二十三

 突然の出来事に、身体が硬直する。

 今のは、確実に、白石の―――、


「オイッ」


 また、声がした。化け物に殺されたはずの、白石の声が。

「……ぁ」

 驚きのあまりに、声にならない声が口から漏れた。

 ……聞き違いか?


「チッ、おい、開けろよ」


「……っ!」

 思わず、後ずさりをした。

 聞き違いではない。確実に、白石の声がしている。


「おい、開けろって」


 息を呑んだ。声は、確実に外から聴こえている。が、格子戸の向こうには、何の姿も無い。あの化け物の姿すら。


「チッ、開けろって。おい」


 振り返ると、アマネが怯えた顔をこちらに向けていた。どうやら、俺の耳がおかしくなったわけではないようだ。おかしいのは、この状況の方か。

 死んだはずの人間の声がするなど―――。


「開けろって!」


 語気が強まり、ひっ、とアマネが息を呑んだ。庇うように、格子戸の方へ向き直る。

「……し、白石さん?」


「ああ、開けろって」


 姿の見えない白石が答えた。しかし、声以外には、不気味なくらいに何の音もしない。

「い、生きてたんですか?」

 混乱のあまりに、素っ頓狂な質問をしてしまった。

 死んだはず……しかし、その瞬間を明確に見たわけでは……。


「ああ、だから、開けろって」


 ……そんなわけあるか。少なくとも、左足は千切れ飛んでいるんだぞ。あんなに平静な声を出せるものか。


「白石さん、左足が……」


 格子戸の向こう、石造りの地面に横たわっている、白石の左足を見つめた。なぜか、靴下が凄まじい臭いだったなと、くだらないことを思い出す。


「チッ、ああ、そうだよ。だから、開けろって」


「……っ!」

 先程から感じていた違和感の正体に、ようやく気が付いた。

 どこか支離滅裂な受け答えもそうだが、声がなのだ。まるで録音した声から単語を抽出して繋ぎ合わせ、無理矢理ひとつなぎに合成したかのような、そんな声なのだ。

 ―――声は白石のものだが、絶対に白石じゃない。

「やめろっ!そんなことしたって――」


「あぁ?ンだよ、岩ちゃん」


 白石の声を模した何者かが、唐突に岩澤の名を出した。と思うと、


「開けろって、大畑サンよ」


「おい、お前、開けろって」


「アマネちゃんよ、おい」


「あんた、開けろって」


「開けろって、ビビリの内藤クン」


 次々に、声が飛んできた。

 ……まさか、俺たちの名前を知らない?

 手当たり次第に、当てずっぽうで呼びかけているのか?

「……っ、お前は、白石じゃないっ!」

 震える喉で、絞り出すように叫んだ。一応は、威嚇をしたつもりだった。そんな真似をしたところで、俺たちは騙されないと、強がったつもりだった。

 だが、


「……あぁ?………なんで?」


 聞き覚えのある調子の声だった。これは、白石に詰められた時の……。

 声自体には感情が籠っているはずなのに、まるで魂の伴っていない死体と無理矢理会話させられているようで、不気味さが増した。強がったつもりが、より一層恐怖を煽られる。


「開けろって」


「開けろって」


「開けろって」


 壊れたステレオのように、白石の声がリピートされた。


「開けろって」


「開けろって」


「開けろって」


 舌が強張り、喉が詰まる。反論する勇気が、みるみる消え失せていく。

 やめろ……!やめてくれ……!


「チッ……なあ、あんまり妙なこと言ってっとさあ、幽霊がいるって信じてるんだろ、なんで黙ってんだよ、フン、ちょっとは相手してくれたっていいのによ、いいじゃねえか、なあ、外に出ちゃいけねえのかよ」


 これは……今までに、白石が発した言葉を使っているのか……!

 声を継ぎ接ぎしているせいか、抑揚が妙な事になっていて、全体的に調子が外れていた。それがまた、酷く不気味に感じられる。

「……黙れっ!」

 消え失せていた勇気を、どうにか奮い立たせて怒鳴った。が、気が引けてしまっているせいか、それは酷く弱々しい響きになった。


「……ハハッ!何ビビってんだよ」


 嘲笑うかのように一蹴された。それでも、

「うるさいっ!消えろっ、お前なんかっ!」

 と、強がった。幼稚な言い合いだったが、それでも、負けてはいけない気がした。白石の声を真似ている何者か――恐らくは、あの化け物に。

 しかし、短い沈黙の後に聴こえてきたのは、


「いいバイト知ってるヨーってな」


「……えっ?」

 突然の、何の脈絡もない間の抜けた言葉に、思わず声が出た。


「ケッ、可愛くねえなあ、もしかして、お前らヤってたのか?あんまりやってると、今週の分使い切っちまうぞ、何なんだよ、あいつだけよ、岩ちゃん!刺されてえのか?このバイトの責任者だろ?ビビリの内藤クン、タバコ吸いてえんだ、白石サーン、きっと人違いだろ、丁度いいや、おっ、気合入ったか?アマネちゃんよ、レディーファーストってか、感謝してくれよな、クソッ、なんで謝るんだよ、いいじゃねえか、一晩で五十万貰えるバイトなんてよ、優しいねえ……」


 つらつらと、白石の発してきた声が、意味不明な羅列で繋がれた。

 最早、こちらを騙す気は無いようだった。やけになったとでもいうのだろうか。先程までは、開けろ開けろと連呼していたのに。

 と、その時、突然、


「だからぁ、無理だっつってんだろうがっ!」


 意味不明の羅列に、聞き覚えのない声が混ざりだした。


「金がねえってさっきも言ったじゃねえか!おせえな、大体、お前が黙ってたから悪いんだよ、それまで休憩だ、勝手にしろ、クソがよ、痛えじゃねえよ、ガタガタうるせえな、そんな風には見えねえけどな、いいからさっさと病院行ってこいよ、ぁあ!?また借りてくりゃいいだろうがっ!」


 それは、どれも怒鳴り声だった。今までに聞いたことがない白石の―――。


「呼んでくりゃいいだろうが、さっき訊きそびれたけどよ、そんなんだから、お前は何にも分かっちゃいねえんだ、普通は言うだろ、おーい親方ぁ!ここの図面は?別れてどうする気だよ、お前みてえな奴、じゃあビールで、タバコくらい、昨日マジでヤバくてさ、確変入っていくら勝ったと思う?片親のくせに俺に指図すんじゃねえよ、だから、金なんてねえよボケッ!うるせえっ!一人で行ってこい!」


 継ぎ接ぎの白石の声が続く。それは、苛立ち、歓喜、疑問、侮蔑と、次々に声色が移り変わっていき、


「おぉい!俺の十八番入れろ!お前らに人権なんかねえよ、クソチャイナが、あぁ?ちゃんとやってきたか?あなぁたはぁわたしぃのぉ、で、いつからヤレんの?キレッキレだな岩ちゃん!運ぶって何をだよ、おしみもぉおせずにぃいい、ぁあ?付けねえよ、持ってねえし、いいだろ別に、お互いに嘘は無しだぜ、知らねえよそんなこと、ぁあ?次?はいはい、そんときゃ、また、ハッハッハ!ヤバすぎんだろ!すごしてぇきたのぉでしたぁあ、ああ、そろそろ別のに乗り換えてえんだよなあ、いいのがいたら紹介してくれよ、あんなのさっさと切ってさ、あっ、い、いたっ、ぎゃ……——――――あっ……ぎゃあああああっ!」


 最後は、聞き覚えのある断末魔の叫びへと変わった。

「……っ!」

 あの時の恐怖を追体験させられ、腕が、足が、ガクガクと震えだした。不意に袖を引かれて振り返ると、アマネが今にも泣きそうな表情を浮かべていた。

 くそっ……!何がしたい?俺たちを、怖がらせようとしているのか?近付けないなら、せめて白石の声で精神的に追い詰めてやろうとでも考えているのか?

 断末魔の叫びを最後に、静寂が続いていた。耳がヒリついていき、口の中がカラカラに渇いていく。手に、顔に、背中に、ジワリと汗を掻いていく。

 ——―怯むな、挫けるな、怖がるな。そうすれば、思うつぼだ。

 震える身体を無理矢理黙らせると、ポケットの中から木札を取り出し、握り込んだ。

 これがあれば、きっと大丈夫なはずだ。現に、白石の声を真似ている奴は、一向にお堂の中に入って来ないではないか。

「……アマネさん、ここから出ましょう」

 袖を引いていたアマネに呼びかけた。が、アマネは泣きそうな顔をしながら、首をブンブンと横に振った。

「大丈夫です。これがあれば、きっと大丈夫ですから」

 木札を見せて、なだめるように諭した。が、アマネは震えながら、顔を伏せてしまった。さっきの白石の声が、よほど堪えたらしい。

 無理もない。俺だって、本当ならば外へ出たくないのだ。できることなら、ここに閉じこもって身を守っていたい。しかし、ずっとここに留まっていても、事態は好転しないのだ。

「行きましょう、きっと大丈夫——」


 ——―キィイイイイン


「う、ぁあっ……!」

 突然、高周波のような音が響き、思わず耳を塞いだ。

 くそっ……!今度は何だ?

 まるで、激しい耳鳴りのようだった。耳の中でキィンキィンと音が反響し、脳味噌がほじくられているような感覚が続く。

「ぐっ……ぁあっ……!」

 耐えられずに、床に膝をつくと、アマネが俺に取り縋るようにして崩れ落ちていた。耳を塞ぎながら、また息を荒げている。アマネにも、この音は聴こえているらしい。

 やめろっ……!一体、何だというんだ……!

 床に伏せて、歯ぎしりしながら耐えていると、唐突に高周波のような音が止んだ。身体を起こし、変になりそうだった頭を振って、目をしばたたかせる。

 何だったんだ、今のは……。

 お堂の中を見渡すが、別段、何の変化も無かった。膝立ちになり、格子戸の向こうを見るが、やはり何の姿も無い。

 今のも、化け物の仕業だったのだろうか?白石の声では無理と分かり、今度は高周波のような音で俺たちを攻撃してきたのだろうか。随分と直接的な手段に出たものだ。

 そのまま、しばらく様子を見たが、辺りはまた静寂に包まれていた。耳が変になったのかもしれないと思い、軽く叩いてみたが、音はまともに聴こえていた。

 恐らく、化け物の悪あがきだったのだろう。近付けないことへの、せめてもの嫌がらせだ。

 やはり、この木札があれば襲われないことは確かだ。ならば、大手を振ってここを出て行ける。

「アマネさんっ」

 へたり込んでいたアマネの肩を抱える。

「ここから出ま――」


 ——―おぎゃああああっ


 アマネと、顔を見合わせた。

 すぐ近く、格子戸の向こう側から、赤ん坊の泣き声がした。

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