二十

 どうやら、メモ帳のアプリを使って、やりとりしようとしているらしかった。俺もスマホを立ち上げると、ほとんど使ったことのないメモ帳のアプリを開く。


 〝何もいない、でも、あれがまだいるかも〟


 文言を打ちこみ、アマネに見せる。と同時に、画面のサウンドモードのアイコンを指差して、サイレントにするように命じた。

 アマネは指示通りにサウンドモードをサイレントにした後、また文字を打ち込んで見せてきた。


 〝あれ なに?〟


 アマネの顔には、まだ怯えの色が残っていた。


 〝しらない〟


 と打ち込み、画面を見せる。そんなの、こっちが訊きたい。


 〝あいつはしんだの?〟


 〝しらいし?〟


 アマネが頷く。


 〝死んだ、殺された、あれに〟


 画面を見せると、アマネは口元を手で押さえた。怯えの色が、より一層濃くなる。

 文言を消すと、新たに打ち込んで画面を見せた。


 〝足は、大丈夫か〟


 アマネは、長靴を履いていない右足をさすった後、


 〝痛い けど動ける たぶん〟


 という文言を見せてくると、その下にまた、


 〝逃げるの?〟


 と、続けた。

 俺は、もう一度膝立ちになり、格子戸から外の様子を窺った。が、やはり何の姿も見えず、辺りは不気味なくらいに静まり返っていた。

 すごすごと、座り込む。


 〝危険、ここにいた方がいいかも〟


 その文言を見せ、俺は顔を伏せた。

 恐らく〝いつまでここにいるの?〟と、訊かれるだろう。その問いに、俺はどう答えていいか分からなかった。

 一応は隠れられているが、あの化け物に見つかるのは時間の問題かもしれない。かといって、外へ出て行けばあっという間に見つかって襲われるかもしれないのだ。

 朝までここにいれば……しかし、今の時刻は一時過ぎ。あと四時間近くもここで待つというのか。夜が明ける前に、気が触れてしまいそうだ。それに、朝になればあの化け物が消え失せるという確証もない。

 そもそも、あの化け物は何だ?幽霊や、妖怪か何かなのか?そんなものの存在など信じていなかったが、あんなにも姿が怪物じみているものなのか?

 疑問と恐怖と焦燥で、グジャグジャと頭が行き詰まった。それが表情に出ていたのか、アマネは〝いつまでここにいるの?〟とは訊いてこなかった。隣で、諦めたような表情を浮かべ、力なく黙り込んでいる。

 スマホを床に置き、ぐったりと肩を落とした。頭を使うのが嫌になり、無気力にお堂の中を見渡す。今まで気が動転していて気が付かなかったが、狭苦しい屋内には様々な物が存在していた。

 まず、中央には、小さな祭壇が設けられていた。きらびやかな装飾が一切無い木製の素朴な祭壇で、その上にはボロボロの蝋燭差しや香炉が転がっている。

 その奥には、壁に造りつけられた大きな台があった。いや、台ではなく、これも祭壇だったのだろう。手前のものと同じく、きらびやかな装飾は一切無かったが、所々にそれっぽい模様の木彫りが施されている。それに、中央には御神体らしきものが―――。

 ……なんだ、これは?

 大きな祭壇の上には、の御神体があった。

 そうとしか言い様が無かった。恐らく、元は直立した金属製の仏像だったのだろうが、なぜかそれは、下半身しか存在していなかった。

 その御神体は、腰の上、腹の辺りで、真っ二つに。ささくれ立った断面が、ぐにゃりと曲がり広がっていて、まるで花が咲いたようになっている。

 一体なぜ……。何がどうなったら、こんなことになるというのだ。

 このお堂が人の手できちんと管理されていないのは明らかだったが、それにしたってこんな有り様があるだろうか。神聖な御神体を真っ二つにしたまま、放っておくなど……。

 その異様な御神体の左右には、大小の様々なこけしがいくつも転がっていた。どれも古いものなのか、表面は艶を失い、顔の表情が読み取れなくなるほどにくすんでいる。

 このお堂は、一体何の目的の為に造られたものなのだろう。何かを祀っていたのだろうか。

 と、その時、手前の小さな祭壇の下に、何かが落ちているのに気が付いた。それは最初、所々に落ちている枯葉に見えたが、それにしてはやけに大きい。

 何だろうと思い、身を乗り出してみると、それが枯れた植物だという事に気が付いた。グネグネと折れ曲がった枝に、タマネギの外皮のような質感の花が、ぶら下がるようにしていくつも付いている。

 それは、周りに落ちている枯葉のように自然に入り込んできたものではなさそうだった。

 なぜそう感じたかというと、その枯れた植物に、装飾が施されていたからである。

 その枝の先には、テレビのリモコンほどの大きさの木札が藁紐で括り付けられていた。そして、その木札には、透明な数珠がグルグルと巻きつけられていて、筆文字で何事かが書かれていた。

 これは……。祭壇の方へ這い寄り、手繰り寄せてみると、なぜか植物だけが手元に来た。よく見ると、先の方の、藁紐を括っていた枝が折れている。どうやら、すっかり朽ちていたらしい。

 ……この植物、どこかで……あっ。

 そうだ、これは、あの古びた井戸に張り付くようにして生えていたものと同じ植物ではないか。

 葉は見当たらないが、タマネギの外皮のような花ではない。これは、あの赤い紙風船のような実が枯れ、ぱっくりと開いているのだ。

 あの植物がどうしてここに……。

 気を取り直して、木札の方を手繰り寄せた。考えたって、仕方がない。

 手に取り、木札に巻き付いている数珠をするりと外した。それを解いてみると、数珠は意外と長く、首から下げられるくらいの長さがあった。房は付いておらず、玉がひとつだけ大きく作られている。

 それを置き、木札の方を見る。表面には、何事かが墨を使って書かれているが、ボロボロに朽ちてくすんでいるせいで、断片的にしか読み取ることはできなかった。その辛うじて読み取れる部分も、かなり崩した字体で書かれていて、どんな文言が記されていたのか、さっぱり分からない。

 だが、その文言の上には、明らかに文字ではない、印らしきものが、やや大きめに記されていた。さらに、その上にはでかでかと、


 〝×〟


 と、記されていた。それだけは、なぜか文言や印と違い、赤い染料を使って書かれている。

「……」

 しばらく考え込んだ後、それをツナギのポケットに入れた。床に置いていた数珠も拾い上げ、元いたアマネの隣へと戻ると、スマホを取り出してメモ帳のアプリを立ち上げる。


 〝これを持って、使えるかも〟


 その文言を見せるのと同時に、アマネに数珠を手渡した。

 アマネはおずおずと数珠を受け取ると、それを手首に巻き出した。また不意にリストカットの痕が見え、目を逸らす。

 幽霊と同様に、神仏など信じていないが、何も身に着けていないよりはマシな気がした。この木札と数珠が役に立つかどうかはともかく、気休めくらいにはなる。要は、悪あがきのようなものだ。

 随分と幼稚で単純な考えだな。こんな極限状況だというのに。

 そんな風に自嘲していると、肩をツンツンとつつかれた。振り返ると、アマネがスマホの画面をこちらにかざしている。


 〝ありがとう〟


 アマネの顔を見ると、なぜかばつが悪そうな顔をしていた。普段から、あまり他人に感謝をしたことがないのだろうか。そんな奥ゆかしさが、どろんとしたメイクに汚れた目元に滲み出ている。


 〝どういたしまして〟


 返事をすると、肩をすくめて〝効くかどうかは分からないよ〟のジェスチャーをした。所詮は気休めに過ぎないのだ。あまり期待しない方がいいかもしれない。

 そういえば、アマネに感謝されるのはこれで二度目だな、と思い出した。一度目の時は余裕がなかった為に、こんな風に気のある返事をできなかった。別に改まったつもりはなかったが、一応はきちんと返事をできたことで、胸のつかえが取れる。

 新たに〝あの時、斜面を登ってきた足音は何だったのだろう〟という疑問がぶり返して胸につかえたが、それについてあれこれと考えるのはやめた。


 〝ちゃんと喋れるんだな〟


 フランクな会話をしようと、そんな文言を打ち込んでアマネに見せた。

 なぜそんなことをしたのか、自分でも分からなかった。心に余裕が生まれたせいか、それともこの状況に慣れてしまったせいか、それとも現実逃避をしたかったせいか。どれでもないかもしれないし、全部かもしれない。

 アマネはばつが悪そうな顔を僅かにほぐすと、


 〝当たり前でしょ〟


 と、応じてきた。


 〝ずっとダンマリだったじゃないか〟


 〝それは話したくなかっただけ あんたらみたいなのと〟


 〝ひどいな〟


 〝あの二人と先に会ったの あんなのと会話する気になんてならないでしょ だから黙ってたの〟


 〝あんなのと俺を一緒にするなよ〟


 その文言を見せると、アマネの表情が僅かに綻んだ。先程、その〝あんなの〟の白石が死んだというのに不謹慎かなとは思ったが、緊迫感が緩んだのは幸いだった。会話をすることで、感じていた恐怖が紛れていく。


 〝あんたはなんでこのバイト受けたの?〟


 アマネから、質問が飛んでくる。


 〝金がいるからに決まってるだろ〟


 〝どうして?〟


 俺は少し考え込んだ後、


 〝新しい生活の為に必要なんだ〟


 〝結婚するの?〟


 やや間を置いて頷くと、アマネはどこか悲しげな目をした後、


 〝おめでとう〟


 〝ありがとう〟


 声ではなく文面だが、俺も久しぶりに他人に感謝の念を伝えたような気がした。


 〝そっちはなんで?〟


 今度は、俺からアマネに質問した。するとアマネは、


 〝わたしは〟


 と、打ち込んだ後、不意に手を止めた。画面から浮かせた親指の先を、じっと見つめている。

 俺は咄嗟に、


 〝言いたくないなら言わなくていい〟


 と、打ち込んで見せた。

 アマネはしばらく目を伏せていたが、やがて〝わたしは〟の〝は〟を消し、


 〝わたしもそんなとこ〟


 と、打ち込んだ。

 


 

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