十四

 息を切らしながら、藪道を進んだ。斜面と同じく、地面には所々に石や木の根があるようで、時折足を突っ掛けそうになったが、気にしている余裕はなかった。ただひたすら、前へ前へ進んだ。

 前方の暗闇の向こうには、二つの灯りが見えている。白石と岩澤のものだ。あそこまでいけば――別にどうとなるわけでもない。しかし、アマネと二人でいるよりかは、ずっといい。

 今はとにかく、人気が恋しかった。それが例え、あんな治安の悪い連中だろうと、構わなかった。むしろ、連中が――主に白石が――振りまくガサツで小うるさい雰囲気が、感じている恐怖を掻き消してくれる気がした。

 次第に、二つの灯りが大きく見えてきた。立ち止まっているのか、それは蠢いていなかった。ということは、目的地である山頂に辿り着いたのだろうか。

 急げ、ともかく、立ち止まるな、早く、人気のある所へ、逃げろ―――。

「はあっ―――」

 とうとう、二つの灯りの――白石と岩澤の所まで辿り着いた。二人とも地面にしゃがみ込んで、休憩しているようだった。

「おい、どうしたんだよ」

 タバコを咥えた白石が、走ってきた俺を怪訝そうに見ていた。答えようとして、後ろについて来ていたアマネのことを思い出す。

「……っ」

 振り返ると、今まさにアマネが辿り着いているところだった。肩で息をしながら、もう限界とでも言わんばかりに、その場に崩れ落ちるようにしゃがみ込む。

 咄嗟に、その後ろにネックライトを掲げた。と同時に、耳を澄まして様子を窺う。


 ——―——―……。


 何も、聴こえなかった。相変わらず、虫の声も無く、シンとした静寂だけが、そこにあった。不気味なくらいに、物音ひとつしない。俺の心臓だけが、場違いなくらいにバクバクと高鳴っていた。

 ……のだろうか。追ってきていた、何者かを。いや、そもそも、ただの勘違いだったのだろうか。

 きっとそうに違いないと、結論付けた。やはり、あれは獣の足音だったのだろう。

 だが、その時、厭な考えが頭をよぎった。

 あの鳥居をくぐってからというもの、こう感じていた。この空間に自分以外の生き物が一匹も存在していないかのようだ、と。

 それは、虫だけでなく、獣にも言えることではないのか?

 そうだ。虫だけではない。こんな山中、それも夜中だというのに、鳥や獣の気配が一切しない。夜行性かどうかなんて生態は詳しく知らないが、姿は見えずとも藪の中から物音の一つや二つくらいしてもいいのではないか。

 ——―静か過ぎる。山だというのに、生命の息遣いを感じ取ることができない。こんな異常なことが……。だとすれば、やはりあの足音は―――。

「内藤クンよ、なんで脱いでんだ?」

「えっ?」

 振り返ると、白石がニヤニヤしながら、タバコで俺の下半身を指していた。

 下を見ると、ツナギの前が臍の辺りまで開いていた。しまった、そういえば、休憩している時に汗を乾かそうとして開いたままだった。

 慌てて閉め直していると、白石が舐め回すかのように俺とアマネを交互に見た。

「……もしかして、お前らヤってたのか?」

 白石が、タバコの煙を吐きながら下劣な笑みを浮かべた。

「……そんなことしてませんよ」

「そうかい。てっきりアマネちゃんに咥えてもらってたから、遅れたのかと思ったぜ。だとしたら、相当な早漏だな。ハハッ!」

 なんてことを言いやがるんだと、瞬時に頭が沸騰したが、怒りを面に出すのを必死に堪えた。

「……そんなわけないでしょう」

「へへっ、そうだな。内藤クンはビビリの腰抜け野郎だったもんなあ。そんな度胸ねえか」

 歯噛みしながら、息を整える。こんな奴に対して怒っても体力の無駄だ。それに、反論したところで、どうせまたややこしいことになるに決まっている。ここは耐えてやり過ごすのが得策だ。

「……それより、ここが山頂なんですか?」

 澄ましたふりをして、話を逸らした。

「ああ、多分な。あれが、大畑サンの言ってたやつじゃねえか?」

 白石が、顎で前方をしゃくった。ネックライトを掲げて照らしてみると、そこには開けた場所があった。その灯りが届いていないギリギリの辺りに、何か柵のようなもののシルエットが見える。

「これ吸い終わったらやるから、まあ待てよ」

 そう言うと、白石はふてぶてしくタバコを咥えた。

 これだから、喫煙者は嫌いなのだ。タバコがないと仕事にならないなどと、わけの分からないことを言いやがって。ヤニが脳にまで染みついているに違いない。

 そう心の中で毒づきながらも、とりあえずは全員が一カ所に集まったことに安堵していた。人気がある場所にいることで、多少は恐怖が薄らいでいく。

 落ち着きを取り戻した身体を捻って、辺りを見渡した。通ってきた藪道の両脇に続いていた雑木林が、左右にゆったりと開けている。上を見ると、暗い夜空が雑木林のシルエットによって、いびつな円形に切り取られていた。ということは、この開けた場所の先に、道は続いていないのだろう。ここが、終着点ということだ。

 しかし、こんな場所が山頂なのだろうか?山頂というと、もう少し開けた景色が望めそうなものだが。まあ、登山などされていないような、雑木林だらけの山では、これが普通なのかもしれない。

「うっし、じゃあ、いよいよやるか」

 白石のタバコが宙を舞った。それを合図に、岩澤が立ち上がる。大丈夫だろうかと後ろを見ると、アマネもよろよろと立ち上がっていた。

「行こうぜ。やっと、このクソ重い荷物とおさらばだ」

 白石が立ち上がり、先陣を切った。その後ろに岩澤が続く。俺とアマネも、その後を追った。

 開けた場所の地面は藪道と同じように雑草が生い茂っていたが、木の根や石は見当たらなかった。気を遣わずに、サクサクと草を踏み倒しながら歩いていくと、背中でゴプゴプと音がした。ポリタンクの中身が揺れている。

 白石の言う通り、ようやくおさらばできるのだ。この重荷——得体の知れない液体から。

 中身を捨てれば、背負子はグンと軽くなる。その上、今度は山を下るのだから、道のりは大分楽なものになるだろう。

 さあ、さっさと捨ててしまおう。

 そう意気込んでいると、俺たちの前に、これまた奇妙なものが現れた。

 それは、これまでに見てきた真っ二つになった鳥居や、朽ちた人形が潜む建物の残骸と同じくらい不可解な、そして、それらよりもずっと異様な雰囲気——言うなれば、畏怖を纏ったものだった。

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