第6話 悪いな、彼氏クン

「あー……久しぶりの学校」

 あのあと海ではしゃぎすぎた僕は、慣れないことをしたせいか少し風邪をこじらせてしまったのだった。


 休みを挟んで五日ぶりの大学。葵ちゃんにも心配かけちゃったし、早く元気な顔をみせてあげたいけど……


「おはよう、今どこ?」

「図書館の一階だよ〜」

 メッセージを送ればすぐに返信が返ってくる。図書館の一階のスペースは、ソファなどが置いてあって学生の溜まり場になっている場所だ。リラックスして本が読めるということで、葵ちゃんもよくそこを利用している。

 なので僕は意気揚々とそこに向かったのだが……


「葵ちゃ……」

「へぇ、藤本もこれ好きなんだ?」

 葵ちゃんの姿を見かけて声をかけようとすれば、なんと見知らぬ男が彼女に話しかけているではないか。僕の彼女なのに!

 藤本なんて気安く呼ぶ奴が一体どんなツラをしてるのか拝んでやろうじゃないか。


 そう思って近づいてみて、僕は激しく後悔することになる。

 無造作に見せて計算された真ん中分けの黒髪パーマに、気だるげな垂れ目。そして口元のほくろ、ファッションアイテムと化した黒マスク……

 まごうことなきイケメンだった。


「あれ、藤本。彼氏じゃない?」

 慌てる僕に気づいた彼は、葵ちゃんに話しかける。そうすればパッと彼女は表情を明るくして立ち上がった。


「理人くん、良かった。元気になったんだ!」

「う、うん。心配かけてごめんね……えっと、それでこの人は?」

 警戒の目を向ける僕にも怯むことなく、彼は落ち着いた様子で僕に自己紹介をしてみせる。


「どうも、三年の結城って言うんだ。彼女借りてて悪いな、彼氏クン」

 名前と風貌、そして雰囲気で僕は瞬時に察する。

 間違いない、この人は三年の結城先輩だ!

 テニスサークル所属で校内人気も高いけど、噂によれば彼氏持ちの女の子にばかり声をかけるって話で……


「じゃあね、藤本。またおしゃべりしような」

 そう言って結城先輩は軽く葵ちゃんの肩を叩く。なんてさりげないボディタッチ。

 こ、この人……陰のチャラ男だ。

 一見落ち着いているように見せかけて、そのふと見せる寂しそうな顔で女の子をひっかける厄介な方のチャラ男だ!

 こういう男に脅されたり「練習だと思って」って堕とされる展開、同人誌で百回見たぞ!!!


 なので僕は慌てて葵ちゃんの手を握ると最大限威嚇の表情をして見せる。

 結城先輩はそれに気にしたそぶりもなく、ひらひらと手を振って去っていてしまった。




 それからというものの、結城先輩は事あるごとに葵ちゃんに構うようになったのだ。しかも決まって僕に見せつけるように仲良くするものだから、これはもう挑発しているようにしか見えない。

 肝心の葵ちゃんは葵ちゃんでなんだかニコニコしているし……


 そんな日々が一週間あまり続いたある日のこと、やっぱり結城先輩は葵ちゃんにちょっかいをかけていたのだった。僕と葵ちゃんが一緒に楽しんでるスマホゲームに、あろうことか「俺もやってるよ」と言って割り込んできたのだ。

 周りに人が少ないからって、そんな大っぴらに狙うか普通!


「え、そうなんですか。じゃあフレンドになりましょうよ。理人くんも一緒に」

「もちろん。あ、ついでに連絡先も交換しない?」

 なんて言いながら結城先輩はじわじわと葵ちゃんとの距離を詰めていく。


「……葵ちゃん、次の講義って教室遠くなかったっけ?」

 ふと、僕がそんな風に尋ねれば、彼女はすぐに「ほんとだ!」と言って慌てて席を立つ。

「じゃあね、理人くん。結城先輩」


 そうして忙しなく去っていく葵ちゃんを見送りながら、僕はおそるおそる口を開いたのだった。


「あ、あの……ちょっと、葵ちゃんと距離近くないですか?」

 僕のその言葉に結城先輩はきょとんとしてみせる。けれどすぐにくすくすと蠱惑的な笑みを浮かべた。


「なに、彼氏クン妬いてんだ?」

 その言い方にカチンと頭にくる音が聞こえた、ような気がした。僕は立ち上がって真っ直ぐ結城先輩を見つめる。

 そしてなけなしの勇気でゆっくりと口を開いた。


「葵ちゃんは僕の彼女だ。邪魔しないでくれませんか?」

 僕のその言葉に、今度こそ結城先輩はぽかんとしてみせる。そしてゆっくりと顔を覆って肩を震わせ始めたのだった。


 くそ、笑われてる!

 そう思ってじとりと睨むものの、先輩は一向に顔を上げようとはしない。そうしてしばらく観察していた結果、僕はとんでもないことに気づいたのだった。


「う……うぅ……」


 いやこれ泣いてる!


「えっ、あっ、す、すみませ……そんなめっちゃ怒ってるとかじゃなくって……!」


 慌てて弁解する僕に、先輩はすっと静止するように手のひらを掲げる。いや濡れててちっとも安心できませんが。

「違うんだ。やっと夢が叶ったかと思うと嬉しくって涙が……」

 そして先輩は満足そうな笑みを共にこう言ったのだった。


「俺はさあ、当て馬が好きなんだよ」

「は?」


 突然の告白に身を固める僕なんかお構いなしに結城先輩は話を続ける。 


「恋路における最高の引き立て役、最助演男優賞……それが当て馬だ。けどなりたくてなった訳じゃない人もいる。その人にそれをやれというのは酷だ。だから俺はその人たちの分まで当て馬になろうと思ったんだ!」

 なんだこの人。

 整った容貌から繰り出されるトンチキなセリフの数々に頭がぐるぐる混乱し始めた。

 当て馬ってあれだよな。少女漫画とかによくあるアレ……?


「彼氏持ちの女の子に声をかけ、彼氏が慌てて彼女への愛を再確認する……恋のスパイスにぴったりだ!」

 じゃあなに、今までの行動って全部カップルの絆を深めるためにやってたってこと?!


「けどこの容姿のせいか、俺の塩梅が悪いせいか、本気で俺を好きになってしまう人ばっかりで……カップルを破局させちゃうんだよな」

 言ってることはメチャクチャなのに、その声からは心からの後悔の念が滲んでいた。

 ああ、この人本気で当て馬になりたいんだな、とわかってしまった。いや、わかりたくはないけど。

 というか嫌ならそもそもするな。


「けど、君たちは違う。藤本は本気で君が好きだし、君も本気で藤本を愛している。藤本なんて俺が君の友達になってくれたら、なんて言ってくれる始末だ」


 あ、だから葵ちゃんは先輩と三人でいる時、やたらと楽しそうだったのか。僕に新しい交友関係ができると思って……

 彼女のさりげない心遣いに胸がきゅんと甘く疼く。

 ありがとう、葵ちゃん。でもこの人はちょっと変だよ。

 

 そして最後に結城先輩は嬉しそうに僕に宣言した。

「これなら俺も思う存分当て馬ができるってわけだ。これからよろしくな、彼氏クン?」

 朗らかな笑顔と共に結城先輩が僕の手を力強く掴む。そっか、先輩は僕らの仲を見込んでこんなことを……

 それなら、僕に言えることは一つ。


「いや、邪魔しないでください」


「……よろしくな、彼氏クン!」

「いいえループかよ!」

 そういえばうちのテニサー、強豪だったな。そこからこの粘り強さ来てるのかな、なんて頭のどこかで考えながら、僕は無理やり結城先輩に握手させられたのだった。


 結城先輩が仲間になった!

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