魔王とお嬢

きゃる

プロローグ

第0話 魔王とお嬢

「ずっと探していたんだ」

 

 形の良い唇から放たれたハスキーボイス。光を湛えた金の瞳が、私――ヴィオネッタをまっすぐ見つめている。


「ええっと……」


 人智を越えた美貌びぼうでも、見入ってはいけない。なにせ相手は魔界の王。人間の自分に興味を持つはずがない。


「ああ、これのことね」


 私は、手にしたトレーに目を落とす。

 探していたのはきっと、皿に載った【だし巻き卵】だ。

 魔王様、まさかの卵好き?


「愛情たっぷり込めました。せっかくですから、冷めないうちにどうぞ」


 にっこり笑って冗談っぽく言ったのに、相手はなぜか無反応。

 魔王様、怒ってないよね?


 ここは魔王の私室で、天井は全てガラス張り。天空に浮かぶ二つの赤い月が見える。床は黒いタイルに柔らかそうな白の絨毯が敷かれているが、あちこち置かれた黒の家具は、豪華というより無機質だ。

 そんな部屋の正面奥、机の横に黒髪の魔王が立っている。


 ――魔王様、立って出迎えただけでなく、黒いシャツをはだけているのはわざと? 料理人の私にまで、ファンサービス?


 いやいや、ちょっと落ち着こう。

 いくら大胸筋と腹筋が目にまぶしくても、じろじろ見るのは失礼だ。私はただの料理人、卵を運んで来ただけよ。


「あの……魔王様? お好きですよね?」


「――ああ。好きだ」


 腰に響く低い声。

 イイ声に思わず膝が震えるけれど、ここは我慢。

 うっかり赤面しないよう、彼のつのを凝視する。


 ――相手は人外。圧倒的なイケメンでここに置いてくれた恩があるからって、おかしな態度じゃダメじゃない。


 うろたえる私をよそに、魔王の長い爪が机の端をコツコツ叩く。


「ここまで持って来てくれ」


「え? いいんですか?」


「ああ」


 そういえば、付き人がいないような。

 魔王様、今日に限ってどうしたの?


 いつもなら主人を崇拝する吸血鬼が、何から何まで魔王の世話を焼く。吸血鬼は人間の私を嫌っていて、魔王の側には近づけない。その彼の姿が見当たらないばかりか、くつろいだ様子の魔王はわざわざ立って私を出迎えた。


 ――よっぽどお腹が空いていた、とか?


「それでは、失礼しますね」


 首をかしげつつも要望通り机の上にトレーを置く。

 その直後、手首をがっしり掴まれた。


「ちょっ……」


 見上げると、人智を越えた美貌が目の前にある。

 息をするのもためらわれ、黄金の瞳を凝視した。 


「魔王……様?」


 魔王は無言で目を細めると、ひたいに落ちた私の髪をかき上げる。


「な、なな、な……」


 ここまでしてもらうと、かえって後が怖い。

 何これ、なんの罠? 


「ずっと探していたんだ」


 今度はさすがに間違えない。探していたのは、卵じゃなく私?

 まさか、今日の夜食は……。


「あ、あの! 私、食べても美味しくありませんからっ」


 魔王は一瞬目をみはり、次いで細めた。


「今はまだいい。ただ、ずっと探していたのは本当だ。会いたかった――――


 私は鋭く息を呑み、目を限界まで見開いた。

 

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