矢理掻き消した。

 ただの水。きっと、ただの水だ。そう、臆することはない。これは、ただの水なのだ。

 腕にそう言い聞かせると、力を込めてポリタンクを持ち上げた。そのまま片手で抱えて、無心でバンのトランクへと運ぶ。

 狭いトランクの中には、右端に横長のダンボール箱がひとつ、詰めて置かれていた。反対側の、空いていた左端の方に詰めてドスンと乗せると、中からまたチャプチャプと水音がした。

 ―――なんてことない、ただの水だ。

 ゆっくりと振り返ると、他の面々は相変わらず皆一様に俺の方をじっと見ていた。

 ……ほら、運んだぞ。お前らもやれよ。一人ひとつだ。

 今度は俺から、そんな無言の圧力を発した。すると、それを汲み取ったのか、他の面々は一斉に動き出し、ワゴン台のポリタンクに手を伸ばした。

 ……ふん、安全と分かった途端にこれか。

 俺は不満を呑み込むと、他の面々が残りのポリタンクをトランクへ運ぶ様を、じっと見つめていた。

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