第2話


 ***

「成り行き上仕方がなかった」

「何が成り行きだっ!おもっくそ人為的かつ作為的にお前のせいじゃねえかっ!!」

 深刻そうな顔をしつつ、ちゃっかり事態を成り行きのせいにしようとする大透に、稔は怒りに震える拳を握り締めながら怒鳴った。

 結局、放課後図書室に行くことになってしまい、(幻を追いかけている隙に勝手に決められた)稔はカンカンに怒っていた。

 大透はぽりぽり頭を掻きながら弁解する。

「だって、俺樫塚あんまり好きじゃねーんだもん。なんか気取ってっし。成績は学年トップだし」

 入学してすぐにあった学力テストで、文司は全教科ほぼ満点に近い成績を叩き出したのだ。

「だから、霊能力対決で樫塚をぎゃふんと言わせてくれ」

「無理だね」

 あっさりと稔が言う。

「俺には吉田が何かに取り憑かれているようには見えなかった。つまり――俺には見えないものが見えるほど樫塚の霊能力がすごい=俺の負け。

 あるいは樫塚には霊能力なんかまったく無い。吉田の頭痛は単なる自己暗示=勝負にならない。のどっちかだ」

 いずれにしろ、自分には関係のないことだと稔は思う。後者の場合、嘘を吐くのは感心しないが、特に害があるわけでもなし、放置しておいてもなんら問題はないだろう。

「勝負にならないに一票!樫塚ごときが倉井にかなうわけがねぇ!」

(この、疫病神がっ)

 力強く宣言する大透の根拠のない言葉に、稔は思わずこぼれ出た涙を拭ったのだった。



 稔達の通う内大砂うちおおさご学園はこの界隈では最も古い、どちらかと言えば名門校である。

 中高一貫教育の男子校で、高校受験が無い代わりに学力テストが異様に多いことで有名である。

 ついでに言うと規律も厳しい。『世界に冠たる日本男児を育成する』云々という創立当初の校訓が、いまだに堂々と玄関ロビーに恥ずかしげもなく掲げられている。

 ただ、伝統があるだけに部活動や卒業生の進学・就職率には定評があるし、古いが広い校舎に施設も充実している。図書室もまた、他の学校とは比べ物にならない蔵書量を誇っている。

「ど、どうだ?樫塚。何か感じるか?」

 石森が隣に立つ文司に尋ねる。

「ああ。空気が重い……それはそうと、倉井、嫌なら帰った方が……」

「大丈夫大丈夫。照れ屋だからこいつ」

 心配、というかむしろ呆れた感じで忠告する文司に、逃げようとする稔の襟首をひっ掴んでもう一方の手にデジカメ構えながら踏ん張っている大透がひきつった笑顔で答えた。

「おじゃましまーす」

 そう声をかけて図書室の戸を開ける。誰もいなかった。

 壁際に十六、部屋の中心に並ぶ長机を囲むようにして四十八、計六十四の、天井まで届く巨大な本棚が聳え立っている。床にはグリーンの絨毯が敷いてあり、ちょっとした市立図書館並みの規模がある。

「あそこ、窓の辺りに人影みたいなのが……」

 早速、文司が動き出した。石森が後に続く。大透も続こうとして、

「あれ?倉井は?」

 いつの間にか稔の姿が消えていた。逃げたのかと思って辺りを見回すと、図書室の窓からぼんやりと外を眺めているのが見えた。

(俺にはなんにも見えねぇよ)

 図書室に入っても特に何も見えず、稔はホッと胸を撫で下ろしていた。

 幽霊が出るという噂自体がただの作り話かもしれないし、よしんばここに霊がいるとしても、とりあえず稔には見えない。見えなければ怖くない。

 しかし、何も見えなくともそういう噂のある場所には長居したくはない。

(あー、帰りてぇ)

 稔は溜め息を吐きながらそう思った。

 その時、ふと、妙なことに気付いた。窓ガラスに、稔の背後の様子が映っている。長机が三台並んで、その向こうにも窓がある。そちらの窓辺には文司と石森がいる。大透はデジカメを抱えてキョロキョロしている。そしてもう一人、一番奥の長机に、誰かが座っている。

 稔は振り返って背後を見た。

「何やってんだよ倉井、こっち来いよ」

 大透が手招きしている。文司と石森が何か話している。長机には誰も座っていない。

 もう一度、稔はゆっくりと向き直って窓ガラスに映り込んだ室内の様子を見る。

 長机に、誰かが座っている。

 図書室には稔達しかいない。誰もいないはずだ。

 だけど、窓ガラスだけに、見知らぬ少年の後ろ姿が映っている。

 稔はごくんと唾を飲んだ。そして、叫ぶように他の三人に声をかけた。

「なあっ、もう帰ろうぜ!」

 その言葉に、三人とも稔の方を向く。

「何だよ倉井。怖じ気付いたのかぁ?」

 真っ青になった稔を見て、石森がからかうように言った。

「帰った方がいいよ。怯えた人間は取り憑かれやすいから」

 文司はすました顔でそう忠告する。

 お言葉に甘えて、稔は「なんだとこのエセ霊能力者!倉井はなぁ、お前なんかよりよっぽど」というようなことを喚き出した大透を引きずって、図書室から逃げ出した。

「あいつら、絶対「倉井は臆病だ」って言い触らすぞ!」

「あー、そりゃ事実だから仕方がない」

 大透は文司の言い様が気に入らなかったらしく、顔を真っ赤にして怒っていたが、稔はそんなことよりも図書室から逃げ出せたことにホッとしていた。

「怖かった……」

 アニメや漫画の主人公のように、訳のわからない呪文やアイテムで悪霊と戦うなど、現実にはあり得ない。

 見えるだけの現実の人間に必要なのは二つに一つ。見えないふりをする強さか、一目散に逃げるしたたかさ――

 それが稔の持論である。


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