十二

 雑木林に挟まれた石造りの道は若干角度があり、登り道になっているようだった。背負っているポリタンクの重心が、僅かに後ろに傾いているのを感じる。

 背中を曲げてバランスを取りながら歩いていくと、道が緩やかに右に曲がっていった。と思ったら、また緩やかに左に曲がっていく。

 どうやら、一本道なのは一本道だが、直線ではないようだった。まるで蛇のように、グネグネと道がくねっている。

 何度も何度も右へ左へ緩やかに曲がりながら、ひび割れて盛り上がった石片や雑草、枯葉溜まりを避けつつ進んでいくと、ようやく登り道が終わり、開けた場所に出た。

 ……今度は何だ?

 そこは、この山に入って初めて遭遇する、だだっ広い空間だった。周りを雑木林が取り囲んではいるが、規模としてはちょっとした公園くらいの広さがある。

 だが、そんなだだっ広い空間に存在していたのは、真っ二つに朽ちた鳥居に引けを取らないほどの、奇妙なものばかりだった。

 まず、正面には、建物の残骸があった。

 柱のような、梁のような太い木材。恐らく障子戸だったであろう格子状の木材に、へし折れてささくれ立った無数の板切れ、釘が刺さったままの角材とそれに張り付いたベニヤ板、あちこちに散乱している瓦の破片……。元あった建物は、寺か何かだったのだろうか?長いこと雨風に晒されたのか、どれもボロボロに朽ちて黒ずんでいて、中には苔むしているものもあった。

 しかし、それは先程くぐった鳥居のように、自然に朽ちて崩れたわけではなさそうだった。屋根材も壁材も床材も、ごちゃごちゃと混ざって重なり合っていて、恐らくは人の手によって乱雑に解体されたのであろう雰囲気が見て取れる。

 元はこじんまりとした建物だったのか、残骸は見上げるほどの一山とまでは行かず、下の地面が見える程度に散らばっていた――というよりは、なぜか瓦礫が左右に押しのけられていて、その二つの小山の中央に通り道のようなスペースが形成されていた。まるで、モーゼでも通ったかのように。

 今、立っている石造りの道はその残骸まで伸びていて――というよりは、石造りの道はその残骸を中心点として、十字路のように広がっていた。その右の先にも、左の先にも、まったく同じ造りのこじんまりとしたお堂があった。こちらは、どちらも見かけこそ古めかしかったが、立派に建っていて建物然としている。

 そして――そのお堂の周りに、数えきれないほどの地蔵が佇んでいた。

 百体……いや、左右どちらも合わせたら、それ以上は優にあるだろう。大勢で集合写真を撮る時のように、無数の地蔵たちは石垣造りの段——全部で四段——にずらりと並んでいた。隙間なく、みっちりとひしめき合っている。

 よく見ると、地蔵たちはどれも同じ顔と身体をしていた。デザインが統一されているようで、皆一様に同じ表情を浮かべている。眉を垂れさせて目を閉じ、口を柔らかく結んでいる表情だ。しかし、それは微笑んでいるようには見えなかった。何か、もの言いたげに黙り込んでいるように見える。

 じっと眺めていると気味が悪くなり、思わず顔を背けた。といっても、左右どちらからも無数の地蔵に見られていると分かると、途端に居心地が悪くなってしまった。

 ……?

 ふと、鳥居をくぐった時に感じた違和感をぶり返した。

 何だ?何か、この状況はおかしいような……。

 空気が重い?いや、それもあるが、さっきまで感じていた何かが消え失せている。が、それは決して鳥居をくぐった時に感じた違和感ではない。むしろ、それはずっと感じたままだ。

 何だ、何かがどうにかなっていないと……。

 ——―そうだ、聴こえない。

 先程から聴こえないのだ。虫の声が。静かすぎるのだ。

 この山に入った時から、虫の声は絶えずどこかで聴こえていた。何の虫かは知らないが、あちこちで絶えることなくフィリリリと虫の声がしていたはずなのだ。夏の夜特有の。それだけではない。ちょっと油断すればすぐに蚊が寄ってきて、耳元でプゥンと不快な羽音を聴かせてきた。

 ところが、今は全く聴こえない。

 なぜ……。試しに耳を澄ましてみたが、不気味なくらいに何も聴こえなかった。まるで、この空間に自分以外の生き物が一匹も存在していないかのような―――。

「おい」

 不意に、背後で声がした。驚いて振り返ると、白石が俺の顔をネックライトで照らしていた。

「どうしたんだよ。ボーっと突っ立って」

「い、いえ、何も……」

 いつの間に追いついたのだろうか、気が付かなかった。耳を澄ましていたというのに……。

「うわっ、何だよあれ。気持ち悪いな。うおっ、あっちにもあるじゃねえか」

 白石が、ネックライトで左右のお堂の周りに並ぶ地蔵たちを交互に照らしていた。それを見ていると、地蔵たちは並び方から佇んでいる数まで、そっくり同じなことに気が付いた。お堂も全く同じ造りをしているせいで、まるで鏡に映したように見える。

 ますます、気味が悪くなった。なぜ対照的に造ってあるのだろう。

「おい、あんた、ちょっと写真撮ってみろよ。心霊写真が撮れるかもしれないぜ」

 ニヤニヤしながら、囃し立てるように白石が言う。

「嫌ですよ、そんなこと……」

 いなすように答えると、岩澤とアマネが後ろに追い付いているのに気が付いた。どちらも、さっきまでの俺と同じように、訝し気に辺りを見渡している。

 こんな所に長居は無用だと、先導するように前へ踏み出した。道なりに、中央の残骸の方へ歩いていく。

 その目の前まで行き着くと、石造りの道がそこで途切れていることに気が付いた。残骸が散らばっている一帯の地面は、山の黒土がむき出しになっている。どうやら、石造りの道は十字に交わっていなかったようだ。恐らく、元あった建物に沿って造られていたのだろう。基礎があった名残なのか、土の地面の所々に平たい丸石が埋まっている。

 左右に押しのけられた瓦礫の間に設けられている通り道には、ほとんど草が生えておらず、小さな木片や曲がった釘が汚らしく散乱していた。それらを、特に釘を踏まないように慎重に歩いていくと、背後で、

「うわっ、キモッ!」

 と、白石が声を上げた。

 なんだ、いちいち声を上げやがってと、うんざりしながら振り返ると、他の面々が瓦礫の一角をネックライトで照らしていた。

 何事かと、釘を踏まないように歩いて戻ると、三人が照らしているものが分かった。

 それは、日本人形だった。

 小さな日本人形が、瓦礫の中に打ち捨てられていた。

 瓦礫と同じく、長い間雨風に晒されたのか、それは酷い有様だった。日本人形らしく、着物はきちんと着ていたが、元の色が判別できないほどに黒ずんでしまっている。白塗りの顔も土色にくすんでおり、薄汚れている髪の毛はゴワゴワと逆立っていた。仰向けに倒れていて、細い目が虚しく天を仰いでいる。

「マジかよ、ホラーだな、ここ。心霊スポットなんじゃねえのか?」

 白石は、なぜか嬉々として薄汚れた日本人形を照らしていた。どうしてこんな気味の悪いものを、面白がって見れるのだろうか。

「……白石クン、ここにもあるよ」

 岩澤が、別の方を照らした。そちらを見遣ると、似たような造りの日本人形が、

やはり瓦礫に混じって打ち捨てられていた。同様に薄汚れていたが、目の前のものと違って首が取れかけている。

 何なんだ、これは―――。

 その時、不意に背後に視線を感じて、振り返った。

「……っ」

 ……誰もいない。確かに、誰かから見られていたような気がしたのだが。

 ん?……あれは。

 反対側の瓦礫の中に、それはいた。やはり、俺は見られていたようだ。

 幼児を模したビニール人形が、白目のない真っ黒な目でじっと俺の方を見つめていた。薄汚れた、いかにも幼児っぽい服を着て、瓦礫の上にちょこんと座っている。

「うわっ、見ろよ。まだまだいるぞ」

 背後で、白石が喚いた。俺は振り向かずに、ネックライトを掲げて目の前の瓦礫を横に舐めるように照らしてみた。

 ……白石は嘘を言っていないようだ。

 瓦礫のあちこちに、人形がいた。

 それは、種類に事欠かなかった。日本人形であったり、ビニール人形であったり、小さめの着せ替え人形であったり……。中には、指人形のように小さなものや、動物のぬいぐるみ、見覚えのあるキャラクターのぬいぐるみもあった。そのどれもが酷く汚れていて、パーツが欠けていたり、破けて中の綿を剥き出しにしていたりした。

 何なんだ、この人形たちは……。この残骸が建物だった頃に、中にあったものだろうか?

 無数の地蔵といい、ボロボロの人形といい、どうしてこうも気味の悪いものにばかり遭遇するのだろうか。あの真っ二つの鳥居をくぐってから、まるで全く別の土地に入ったかのように感じる。同じ山であることに変わりはないはずなのに。

 心霊スポットか……。そんな場所に行ったこともないし、幽霊の存在など信じていないが、こうも不気味なものに囲まれると、否が応でも恐怖を感じてしまう。そこのビニール人形など、今にもこちらに這い寄ってきそうだ。

 こんな場所、さっさと通り抜けて―――、


 ——―カシャッ


 と、突然、後ろでシャッター音がした。振り返ると、白石がスマホを瓦礫に向けて、写真を撮っていた。

「ちょっと、白石さん。何やってるんですかっ」

「ああ?心霊写真撮ってんだよ」

「なんで……早く行きましょうよ」

「まあ待てよ。もし撮れたらスゲーだろ」

 白石は、何度もフラッシュを焚いて写真を撮り続けた。その度に、瓦礫の中の人形たちの顔が不気味に照らされた。


 ——―カシャッ


「白石さん」


 ——―カシャッ、カシャカシャッ


「……白石さん」


 ——―カシャカシャカシャッ


「白石さん!」


 思わず、声を張り上げた。

 途端に、白石がゆっくりと振り向いた。

「……あぁ?」

 しまった、と思った時には、もう遅かった。白石は、俺の方に肩を揺らしながら歩み寄ってきた。

「ンだよ、どうした?」

「い、いえ……」

「いえ、じゃねえだろ。何か文句あんだろ?何だよ、言えって、ほら」

 白石は俺を下から睨みつけると、グイッと顔を近付けてきた。薄く剃られた眉がひそめられていて、眉間に皴が寄っている。

「……早く先に行きましょう」

「なんで?」

 声と同時に、タバコ臭い息が吐きかけられる。顔を背けようとしたが、白石の鋭い眼光がそれを許さなかった。瞬きひとつせず、俺の目に食い入っている。

「……遅れたら、まずいでしょう」

「大畑サンは、急げって言ったか?」

「……すいません」

「ハッ、なんで謝るんだよ。俺変なこと言ったか?」

「……いえ」

 ヒリついた空気が、顔を刺した。震えそうになっている手に、汗が滲んでいる。

「……内藤クンよ、あんまり妙なこと言ってっとさあ――」

 白石の腕が上がり、俺の鼻先に、拳が―――。

「……っ」

「ハハッ!何ビビってんだよ」

 恐る恐る目を開けると、白石がニヤニヤと俺を見上げていた。その顔の横には、拳が握られている。どうやら、寸止めをされたようだった。

「さてはあんた、ビビリだな?幽霊がいるって信じてるんだろ。んなもん、いるわけねえのによ」

 白石は握り込んでいた拳を開くと、ポンと俺の肩を叩いた。が、その掌から、気遣いや優しさといったものは微塵も感じられなかった。込められていたのは、強いて言うなら〝二度目はねえぞ〟という圧力、もとい警告だ。

「んじゃ、ビビリの内藤クンの言う事聞くか。岩ちゃん、行こうぜ」

「……うん」

 白石は足元の木片を横に蹴飛ばすと、俺を置いて前へ進んでいった。その後を、岩澤がヌウッとついていく。

「………」

 俺は歯噛みしながら、二人が横を通り過ぎるのを待っていた。俯いたまま、汗が滲んだ手を握り込む。

 あんな奴に……。

 ビビリだと?俺は臆病者ではない。ただ、このバイトにきちんと取り組んでいただけだ。条件を守り、ルールや調和を乱さずに。それだけだ。

 それなのに、なぜ、あんなことを言われる必要がある?それも、散々ルールや調和を乱してきた輩に。言い回しにも腹が立った。あんな見た目のくせして、人を詰める時は無駄にネチネチと理論的になりやがって。学のない肉体労働者なら、身の丈に合った短絡的な言葉を使え。

 怒りで、グツグツと脳が煮立った。飲み物でも飲んで冷静になろうと、ツナギのポケットのペットボトルに手をやった瞬間、中身を空にしていたことを思い出す。

 クソッ……。

 頭を振って、天を仰いだ。怒りを表面に出すな。あんな奴のことを考えて脳味噌を煮立たせても仕方がない。

 たった一夜限りの相手だ。今日が終われば、このバイトを終えれば、あんな治安の悪い連中との関わり合いはなくなる。きっと、今後の人生で会うこともないだろう。 

 どうにか気を落ち着かせて、前を向いた。息を短く吐いて、道を進もうと向き直ると、目の前にアマネが立っていた。瓦礫の方を向いて、俯いている。

「……アマネさん?」

 近寄り、その背中に声を掛けたが、アマネは無反応だった。瓦礫の方を向いたまま、微動だにしない。

 何かあったのだろうかと真横まで行くと、アマネは虚ろな目で、じっと瓦礫の一角を見つめていた。一体何がと、その視線の先を見ると、そこにはクマのぬいぐるみがあった。

 それは、やはり他のものと同様に酷い有様だった。カビているのか、表面の布地が所々黒ずんでいる上に、土くれがびっしり付いている。辛うじて無事な部分が薄茶色をしているところをみるに、元は白クマのぬいぐるみだったのだろうか。デフォルメされていて可愛らしいデザインだったのだろうが、今はすっかりくたびれてみすぼらしくなっている。中の綿がしおれているせいだろう。唯一、くりくりとしたプラスチック製の目だけが、黒く艶めいて光っていた。

 そんな瓦礫の中のぬいぐるみを、なぜかアマネはじっと見つめていた。

「あ、あの、アマネさん?」 

 再度、声を掛けたが、反応は無かった。

「……アマネさん?」

 さっきのように、また何か言われたりしないだろうかとビクビクしながら声を掛けると、ようやく気が付いたのか、アマネはフッと顔を上げ、こちらを向いた。

「……」

 その顔は、やけに沈んだ表情を浮かべていた。今まで終始見せていた、ぶすっとした顔ではなく、何か……沈痛に濡れ切っているような、そんな面持ちだった。

 が、それも束の間、アマネはすぐに顔を背け、前へと歩き出した。

「あ、あの……」

 置き去りにされた俺は、一人その場に立ち尽くしていたが、すぐに後を追った。一人でいるのが嫌だった、というのもあるが、一刻も早く逃れたかったからだ。

 残骸の瓦礫の中に潜んでいる無数の人形たちの視線から。その向こうに構えている無数の地蔵たちの視線から。そして―――。

 鳥居を越えた瞬間から、ずっと背筋について回っている、得体の知れない不気味な気配から。

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