十一

 それから、一体どれほどの石段を踏みしめて登っただろうか。やがて、やや前方を登っていた白石が、

「おおっ」

 と、嬉々とした声を上げた。

 もしや、と見上げると、白石と岩澤のネックライトによって、石段の終着点がぼんやりと照らされていた。

 ——―ようやくか。

 終わりが見えたことによって、疲れていた身体に血が駆け巡った。気が楽になり、若干、足取りが早くなる。

 もうすぐだ、もうすぐ―――。

 下を向き、逸る身体を引きずるようにして石段を登っていると、

「うっしゃあっ」

 と、白石の声が聴こえた。どうやら登り終えたらしい。

 一刻も早くそれに続こうと登り続けていると、唐突に石段が消え失せ、似た材質の石造りの地面が広がった。顔を上げると、目の前に登ってきた石段とは幅も長さも違うゆったりとした大きな石段が二段設けられていて、そこに白石と岩澤が座り込んでいた。

「おう、あんたも着いたか。ちょっくら休憩しようや」

 白石はそういうと、ポケットからタバコを取り出し、火をつけた。あんたが一服したかっただけだろ、とは思ったが、休憩することに関しては賛成だった。足がガクガクしているし、肩も背中もミシミシと悲鳴を上げている。

 とりあえず背負子を降ろし、やや距離を開けて並んで座った。ツナギのポケットにねじ込んでいたペットボトルのお茶を取り出し、グビグビと飲んで息を整える。

 やはり登ってきた石段はかなり角度があったらしく、眼下には高台から望めるような景色が一面に広がっていた。とはいっても、街灯や民家の灯りはひとつも見えず、見渡す限り深い暗闇に塗り込められているばかりだった。

 目が段々とその暗闇に慣れてきても、やはり景色の全容を捉えることはできなかった。ただ、上空にぼんやりと浮かぶ月の灯りによって、立ち並ぶ山々と空の境目くらいは認識することができた。空は相変わらず、月以外に星はひとつも見えなかった。

 昼間だったならば、もう少しいい景色が拝めるのだろうか。

 そう思っていると、

「アマネちゃんは?」

 と、白石が訊いてきた。

「えっと、まだ多分……」

 立ち上がり、石段の下を覗き込むと、はるか下の方に、ネックライトの灯りがゆらゆらと蠢いているのが見えた。まだ、あんな所にいるのか。

「もう少しかかりそうですよ」

「丁度いいや。それまで休憩だ」

 白石はタバコの煙を吐きながら、ペットボトルのコーラをプシッと開けた。歩いたことによってよく振られたのか、炭酸がほとんど抜けているようだったが、白石はお構いなしにグビグビと喉を鳴らして飲んだ。隣で、岩澤も水を飲んでいる。

 俺もまた水分補給をしながら、辺りを見渡した。登ってきた石段の横には、まるで塀のように低木がずらりと並んで植わっていた。一定間隔に隙間なく生い茂っているところをみるに、どうやら植樹されたものらしい。が、今は手入れをしている者がいないのか、どれもあちこちから枝葉が乱雑に伸びていた。

 座っている石段の両脇の地面には雑草が生い茂っていて、所々に大きな丸石が転がっていた。ネックライトを掲げると、その向こうには鬱蒼とした雑木林が佇んでいた。獣か何かが今にも出てきそうだな、と思っていると、草むらの中から小さな羽虫が飛び上がり、ネックライトの灯りに向かって迫ってきた。慌てて、掲げるのをやめる。

 いるのは羽虫だけではないようで、草むらのあちこちでフィリリリと何かの虫が鳴いていたが、それに聞き入っているとまた耳元でプゥンと蚊が喚いた。咄嗟に首元をはたいたが、今度は捕らえることができなかった。

「おせえな。何やってんだ、あの女」

 白石がタバコを地面に擦り付けながらぼやいた。立ち上がり、また石段の下を覗き込んでみると、十メートルほど下の方でネックライトの灯りが蠢いていた。が、それは小刻みに揺れるばかりで、登ってくる気配を見せなかった。

 どうやら、ギブアップしているらしい。

「ちょっと、手伝ってきます」

 そう言って石段を降りようとすると、

「おっ、優しいねえ。レディーファーストってか」

 と、白石が冷やかしてきた。黙ってろ、と心の中で毒づきながら、石段を降りてアマネの元へ向かう。

「アマネさん、大丈夫ですか?」

 先程と全く同じ言葉で呼びかけたが、アマネの反応も全く同じだった。苦しそうにこちらを見るだけで、何も言わない。

「無理しなくてもいいですよ。貸してください」

 手を差し伸べると、アマネは悩まし気にそれを見つめた。こいつに心は許したくないが、自分の身体がきついのも事実だ、どうしたものか、と揺らいでいるようだった。が、しばらくすると観念したのか、アマネは無言で背負子を降ろした。

 それを受け取ろうとして、ふと目に付くものがあった。ツナギの袖が僅かに捲れて、子供のように細くて白い、アマネの手首が覗いている。

 そこに、無数の引っ掻き傷のような痕があった。

「……っ」

 それに気が付いたのか、アマネは咄嗟にツナギの袖を正すと、伏し目がちにそっぽを向いた。

「……」

 俺は何も言わないまま、右肩に背負子を担いだ。そのまま無言で、石段を登っていく。

 別に、何も思うことはなかった。リストカットをしている人間を、前に見たことがあったからだ。今時、珍しいことでもないし、そうなるに至った事情をあれこれと詮索する気はない。

 石段を登り終えると、白石が二本目のタバコに火をつけていた。岩澤はその隣で、熱心に水のペットボトルのラベルを見つめている。

 いい気なもんだな、とアマネの背負子を降ろした。ツナギの胸元をパタパタとはたいて掻いた汗を乾かしていると、少し遅れてアマネが登ってきた。トボトボと、こちらに歩いてくる。

「遅かったな、アマネちゃんよ。まあ休憩しな」

 先程の悪態はどこへやら、白石がニヤニヤと笑いながら手招きした。が、それが鼻についたのか、アマネは立ったままツナギのポケットからお茶を取り出して休憩し始めた。

「ケッ、可愛くねえなあ。まあいいや。さてと、全員揃ったところで……」

 突然、白石がツナギの前をジイッと開き、腰の辺りをゴソゴソとまさぐりだしたかと思うと、何かを取り出した。

「ほれ、取り戻してきてやったぜ。お前らのもな」

 白石はそう言って、得意げに四つのスマホをトランプの手札のように両手に掲げた。

「なっ……」

 その中のひとつは、紛れもなく俺のスマホだった。バンに乗り込んだ時に、大畑から没収されて黒いクラッチバッグの中に収められたはずの。

「ちょっ、なんてことしてるんですかっ。いつの間に――」

「へへっ、俺、岩ちゃんと一緒に車の中に戻っただろ?その時に、ちょちょいと取り戻してきたのさ」

「ちょちょいとって……。まずいですよ。バレたら、大畑さんから何を言われるか――」

「いいじゃねえかよ。その時は、俺が言いくるめてやるぜ。問題なく任務を遂行したから文句ねえだろってな」

 ヘラヘラと笑う白石に、軽く殺意を覚えた。確かに一方的に条件を突き付けられるなどの理不尽な扱いは受けていたが、俺たちはそれを黙って受け入れてこのバイトに臨んでいたのだ。支払われる高額な報酬の為に。だというのに、こいつはいとも簡単にその調和を乱したのだ。恐らくは、大した理由もなく。

「ほれ、感謝してくれよな」

 頭の中で膨張していく殺意を必死に抑えながら、差し出されたスマホを受け取った。もし、このせいで報酬が支払われなかったなら、一発ぶん殴ってやる。そうでもしないと気が済みそうにない。

 どうにか気を落ち着かせながら、ひび割れたスマホの画面を立ち上げて見てみると、時刻は十二時半だった。いつの間にか、今日が明日になり、明日が今日になっていたようだ。待ち合わせ場所のコンビニでバンに乗った時は十時過ぎだったから、あれから二時間半ほど経っていることになる。

 そうだ。ここは、一体どこなのだろう。

 ロックを解除し、地図アプリを起動した。端末の位置情報をオンにして、ここがどこかを明らかに―――、

「GPS信号が失われました」

 突然、スマホが電子音声で喋った。

「……え?」

 そんなはずは―――。一度オフにして再度、端末の位置情報をオンにしてみる。

「GPS信号が失われました」

 そんな……。

「おい、なんだよここ。圏外じゃねえかっ」

 白石が苛立った声を上げた。顔を上げると、他の面々もスマホの画面を覗き込んでいたが、皆一様に怪訝な表情を浮かべていた。

 画面を見てみると、確かに通信状況のアイコンが圏外を示している。

 そんなまさか、いくら山中とはいえ、こんな開けた場所で?

 試しに、今しがた登ってきた石段の方へスマホを掲げてみたが、通信状況は改善されなかった。ダメ元で端末の位置情報をもう一度オンにしてみたが、やはり結果は同じだった。

「チッ、なんだよ。これじゃ何にもできねえじゃねえか」

 白石が忌々し気にスマホをポケットにしまった。どこかへ連絡でもする気だったのだろうか。だとしても、スマホを持ち出した行為を許すつもりはないが。

 しかし、白石の言う通りだ。通信ができないのなら、スマホは何の意味も成さない。せいぜい、時計と小さな懐中電灯としての役割を果たすくらいだ。

 諦めて、俺もスマホをポケットにしまった。大畑にどんな言い訳をしようと思案しながら、ペットボトルのお茶を飲み干す。

「クソッ……。まあいいや。じゃあ、そろそろ行くか」

 白石は立ち上がると、ペットボトルのコーラを飲み干し、その中にタバコの吸い殻を入れて石段の脇の雑木林の方へポイッと投げ捨てた。開けていたツナギの前をジイッと閉め直し、背負子を背負う準備を始める。

 俺は空になったペットボトルをきちんとツナギにねじ込んで、背負子を背負い直した。汗で濡れて冷えた背中が背負子で圧迫され、じっとりとした気持ちの悪い感触が伝わる。まるでポリタンクの中身が漏れだして直に触れているようで、思わずブルッと身が震えた。

 全員が背負子を背負うと、

「ぼちぼち行こうや。急げって言われなかったしな」

 と、白石が先陣を切った。うんざりしながら、後に続く。戻ったら、まず大畑に、こいつだけが身勝手に独断で行動したのだと説明しなければ。

 座り込んでいた二段の石段の向こうには、同じ幅の石造りの道が続いていた。石の切れ目やひび割れからは、雑草がたくましく伸びていて、至るところに枯れた杉の葉が溜まっている。それらを踏みつけながらひとしきり進んでいくと、突然、目の前に妙なものが現れた。

 それは、残骸だった。

 ——―残骸、というより他に、相応しい言葉が見つからなかった。石造りの道の地面に、朽ち果てた木材がゴロゴロと散らばっている。

「……なんだこりゃ」

 白石がそれを足先で突くと、カランと渇いた音がした。

 これは……何だ?散らばっているので避けて通ることは容易いが、どうして道にこんなものが。その辺の木が倒壊したのだろうか。いや、違う。ボロボロに朽ちてはいるが、これは明らかに自然木ではない。人の手が加えられた、木材だ。

「……白石クン、上見て」

 突然、岩澤が声を上げた。つられて、ネックライトを掲げながら上を見ると、そこには―――。

「これ……鳥居か?」

 白石が疑うのも無理はなかった。

 それは、どちらかというと、だった。

 表面がボロボロに朽ちた鳥居の上の、梁が二本平行に通っているような部分が、中央辺りから真っ二つに叩き割ったように半壊していたのである。

 鳥居というと、上部の中央に額縁のようなものが掲げられていて、そこに何事かが書かれているイメージがあるが、その部分はぽっかりと何も無く、繋がっているはずの鳥居を真っ二つに分断していた。その断面は左右どちらもささくれ立っていて、今にも朽ちた木片が落ちてきそうだった。

 いや、実際に落ちてきているのだろう。この地面に散らばっている木材は、恐らく鳥居の一部だったものだ。ちょうど、額縁のようなものが掲げられている辺りの木材が、ボロボロと朽ちて落下してきているに違いない。しかし、よく倒壊しないものだ。左右どちらも傾いている様子は無く――正確に言うと若干内向きに傾いてはいるのだが――、しっかりとそびえ立っている。

 だが、一体どうしてこんな有り様に……。

 あまりに異様な光景に、全員が上を見ながら立ち尽くしていた。

 鳥居というものがこんな壊れ方をしているのを見たことがない。というより、鳥居という神聖なものが、こんな壊れ方をするのだろうか?こんな、残酷な壊れ方を。あまりに不可解だ。

 自然に朽ちてこうなったとは思えない。となれば、人の手で故意に壊されたのか?まさか、そんなはずはないだろう。神聖なものである鳥居を壊すなど……。

 と、そこまで考えて、ふと気が付いた。

 鳥居があるということは、ここは寺か神社なのか……?

 上に掲げていたネックライトを、前方に掲げた。すると、鳥居の向こう側には、全く同じ石造りの道があった。が、それは随分と奥の方まで続いているようだった。

 試しに鳥居の左右を照らして見たが、ここ以外は通らせないとでも言わんばかりに、藪を湛えた雑木林がずらりと立ち並んでいる。

「……」

 立ち尽くす他の三人を尻目に、俺は一人先陣を切って、前へと踏み出した。散らばっている朽ちた木材を避けながら、鳥居を越えようとした時、ふと、あるものが目に付いた。

 それは、恐らくだった。鳥居と同じくらいボロボロに朽ちていて、結われた藁紐が所々千切れてささくれ立っているそれが、まるで切り刻まれた蛇のように地面にのたくっていた。

 この鳥居に掛けられていたものだろうか?

 カサリと、それを踏んだ。枯葉を踏んだ時と同じように、注連縄の残骸は容易く崩れ、足裏でぺしゃんこになった。

 その瞬間——―、

 ………?

 突然、全身が違和感に包まれた。いや、これは、違和感だろうか?

 何か、言い様のない、粘り気のあるものが全身に……。そう、空気が変わったような、そんな感覚だ。

 まるで、異空間に入り込んでしまったかのような―――。

「……っ」

 ふと、振り返ると、俺は完全に鳥居を越えていた。が、他の面々は、なぜか鳥居の向こう側で立ち尽くしたまま、じっと俺のことを見つめていた。

 ……早く来いよ。

 デジャヴを感じながら、そんな無言の圧力を発した。が、他の面々はそれを汲み取っても、その場から動きたくは、鳥居を越えたくはないようだった。

 ……ふん、俺は行くぞ。

 構わずに、暗闇をネックライトで暴きながら前へと進んだ。

 少ししてから、背後でカサカサという音と、三人分の足音が聴こえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る