四
やがて、バンは高速道路の高架下を沿うように続く道路へ出ると、県境を越えて隣の県へと入った。その後、まるで遠回りをするかのように、ぐるりと市街地を避けながら一般道を走り続けたかと思うと、唐突に県道に抜け出て、大きな建物の駐車場に入り込んだ。
そこは明らかに建物の正面ではなく、裏側だと思われた。やけに辺りが暗い上に、フェンスが張り巡らされた駐車場の入り口に〝従業員専用〟と書かれたボロボロの看板が掲げられていたからだ。
バンはそのままどこに駐車するでもなく、降り口から建物の地下へと入り込んでいった。地下も駐車場かと思ったが、どうやら違うらしかった。駐車スペースこそ設けられていたものの、その数は少なく、大きな建物の地下にしては随分と狭苦しく感じられた。太いコンクリートの柱がズラリと並ぶ両側の壁の合間には、防火扉のような大きい金属製の扉とシャッターがはめ込まれるようにいくつも存在していて、その近辺には大型のコンテナや台車が不規則な並びで置かれていた。
ここは、業者の搬入口なのではないだろうか。そう考えていると、一番奥の突き当りの、明らかに駐車スペースではない場所に、バンは停まった。周囲に他の車は一台も見当たらず、俺たちの乗ったバンだけがポツンと建物の地下に存在していた。
大畑はエンジンを切ると、腕時計を確認していた。車から降りる風でもなく、何かを待っているかのようだった。
とりあえず目的地に着いたらしいので、俺は座ったまま軽く腰と背中を捻った。背骨が腰の辺りから上に向かって連鎖するように、パキパキと小さく鳴っていく。他の面々も、軽く伸びをしたり、深呼吸をするなどしていた。
一体今何時なのだろうと、ポケットからスマホを取り出そうとして、没収されていたことを思い出した。腕時計もしていないし、時刻を確認する手段がない。体感的には一時間以上乗っていた気がするが……。
ここは一体どこなのだろうか。県境を超えたので、隣の県の地域であることには間違いないが、見知らぬ道を通ったせいで、上手く位置関係が掴めない。夜の暗闇のせいで、街並みがあまり見えなかったというのも、それを手伝っている。この地域はあまり栄えていないのか、まだそこまで夜も更けていないというのに、灯りが灯っていた建物は、コンビニやコインランドリーくらいだった。
まあ、ここがどこなのかを気にする必要はあまりない。肝心なのは、何をするかだ。見たところ、ここは業者しか入れないような場所らしいが、一体ここでなにをさせられるのだろう。
……いや、違う。ここで何かをさせられるわけではない。恐らくここは、荷受け口だ。
中村の言葉を思い出した。
〝最後は運んだものを捨てるんだと〟
そうだ。このバイトの内容は、何かは分からない物を運び、それをどこかに捨てて帰ってくる、というものだった。
ということは、ここでその何かは分からない物を渡され、それをどこかに運んで捨てるのだろう。
しかし、一体何を渡されるというのだ。ロケーション的には、反社会的な人間が闇取引をしそうな場所ではあるが。まさか、やはり麻薬か何かを運ばされるというのだろうか。いや、中村はそういうのじゃないらしいと否定していたはずだが……。
途端に、行く末が不安になってきた。中村のことだ。適当なことを言った可能性も、無きにしも非ずだ。もし不安が適中すれば、自分は犯罪者という属性に片足を突っ込むハメになるのではないか。
そう考えていた時、
「おい、俺らはどうすりゃいいんだ?」
と、白石が気怠そうに声を上げた。
無論、それは俺や女や岩澤に投げかけられたものではなかった。白石は初めて、大畑に向かって質問を投げかけたのだ。
その瞬間、反射的に、このバイトをするに当たっての条件が頭に浮かんだ。
バイト中は、余計な質問や詮索をしないこと。
それを、白石は無謀にも反故にしたのだ。恐らくは、何の考えも無しに。
車内に緊張感が走り、思わず息を呑んだ。隣の女もそれを感じ取ったようで、運転席の方を窺っている。
俺も恐る恐る、運転席の方を見ると、大畑がルームミラー越しにこちらをじっと睨んでいた。ここに来る道中に見た時と同じく、その目つきは冷たかった。
一体どうなるというのだ。肝を冷やしながら行く末を見守っていると、
「……しばらく待っていてもらえますか?」
と、大畑が丁寧な、だが、やはり無機質な口調で答えた。
ふっと緊張の糸がほぐれたのも束の間、白石が、
「なあ、外に出ちゃいけねえのかよ。タバコ吸いてえんだ」
と、再び空気を読まずに声を上げた。
「……すいませんが、外には出ないでください」
大畑が相変わらず無機質な口調で答えると、白石はようやく自身の状況を理解したのか、それとも何も理解していないのか、
「ちぇっ、いいじゃねえか、タバコくらい」
と、小さく文句を言った。
車内にまた沈黙が満ち、小さな嵐が過ぎ去ったことに安堵した。まったく、この白石という男は何なのだ。臆面もなく、ずけずけとものを言って。悪い意味で、あっけからんとしている。大畑——このバイトの運営側は得体が知れないというのに、怖くはないのだろうか。
鈍感というのは、本人はいいとしても周囲にとっては考え物だな。そう、心の中で毒づいていると、不意に、
———ガチャ
と、音がした。窓の外を見ると、近くにあった金属製の扉がひとつ開いていた。
そこから、上は黒のTシャツ、下は青のゆったりとしたズボン、頭には目深に黒いキャップという出で立ちの男が現れた。車の方を見るや否や、辺りをきょろきょろと見渡しながら、近付いて来る。
すると、大畑がそれを待ちわびていたかのように、
「少しの間、待っていてください」
と、ドアを開け、外に出ようとした。
「おいおい、俺らは?」
白石がまた懲りずに質問すると、大畑は、
「みなさんは外に出ないでください。絶対に」
と、無機質に、だが、若干語気を強めて言い放ち、外へ出てバタンとドアを閉めた。
「チッ、何なんだよ、あいつだけよ。なあ、あんたもそう思うだろ?」
白石が同調を求めてきたが、俺は、
「はあ……」
と、適当に言葉を濁しながら、窓の外の様子を窺った。
大畑は黒いキャップの男に近寄ると、何やら話し込んでいた。そこでようやく分かったが、大畑は黒い作業服の上下に身を包んでいた。しかし、その表面はやけにパリッとしていて、卸し立ての新品のように見えた。
二人が話し込んでいる場所からは若干距離があったので、会話は聴こえてこなかったが、雰囲気を察するに、大畑の方が立場は上のようだった。いや、対等なのかもしれないが、黒いキャップの男はやけにオドオドとしていて、腰が引けているように見えた。会話をしている最中も、しきりに辺りをきょろきょろと気にしていて、まるで見つかるのを恐れているかのようだった。
やはり、このバイト自体は後ろ暗いものらしい。ここで何かを渡される取引があるのだろうが、こんな人目につかない場所でなければならないということは、その何かとは、見つかったらまずい代物なのだろう。それこそ、白日の下に晒したら世間の非難を浴びるような……。
「なあ、さっき訊きそびれたけどよ、あんたはどうやってこのバイトのこと知ったんだ?」
白石が有耶無耶にしていた質問を蒸し返してきた。仕方なく、車内の方に向き直ると、
「僕は、友達から教えてもらったんですよ」
と、正直に答えた。車内に大畑がいない今、何も気にする必要はない。
「そうかい。俺は現場のチャイナから聞いたんだ。いいバイト知ってるヨーってな」
「チャイナ?」
「ああ、中国野郎のことだよ。あいつら、よく日雇いで現場に来るんだ」
白石の職業がどういうものなのか、なんとなく察しがついた。大きなガタイに太い腕、日焼けした顔。恐らくは、建築業か何かの現場職人なのだろう。
「白石サーン、金コマテルならショーカイしたげるヨーって、舐めた口利きやがったから、親方に言って次の日からクビにしてやったけどな、へへっ」
白石はその中国人らしい声真似をしながら、自らの蛮行をまるで武勇伝のように語った。
「しかし、俺も電話するまでは半信半疑だったぜ。一晩で五十万貰えるバイトなんてよ。あっ、あんたはいくら貰えるって聞いてるんだ?」
「え?五十万円ですけど……」
「本当だろうな?」
「は、はい」
「へー、ってことは、全員一律なのか。じゃあ、俺ら四人分のギャラを合わせたら、二百万円にもなるってわけだ」
どうやら、白石はこのバイトの内容や報酬についての擦り合わせをしたいらしい。一応は俺と同じように、この一連の状況をきな臭く思っているのだろう。
「なあ、何をやらされると思う。わざわざ俺らみたいな奴を雇って、それに二百万もギャラを払うんだ。やっぱ、犯罪の片棒を担がされるんじゃねえか?」
そう言う白石の目は、どこかこの状況を楽しんでいるように見えた。
「どうなんでしょう。確かに犯罪の臭いはしますけど、何を運ばされるかは——」
「運ぶ?」
突然、白石が薄い眉をひそめた。
「おい、運ぶって何をだよ」
「えっ?」
まさか、白石は何かを運ばされるということを知らなかったのだろうか。
「あんた、何か知ってるのか?まさか、あっち側の人間じゃねえだろうな?」
あっち側とは、バイトの運営側のことだろうか。
「そ、そんなんじゃありませんよ。ただ、このバイトのことを教えてもらった友達から、何かを運ばされるらしいって聞いたんです」
慌てて弁明したが、白石は薄い眉をひそめたままだった。
「おい、あんまり俺を舐めるなよ。どうこうしようってんなら、タダじゃおかねえからな」
白石の言う〝どうこう〟が一体何を指しているのかは分からなかったが、俺はどうやら脅されているようだった。嘘をつくな、裏切るんじゃねえぞ、と。
「舐めるなんて、そんな……」
威圧感が漲った目で凄まれ、思わず言葉を失った。車内に、ピリリとした沈黙が張り詰める。
「……ハッ、冗談だよ。でも、お互いに嘘は無しだぜ」
数秒の後、白石が沈黙を破った。場の空気が緩み、ほっと息をついたが、白石の目の奥は笑っていなかった。
「へえ、何かを運ぶのか。何だろうな。見つかったらヤバい物ってことは、やっぱシャブ的なやつか?」
「シャブぅ!」
突然、岩澤が声を上擦らせた。
「うぁああ、ハッパより、冷たいのがいいい」
「おい、岩ちゃん、落ち着け。冷たいのなら、まだ持ってるだろ」
「あぅ、うん。持ってぇるよ。大事にとってるう、るふふぅ」
「偉いぞ。ちゃんと仕事の前にキメろよ」
「うぅふふふ。アハ、アハ」
白石から子供のようになだめられ、岩澤は初めて笑顔を見せた。涎まみれの口から覗く歯は、どれも黄ばんでいる上にガタガタで、溶けかかっているものもあった。
それを不快に思っていると、突然、
———ガラガラッ
と、音がした。窓の外に目をやると、二人が話し込んでいた扉の近くのシャッターが、黒いキャップの男によって開けられている最中だった。
あれ?大畑はどこに———。
そう思っていると、今度は真後ろでガチャッと音がした。振り向くと、白石と岩澤が座るシートの向こう側から、外の空気が流れ込んできた。
バックドアが開けられたのか。そう理解した瞬間、そこから大畑が顔を出した。
「みなさん、車から降りてください―――」
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