ようやく説明が終わったが、俺たちは揃って黙り込んでいた。

 別に、大畑の説明が聞き取れなかったわけではない。逆に、口調こそ無機質だったが、説明ははっきりとしていて無駄がなく、一言も聞き逃さずにきちんと理解することができた。

 だが、俺が――恐らく他の三人も同様に――ポカンとしていたのは、その不可解な作業内容を聞いたからだった。

 山に登り、その頂上にある古い井戸に、ポリタンクの中身を捨ててくる……?

「おい、どういうことだよ?」

 俺の心の内を代弁するかのように、白石が声を上げた。

「わけ分かんねえぞ。なんでそんなことしなきゃならねえんだよ?」

 白石が、気怠そうに言った。恐らく、重量物を抱えて山に登らなければならないのを不服に思っているのだろう。

「……その質問には、お答えできません」

 大畑は、眉一つ動かさずに答えた。

「おいおい、ちょっと待てよ。いくらなんでもおかしいだろ。それに、あんたはついてくるのか?」

「私は、ここに残ります。頂上には、みなさんだけで行ってもらいます」

「はあぁ?そりゃないぜ、大畑サンよ。あんた、このバイトの責任者だろ?俺たちを引率する義務があるだろうが。それに、あんな何が入ってるのかも分からねえポリタンク――」

「白石さん」

 大畑が冷静に、だが、ぬるりと刺すような不気味さを含ませた声で、白石の言葉を遮った。

「電話で連絡を頂いた際に、説明したはずです。内容に関する質問は受け付けないと。もしそれを――」

「大体よぉ、何か怪しいと思ってたんだよなあ。俺たちからスマホ取り上げてよ、こんな真夜中に妙な取引してよ。しかも、それを捨ててこいだぁ?」

 今度は、白石が大畑の言葉を遮った。

「よく分からねえが、あれの中身ってヤバい代物なんだろ?そんな危険なものを運ぶなんざ、俺はごめんだね。しかも、あんたは無責任にも引率しないときた。もし警察か何かに見つかったら、トカゲの尻尾みてえに俺たちを切るつもりなんだろ、ああ?」

 白石はピンと張り詰める空気の中、つらつらと文句を垂れた。何のつもりだ、怖くはないのかとビクビクしていたが、内容が正論なだけに、その言葉の全容を否定する気にはならなかった。

 口にはしなかったが、俺もまったく同じ疑問を抱えていたからだ。

 だが、

「俺らに犯罪の片棒を担がせようってんなら、それなりの見返りを貰わなくっちゃなあ。ハイなリスクを背負わせるなら、ハイなリターンをってやつだ」

 そこまで聞いて、俺は呆れかえった。どうやら白石は、報酬の値上げを要求しているらしい。まったく、この男は一体どこまで怖いもの知らずなんだ。脳味噌からそういう思考回路が欠落しているのではないだろうか。そういった意味では、ずっと黙り込んでいる岩澤の方が遥かに利口に見える。

「五十万かあ。割に合わねえなあ。……で、どうすんだ?」

 白石が、ズイッと大畑に詰め寄った。白石は背こそ低かったが、横にガタイが良く、後ろからでも迫力が伝わってきた。もし、俺がああいう風に詰め寄られたら、縮み上がってしまうだろう。

 しかし、大畑は全く動じている様子は無く、無表情で白石を見下げていた。瞬きひとつせず、蝋人形のような顔をジトリと向けている。

「……白石さん」

 大畑がまた、ぬらりとした不気味な声を上げる。

「もし、こちらが事前に説明した条件を守って頂けないのなら――」

 張り詰めた空気が破裂する気配を感じ、思わず息が止まった。まさか―――。

「ハハッ!」

 突然、白石が素っ頓狂な笑い声を上げた。

「ハハハハハハッ!冗談だよ!ちょっと欲張って、吹っ掛けてみただけさ。山登りして五十万だろ?喜んでやるよ。なあ、岩ちゃん」

「う、あぁあ、口で一発五千円ん?」

「ちげえよ、それは俺の元カノのことだろ」

「ああ、違うのかぁ……ひっ、残念だなぁ」

 唐突に緊張の糸が切れ、ドッと息を吐いた。場に張り詰めていた空気が、意味不明なやりとりによって散らされていく。

 まったく、何を考えているんだこいつは。得体が知れない運営側に対して値上げ交渉なんて。思考回路どころではない。この男は、頭のネジが二、三本外れているのではないだろうか。きちんと常識を持ち合わせているこちらの身にもなってほしい。

 岩澤も岩澤だ。おかげで場の空気こそ緩んだものの、意味不明な言葉を吐きやがって。先程までは、黙っているだけで利口に見えると感じていたが、前言撤回だ。やはり所詮、シャブ中はシャブ中だ。

 頼むから、こんな奴等と一緒にしないでくれ。そう念じながら大畑の方を窺うと、ほんの僅かだが、眉をひそめていた。会ってから初めて、凝り固まった表情が崩れたのを見た気がした。俺と同じように、何なんだこいつらと思っているに違いない。

「……では、作業着をお渡しします」

 大畑は顔をまた無表情に戻すと、バンの助手席のドアを開け、中から大きなボストンバッグを取り出した。それを地面に置くと、今度はその中から二メートル四方ほどのブルーシートを取り出して、俺たちの目の前に広げた。そして、その上で開きっぱなしのボストンバッグを逆さまにして、中身を盛大にぶちまけた。

「どれでも構いませんから、サイズが合うものに着替えてください」

 それは、たくさんのツナギだった。色とりどりの――といっても黒、灰、紺、茶など、地味な色ばかりだった――ツナギが、ごちゃごちゃと塊のようになってブルーシートの上にぶちまけられていた。よく見ると、どれも薄汚れている上にサイズやデザインが違っていて、まるでゴミ捨て場から拾ってきたかのようだった。

 おずおずとブルーシートの上に膝をついて、その中からひとつ手に取り、広げてみた。表面は皴だらけで、使われている生地はやけに薄っぺらく、まるで使い捨ての安物のような印象を受ける。

 こんなものを着させられるのか……。まあ、山の中を歩かされるのだから、そのままの格好よりはマシだろう。

 手に取ったものではサイズが合わず、他のものを物色した。他の三人も、それぞれ自分に合うツナギを探しているようだった。

 これは小さすぎる。これは大きすぎる。これは汚すぎる。丁度いいのはないか、どこかに……ん?

 不意に、目に付いた紺色のツナギを手繰り寄せた。

 これは……。

 胸の部分に、鳥が袋を咥えたデザインのロゴが小さく刺繍されていて、背中には、社名が刺繍されている。……やはり、間違いない。

 これは、鴻鳥こうのとり運輸のツナギじゃないか。俺が今、勤めている会社の。いや、正確には、派遣されている会社の……。

 事務作業員の俺はこれを着たことはないが、倉庫勤務の正社員の連中は全員これを着て作業をしていたはずだ。

 それがなぜ、ここに……。

「おい、それ着るのか」

 横を見ると、白石がボロボロのツナギを手に広げていた。思わず、

「は、はい」

 と、答えると、白石は、

「そうかい、いいの見つけたな」

 と、広げていたツナギを放り投げ、別のものを物色しだした。

 しまった。咄嗟に〝はい〟と答えてしまったが、サイズが合うだろうか?

 試しに、立って身体にあてがってみると、丁度いいサイズだった。俺の身の丈に、ぴったりフィットしている。よく見ると、薄汚れてこそいるが、他のものと比べて生地がしっかりしている上に、ほつれや破けは見当たらなかった。白石が〝いいの〟と言っていただけある。

 ……これも何かの縁か。

 俺は因縁めいたものを感じながら、鴻鳥運輸のツナギに袖を通した。まさか、これを着ることになるとは。給料の良い正社員になりたいと日頃から願ってはいたが、まさかこんな形でその気分を味わうことになるとは思ってもみなかった。それも、倉庫勤務か。なんとも世知辛い。

 身なりを整えていると、白石と岩澤も自分に合うツナギを見つけたようで、それぞれ袖を通していた。白石は濃い茶色のツナギを、岩澤は黒いツナギを選んでいる。

 そんな中、名前も知らない女だけが、なぜか灰色のツナギを抱えたまま硬直していた。

 もしや、周りが男だらけで着替えづらいのだろうか。自分たちのように、そのまま上から重ねて着れば問題なさそうに見えるが、ジャージを脱がないと何か不便な事でもあるのだろうか。

 それを察したのか、大畑が、

「アマネさん。車の方で着替えてもらっても構いませんが」

 と、言い放った。が、女は大畑の方をじっと睨むと、おずおずとツナギに袖を通し出した。やはり、ジャージを脱ぐ必要はなかったようだ。

「へえ、あんた、アマネっていうのか」

 白石がニヤニヤしながら、ツナギ姿になった女――アマネに呼びかけた。が、アマネは白石の方を見ることもなく、ぶすっとした顔を明後日の方向に向けた。

「けっ、愛想ねえな。アマネちゃんよ」

 無視をくらった白石が毒づいていると、大畑が助手席から、今度は長靴を複数抱えて持ってきた。

「これに履き替えてください」

 ブルーシートの上に長靴が並べられていく。こちらもツナギと同様に、どれも薄汚れていて安っぽく、サイズもデザインもひとつひとつ違った。

 慣れたものですよと、その中からサイズの合うものを探して履き替えた。無償の支給品なので大っぴらに文句は言えない。

 ツナギの裾を長靴の中にしまい込んでいると、ガチャンと音がした。顔を上げると、大畑がバンのバックドアを開いていた。長靴の履き心地を確認しながら、全員でぞろぞろとそちらに向かうと、ダンボール箱と20リットルのポリタンクが三つ、地面に引きずり下ろされていた。大畑はしゃがみ込んでいて、ダンボール箱の中からハーネスのようなものを複数取り出している。

「これがポリタンクの背負子です」

 そう言うと、大畑はトランクの空いたスペースに、そのハーネスのようなもの――背負子を置き、その中のひとつを20リットルのポリタンクに手際よく装着しだした。金属製の枠に付いているいくつものワンタッチベルトによって、ポリタンクが縦横に縛り上げられていく。最後に、ポリタンクがずれないかを念入りにチェックされ、装着は完了した。

「このように取り付けてください。運搬中にポリタンクがずれないように、ベルトは強めに締めておいてください。では」

 装着が完了した背負子は、アマネに回された。どうやら男連中は自分でやれという事らしい。仕方なく、背負子をひとつ取って、地面に置かれていた残りのポリタンクに見様見真似で装着した。

 強めに締めろと言われたが、実際に締めてみるとワンタッチベルトは絶妙にポリタンクの大きさに合うように長さが調節されていて、ほとんど締め上げる必要はなかった。恐らく、このバイトが今までに何度も行われているせいだろう。

 一応、ベルトをひとつひとつ締め上げてから、ポリタンクがずれないかどうか確認してみたが、揺さぶってみてもほとんど動くことはなかった。これなら、問題なく運搬できそうだ。問題は、重量だが……。

 身をかがめてショルダーベルトに腕を通し、そのまま立ち上がるようにして、背負子を背負ってみた。ショルダーベルトがグンと肩に食い込み、背中がミシミシと悲鳴を上げる。

 これは、きついぞ……。立っていられない程ではないが、この状態で山を登るとなると、かなりの重労働になるだろう。

 ……待てよ。

 ふと、アマネの方を見た。背中を曲げて、辛そうにポリタンクを背負っている。無理もない。男の俺でさえ、きつく感じるのだ。この背負子を女が背負うのは、正に荷が重いだろう。アマネは体格が小柄で貧弱だし、普段から肉体労働をしている風でもない。途中で投げ出してしまうのではないだろうか。

 しかし、そうなったとて、とても20リットルのポリタンクをもうひとつ抱える余裕など……。

 先が思いやられていると、

「あぁあらぁあ!」

 と、岩澤が突然、奇声を上げた。血色の悪い顔をより一層真っ青にして、肩をガクガクと震わせている。

「ヤベっ!そうだった!」

 白石は抱えていた背負子を置くと、岩澤の肩を抱えて、

「ちょっと待っててくれよ。岩ちゃんに気合を入れてくるからさ」

 と、言い放ち、慌ただしくバンの中へと消えていった。

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