全て運び終えると、狭いトランクの中はダンボール箱と四つのポリタンクでみっちりと隙間なく占領された。向きを合わせて置けばいいものを、全員が好き勝手に並べたせいで、あべこべに押し込まれている。

 俺一人がやったならばこんなことはしないが、仕方がない。それに、注意したところで、他の面々が素直に従うとは思えなかった。

 まあ、作業の一部始終をずっと見ていた大畑が何も言う様子は無かったし、これでいいのだろう。

 さあ、お次はどうすれば?と、大畑の方を窺うと、やや離れたところで黒いキャップの男と、またなにやらひそひそと話し込んでいた。

 これがいわゆる裏社会の闇取引ならば、双方の納得がいく金勘定でもしているのだろうか。しかし、それにしては二人ともそれなりの格好をしていない。大畑は黒い作業服の上下だし、黒いキャップの男は青いズボンに黒いTシャツと、まるで自分が働いている運送屋でたまに見かける学生バイトのような格好をしている。どことなく頼りなさげな佇まいも、そんな印象を植え付けるのに一役買っている。

 見様によっては、正社員の作業員に小言を言われているバイトのようにも見えなくもないな。そんな考えが頭をよぎったが、そう断言しきれない違和感が、大畑の方にあった。

 作業服がやけに新品のように見えるというのは、車から降りた時に感じていたが、さらによく見ると、大畑は七三分けの黒い短髪もぴっちりと整髪料を使って撫でつけているのだ。まるで、身なりに気を遣う営業マンのように。

 そんな男が、作業服に身を包んでいるというのは、どこか違和感を感じざるを得なかった。その姿はまるで、擬態しているかのように映った。何か、違う目的の為に仕方なく作業服を着て、身の上を偽っているかのような。

「それでは——」

 不意に、黒いキャップの男と話し込んでいた大畑がこちらを向いた。

「トランクは閉めてもらって結構です。みなさんは、また車の中で待機していてください」

「なあ、タバコ——」

「ここは禁煙です」

 白石が、また喫煙願いを一蹴された。どうしてこう、学習能力がないのだろうか。懲りるということを少しは学んでほしい。

 しかし、大畑の方も大したものだ。普通、白石のような見た目の人間を前にすれば、多少は委縮しそうなものを、少しも物怖じせずに対応している。

 白石も白石で、それ以上突っかかることはなく——小さく文句こそ言うが——すごすごと言う事を聞いている。存外に素直な性格なのか、それとも、白石なりに大畑が漂わせている得体の知れない雰囲気を感じ取っているのだろうか。

 ……恐らくは、後者だろう。

 大畑はまったく感情を表に出していない。まるで、表情を固められた蠟人形のように。だというのに、どこかその雰囲気は、不気味さ、危うさを感じさせる。白石は俺と同じように、本能的にそれを嗅ぎ取っているのだろう。

「ちぇっ」

 また小さく文句を言う白石を尻目に、俺は言われた通りにバックドアをバタンと閉めた。そのまま、車の中に戻ろうとしていると、

「岩ちゃん?」

 と、白石が声を上げた。そちらを見遣ると、岩澤がゆらりゆらりとワゴン台の方へ歩み寄っていた。

「おい、岩ちゃん、もう運ぶもんは無いぜ」

 その曲がった背中に白石が声を掛けるが、岩澤は止まらなかった。ワゴン台の傍まで行くと、今度は頭を捻りながら、大畑と黒いキャップの男の方へ近付いていく。

「岩澤さん」

 大畑がそれを牽制するように声を掛けた。すると、岩澤は立ち尽くす二人の前まで来て、ようやく止まった。

「……岡山おかやまくぅん?」

 岩澤はグネグネと右に左に首を傾げながら、

「あんたぁ、岡山くんだろお!」

 と、突然、声を上擦らせた。

「お、おい、岩ちゃ——」

 面倒見役の白石が慌てて駆け寄ろうとした時、

「な、何なんだよ、あんたっ!?」

 と、黒いキャップの男が初めて聴こえる声量で声を上げた。その声色は、なんとなく想像していた通りの頼りなさげなものだったが、明らかに動揺していた。

「あぁあ、俺だよぉ。岩澤だよぉ。一緒に研修してただろぉ」

「し、知らないっ!あんたみたいな奴!」

「なんでだよぉ、一緒に研修したじゃんかぁあ。人形のさぁあ」

「ち、違う!俺は岡山じゃないっ!そんな奴、知らないっ!」

 要領を得ない謎めいた会話が、二人の間で交わされていた。

 なんとなく察するに、岩澤はあの黒いキャップの男を知っているらしいが、その——岡山という男は、頑なにそれを否定している。やけに慌てた様子で。

「俺はあんたなんか知らないっ!」

「なんでだよぉ。一緒にやっただろぉ。人形の股を開いて——」

「岩澤さん」

 ズイッと、大畑が岩澤の前に立った。

「車に、戻ってください」

 大畑は、蠟人形のような無表情の顔を岩澤に近付けた。

「あ、うぅう……」

 それが効いたのか、岩澤は頭を抱えて唸りだした。

「ほら、岩ちゃん。戻るぞ」

 白石が岩澤の肩をポンと叩いた。そのまま、肩を抱えられて無理矢理こちらへ連れ戻されたが、岩澤はその間もしきりにチラチラと後ろを向いて、黒いキャップの男を見遣っていた。

「おぉ、岡山くぅん」

「しっかりしろ岩ちゃん。きっと人違いだよ」

「あうぅん、そうかなあ……」

 白石は車のドアを開けると、岩澤を中へ連行していった。俺と女はその様を突っ立ったまま眺めていたが、やがて大畑が冷ややかな視線をこちらに向けているのに気が付いて、そそくさと車の中へ戻った。

 ガチャン、と重たいスライドドアを閉めて、外と空間が隔絶されると、ようやく一息ついた。大したことはしていないのに、やけに胸の中がザワついているのは、先程の岩澤の行動のせいだ。

 あのまま白石が連れ戻さなかったら、岩澤は大畑の手によって始末されていたのではないだろうか。なぜか、そんな物騒な考えが頭をよぎる。

「大丈夫か、岩ちゃん。もうちょっとだからな。仕事が始まったら、冷たいのキメていいからな」

 後ろを見ると、白石が岩澤の背中をバシバシと叩きながらなだめていた。ずっと続けていたら、岩澤の背骨が折れてしまいそうな勢いだ。

「……あ、あの、岩澤さん」

 俺は怖々しながらも、岩澤に呼びかけた。

「あぁ?」

 白石が代わりに答える。その顔は、何だよ、お前まで、面倒くせえな、と言いたげだった。

「あの黒い帽子の人のこと、知ってるんですか?」

 意を決して、質問した。

「あぅんん、知ってる。岡山くんだよぅ」

 岩澤はぎょろりと、俺の方を見た。口の端だけが吊られたように歪んでいて、無理矢理笑っているように見えた。

「あの人は、岡山っていう名前なんですか?」

「おい」

 白石が制止しようと俺を睨んだが、岩澤はボソボソと続けた。

「うぅん、そうだよぉ。俺のこと、覚えてるはずなのにぃ」

「あの人は、何者なんです?」

「アハ、ああ、あの、岡山くんはねぇ、一緒だったんだあ」

「一緒って、何をです?昔、あの人と何かをしてたんですか?」

「うんん、昔、ずうっと前はねえぇ……俺はお医者さんだったんだあ」

「医者ぁ?」

 白石が素っ頓狂な声を上げたが、俺もまったく同じ反応を心の中でしていた。

 医者?このシャブ中が?

「おいおい岩ちゃん、しっかりしろよ。お前は日雇い労働マンだろ」

 窘めるように白石が言うが、岩澤は、

「今はそそそうだけどぉ、昔は違ったんだぁ。俺はみんなから期待されててぇ、へへ、お医者になったんだぁ、アハ、アハ」

 と、笑いながら言い張った。

「それは、本当ですか?」

 思わず、身を乗り出す。

「本当だよぉ。あの頃はぁ、アハ、クスコとか、カンシとか、ハンマーとか持ってたんだぁあ。ハンマーは今でもぉ、へへ、持ってるけどぉお」

「じゃあ、あの岡山って人は——」

「あぁあアハ!」

 突然、岩澤が調子外れの声で笑ったかと思うと、急に真顔に戻った。

「……なんでこうなってるんだろうなあ。どこで間違えたんだろうなあ」

 そうボソリとこぼした岩澤の目は、完全に焦点が合っていなかった。だというのに、それは今まで見てきた岩澤の表情の中で一番、正気の状態に近いような気がした。

「岩ちゃん!」

 白石が、岩澤のスキンヘッドの頭頂部をベチンと引っ叩いた。その瞬間、岩澤は、

「ぅああっ」

 と、声を上げ、ブルブルと身を震わせた。

「大丈夫か?ほら、しっかりしろ」

「あぁああ」

 白石の介護によって、岩澤は元のラリった調子に戻った。

「おい」

 岩澤の背中をさすりながら、白石が俺を睨んだ。

「あんまり岩ちゃんを刺激すんなよ。刺されてえのか」

「えっ?」

 訊き返そうとしたが、その言葉が何を意味しているのかなんとなく察した俺は、すごすごと大人しくシートに着いた。

 どうにかこのバイトの運営側の正体を探ろうとしたが、失敗に終わった。白石が隣にいる限り、岩澤にこれ以上黒いキャップの男について追及をするのは無理だろう。

 しかし、得られた情報はある。確証はないが、あの黒いキャップの男は岡山という名前で、過去、岩澤と交流があったらしい。そして、明言こそされなかったが、その交流は、二人とも医者という職業に就いていた時のものらしい。

 岩澤の言葉を信じるのならば、岡山は医者ということになる。あの男が、医者。ということは、ここは病院か何かだろうか?

 言われてみれば、夜の暗闇で全貌は見えなかったが、この建物のシルエットは随分と大きかった。こんな寂れた街にある建物で、それだけの大きさを必要とする建物。病院という可能性は十分にあり得る。

 となれば、ここは病院の地下で、黒いキャップの男は医者。そいつから、渡されたポリタンク……。

 あの中には、一体何が入っているというのだ?

「あぁ、見て見て白石くぅん。俺の指であやとりしてるのがいるぅ。アハ、へへ、アハハ」

 後ろから聴こえてきた岩澤の意味不明な言葉が、先程まで頭の中で組み立てていた仮説を粉々に打ち砕いた。

 そうだ、こいつはシャブ中なのだ。こいつの言う事なんか信じてどうする。ラリった頭で適当な事を吐いているに違いない。それに、この男が医者だったなんて、到底思えない。こんな白衣よりも白い粉がお似合いの馬鹿に。

 ため息をひとつついて、窓の外を見た。灰色のコンクリートの柱、天井を這いまわる鈍色のダクトやパイプ、所々に設けられた分厚そうな金属の扉とシャッター、その付近に雑に積まれた大型のコンテナや台車。正に地下という景色だが、ここが病院の地下だとはとても思えなかった。病院ならば、いかに人目につかない地下とはいえ、もう少し小綺麗にしているものなのではないだろうか。

 ふと、未だに会話を続けている二人の方を窓越しに見た。黒いキャップの男が、怯えたような様子で大畑に話をしている。俺を早くこの場から立ち去らせてくれ。そう訴えかけているように見えた。対して、大畑の方は直立したまま、無表情でそれを眺めていた。蝋人形のような横顔からは、やはり何の感情も読み取ることができない。

 じっと眺めていると、ようやく話し合いが終わったのか、黒いキャップの男がヘコヘコと頭を下げてワゴン台を押し、逃げるようにシャッターの中へ入り込んでいった。ガラガラとシャッターが閉められると、一人になった大畑はポケットからスマホを取り出し、どこかに電話をし始めた。かと思ったら、一言二言だけ相手に何事かを伝えると、すぐに電話を切った。そのままスッと向き直り、車の方へ歩いて来る。

「お待たせしました」

 運転席に乗り込んでくると、大畑は開口一番にそう言った。

「では、これからまた移動します」

 即座にエンジンが掛けられ、黒いバンが移動を始めた。薄暗い地下を抜け出ると、入って来た時と同じ入り口から県道の方へ出て、またすぐに一般道の方へと入り込んでいく。その直前、それとなく後ろを向き、窓から先ほどまでいた建物を見遣ってみたが、そこには黒々とした大きなシルエットがぼんやりとそびえ立っているばかりだった。看板も何も見えず、街に蔓延る暗闇が建物を覆い隠しているようにも見えた。

 結局、何の建物だったのかは、分からずじまいか。

 俺は諦めて、前を向いた。これから、どこへ行くというのだろう。

 黒いバンは、また溶け込むかのように、暗闇の中を走っていた。俺たちと、中に何が詰まっているのか分からないポリタンクという積み荷を乗せて。

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