七
それから、バンは来た道を戻るように市街地から離れた一般道を走り続けた後、県境を越えるか超えないかくらいの辺りで、唐突に山間へ続く道へと逸れていった。窓から辛うじて見えていた街並みの灯りは消え去り、代わりに鬱蒼として暗闇に染まった雑木林しか見えなくなった。車通りは全く無く、所々に点在する外灯の灯りと、バンが発するヘッドライトの灯りだけが、それを切り裂くように暴いていた。
やがて、点在していた外灯は徐々に数が少なくなっていき、とうとう完全に消失した。と同時に、道路のアスファルトに引かれていた中央線も消え去り、道幅はぐっと狭くなった。絶対に来ないだろうが、もし対向車が来たとしたら、すれ違う際に肝を冷やすのではないか。そう感じられるほど狭い道幅だった。もっとも、あの大畑が肝を冷やすとは思えなかったが。
しかし、このバンは一体どこへ向かっているのだろう。まさか、この山を越える気なのだろうか。県境の辺りから逸れたということは、恐らくこの辺りには山しかないはずだ。隣県の主要な市街地はほど遠い場所にあるし、俺の住んでいる県の市街地からも、かなり離れていて、通り抜ける道など無かったはず。
山を抜ければ確か……隣県のこれまた辺鄙な町に抜け出るのではなかっただろうか。誰も寄り付かないような、田舎町に。
スマホがあれば正確な現在地を確認できるのだが……。それだけではない。乗り込んだ時から感じていたが、スマホが無いと何もやることがないのだ。手を持て余すばかりで、時間がかなり長く感じられる。
まさか、自分がこれほどまでにスマホ中毒だったとは思わなかった。ありもしないスマホを取り出そうと、何度ポケットの中に手を突っ込んだ事か。おかげで、窓の外を眺めるくらいしかすることがない。
しかし、窓の外は深い暗闇に染まった山の風景が延々と移り変わっていくばかりで、見応えも何もあったものではなかった。飽き飽きして車内に目をやったが、隣の女はシートにもたれながら窓に顔を向け、そんな見応えもない風景を眺め続けている。私に話しかけるな。そんなオーラが後頭部から発されているようだった。
後ろでは、白石がボソボソと岩澤をなだめていた。岩澤が呻き声や意味不明な言葉の羅列を吐き、それを白石が適当な調子であしらう。そんなやりとりが延々と続いていた。暇つぶしとして聞き入る気にもなれない。
苦痛だ。早く、目的地に着いてくれないだろうか。
そう考えていた時、ふと前方に赤い光が見えた。何だろうと目を凝らすと、それはトンネルの灯りだった。山間の暗闇の中に、ぼんやりと赤い光を漏れ放ちながら、トンネルが口を開けている。
やがて、猛スピードで走るバンが、その中に呑み込まれていった。薄暗かった車内に赤い光が侵入し、俺たちを妖しく染め上げていく。
……しかし、トンネルの灯りとは、こんなにも赤かっただろうか?もう少し、オレンジ色に近かったような気がするが―――。
そう感じていると、フッと車内に暗闇が戻ってきた。いつの間にかバンはトンネルを抜け出ていたようで、前方にはまた暗闇が広がっていた。
すると、猛スピードで走っていたバンが、徐々に減速し始めた。途中停車でもするのかと思っていると、バンの車体が急に右にぶれ、大きくグルンと左へ曲がった。下からグォンと、縁石の凹んだ部分を乗り越えたような感覚が伝わってくる。
その後、バンは右へハンドルを切り、道路と平行の状態になったかと思うと、ゆっくりと停車した。と同時に、焚かれていたヘッドライトが消されて、車内がより一層暗くなる。その暗闇の中、それとなく運転席の方を窺うと、大畑は腕時計を確認していた。
ライトまで消したということは、ここが目的地なのだろうか?
疑問に思い、窓の外に目をやったが、あるのは暗闇に染まった雑木林だけ……かと思ったが、その中に、薄ぼんやりと光を放つものがあった。
あれは、自動販売機だ。山間の暗闇の中、ひっそりと佇んでいる。
ここは、休憩場か何かだろうか?しかし、自動販売機以外に、それらしき設備は見当たらないが。
すると、ステテン、と音がして、バンのエンジンが切られた。
「みなさん、手荷物を置いて、車から降りてください」
大畑がこちらを振り向くことなく言い放った。やはり、ここが目的地だったようだ。
言われた通りに、ボディバッグを置き去りにして、重たいスライドドアを開け、外へと出た。肌をぬるりと生温い空気が撫ぜ、山独特の土の香りと青臭い植物の香りが混じり合ったような臭いが鼻に付く。靴の裏に何か感触があると思ったら、枯れた小枝と杉の葉を踏んでいた。暗闇のどこかで、何かの虫がフィリリリと鳴いている。
車からぞろぞろと全員が出ても、大畑が降りてくる様子は無かった。仕方なく、車のドアを閉めて、凝り固まった身体をほぐしていると、段々と暗闇に目が慣れてきて、辺りに何があるのかが見えてきた。
バンが停まっているのは、車があと十数台ほどは停められそうな、だだっ広い待避所だった。地面には道路と同じくアスファルトが敷き詰められているが、夥しい量の木の葉や木の枝が汚らしく散乱している。
待避所と山との境には、ボロボロに錆びついたフェンスが張り巡らされていた。よく見ると、通ってきたトンネルの入り口付近までずらりと続いている。
その反対側は?と見遣ると、やはりフェンスは延々と続いていて、その向こうにもトンネルがあった。遠くの方に、ぼんやりと赤い光が見えている。あちらもトンネル、こちらもトンネル。どうやら、ここは山と山の境目らしい。
件の自動販売機はバンの近く、待避所の中央辺りのフェンス沿いに佇んでいた。街灯はひとつも見当たらず、自動販売機だけが健気に光を発して待避所を照らし続けている。そのせいか、表面には蜘蛛の巣が張られていて、それにびっしりと虫の死骸が引っ付いていた。
降りろと言われて降りたが、本当にここが目的地なのだろうか?ここで一体何をさせられるというのだろう。
物を運んで捨てる……。まさか、その辺にあのポリタンクの中身を捨てるのだろうか。いや、そんなはずはない。そんな作業なら、四人も雇うことはないだろう。ましてや、高額な報酬を払ってまで。
ここからまだ何かあるはずだ。そう思案していると、ガチャッと音がして、大畑がようやく降りてきた。手に大きなランタンライトをぶら下げていて、辺りの地面が煌々と白く照らされている。
大畑はそれを俺たち四人が並んでいた目の前に置くと、腕時計をチラッと見遣り、こちらに向き直った。
「それでは、これからみなさんにやって頂くことを説明します」
ようやくか、待ちかねたぞ、という空気が俺たちの間に流れる。が、大畑はそんな空気など気にする風でもなく、淡々と説明を始めた。
「みなさんには、先程トランクに積んだポリタンクを、とある場所まで運んでもらいます。そのとある場所とは、そこに見えている山の頂上です。そこに、今はもう使われていない古い井戸があります。その中に、ポリタンクの中身を一滴残らず捨ててきて頂きたいのです。こちらでポリタンク専用の背負子を用意していますから、それを使ってください。山の中を歩くことになりますが、作業着と長靴をこちらで用意していますので、それを身に着けて作業を行ってください。……大まかな流れの説明は以上になりますが、何か質問はありますか―――」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます