小話 独り身の江藤さん

昼過ぎの時間帯のエントランスは静かである。1人、初老のお客様がコーヒーを飲んでいる以外は、特に変わった様子はない。


ふと、自動ドアが開く。外出されていたお客様か、それとも…


「にゃあ」


「おかえり、シマちゃん」


旅館の看板猫、シマちゃんの早めのお帰りである。腹が減ったぞ江藤、と言わんばかりに私のカウンターの前に座る。


「そちらが噂のシマちゃんですか」


コーヒーをテーブルに置いた男性がこちらに話しかける。


「ええ。今日は朝早く出ていったと思ったんですが、いつもより早く帰ってきましたね」


「ほう、気ままなものですな」


「自由人ならぬ自由猫なんですよ、この子」


私が笑顔で話しているのに対し、シマちゃんは不満を募らせたようで、さっきより大きめの声で、


「にゃあ、にゃあ」


と、2回鳴いた。


「どうやらご機嫌ななめのようですね」


「お分かりになりますか?外から帰ってくるといつもこうなんですよ。きっとたくさん恵んで貰っているに違いないのに」


すると、男性はテーブルの上の、「ご自由にお取りください」と書かれた間食のお菓子を手に取って、


「これ、あげても?」


「ええ、食べさせてやってください」


男性がクッキーを少し砕いて差し出すと、シマちゃんはさっきまでの態度が嘘みたいに黙って受け取った。まんざらでも無い様子で男性の足元に丸まる。


「私の孫と一緒ですわ。食っては寝て…」


旅館のお客様あるあるその1、おじいさんおばあさん孫の話語りがち。


私ももう30代も半ばに差し掛かる。このままではマズイとは思っているが、なかなかいい人は現れない。


決して顔には出さないが、幸せそうなおじいさん、それに話に出てくる娘さんのことを知れば知るほどジェラシーに燃える。


ああ、こんな田舎に出会いなんて存在しないのだ。赤座初め、同期や歳の近い奴らはみんな結婚してしまった。私はずいぶんと長い間取り残されている。今年のインターン生も男がいるようだし、今回こそ喰ってやろうか。


「そろそろ婆さんと出かけるのでね、失礼します」


「あ、ええ、はい。お気をつけて行ってらっしゃいませ」


正直話を全く聞かずにうなづいているばかりだったが、シマちゃんのおかげで男性は満足そうに去っていった。申し訳ない気持ちになった。


再び静寂に包まれた広間で、シマちゃんの横にしゃがむ。


「どうしたらいいと思う、シマちゃん」


外を歩き回ってきたとは思えない灰色の綺麗な毛並みを撫でながら呟く。そっけない看板猫は私を無視して眠りの中。


はあ、と今日も重たいため息をついた。

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